あほまろが毎朝、定点観察を続けてきた影向堂前のイチョウの木が、とうとう根元から伐採されてしまいました。
今朝、その場所を通りかかったとき、目に飛び込んできたのは、いつもの大きな幹ではありませんでした。低い植え込みの真ん中に、まだ新しい切り口を見せた切り株が、ぽつんと残されていたのです。
「ああ、本当に切られてしまったんだ……」
一昨日、このイチョウのすべての枝が落とされ、幹だけの姿になっているのを見たときから、嫌な予感はしておりました。
しかし、そのときはまだ、「何か手入れをしているだけなのかもしれない」「また新しい芽を出すための処置なのかもしれない」と、どこかで期待していたのです。
ところが、あれはやはり伐採の準備だったのでしょうね。
今朝は、その幹だけが露出しておりました。
写真に残された、空に向かって一本だけ立つ姿を見返すと、まるで最後に「長いこと見てくれてありがとう」とでも言っていたように思えてなりません。
このイチョウは、あほまろにとって単なる一本の木ではありませんでした。
春になると、黒々とした枝先に小さな芽が現れます。
最初は「本当に葉っぱになるのかい」と思うほど小さな緑ですが、日を追うごとに膨らみ、やがてイチョウらしい扇形の葉へと育っていきます。
昨日まで何もなかったように見えた枝に、ある朝、小さな緑が灯る。毎日見ているからこそ分かる、ほんのわずかな変化でした。
やがて若葉は枝いっぱいに広がり、初夏には瑞々しい緑の木となります。
最初は小さく青い実。そして、この木には毎年、たくさんの銀杏が実るのですよ。
それが少しずつ膨らみ、
それが少しずつ膨らみ、夏を越え、秋が近づくにつれて色づいていきます。
今年も豊作のようだな、そんなことを思いながら撮った、これが最後の写真となってしまいましたよ。
写真を並べてみれば、一本の木の中に暦があるようです。
芽吹きが「春ですよ」と教え、青葉が「夏になりました」と知らせ、銀杏の実が「そろそろ秋ですよ」と告げてくれる。
カレンダーは一枚めくらなければ月が変わりませんが、木々の暦は毎朝少しずつ変わっていくのです。
あほまろは、その変化を毎朝カメラに収めてきました。
同じ場所で、同じ木を、何度も何度も撮る。
知らない人が見から、
「昨日も撮ったでしょう」と、言われ続けてきました。
そうなんです。
昨日も撮りました。
一昨日も撮りました。
たぶん明日も撮るつもりでした。
でも、毎日撮っていたからこそ、「昨日まではあった」ということを証明できるのです。
これが定点観察の面白さであり、同時に怖さでもあるのでしょう。
何も変わらないと思って撮り続けていたものが、ある朝突然、無くなっている。
その瞬間、それまで何気なく撮っていた何百枚もの写真が、一転して「もう二度と撮れないものの記録」になってしまうのです。
木は何も語りません。
「明日、伐られますから、最後にきれいに撮ってくださいね」
などとは教えてくれません。
だから、こちらも最後の一枚だとは知らずにシャッターを切っています。
考えてみれば、写真というものは、いつだってそうなのかもしれませんね。
「また明日」があると思って撮った写真ほど、後になって大切になることがあります。
人も、町も、建物も、木も、いつまでもそこにあるとは限りません。
浅草寺の境内だって同じです。長い歴史を持つ場所ですから、何百年も変わらぬ風景のように思えますが、あほまろが毎朝歩いている間だけでも、木が植え替えられ、建物が修復され、景色が少しずつ変わってきました。
変わらないように見える浅草ほど、実はよく変わっているのです。
そして人間というものは勝手なもので、あるうちは気にも留めず、無くなってから、
「寂しくなったね」などと言うのです。
木にしてみれば、「だったら、立っているうちにもう少し褒めてくれよ」
と言いたいところでしょう。
もっとも、このイチョウだけは、あほまろが毎朝しつこいほど写真を撮っていたので、
「またあの爺さんがカメラを向けてるよ」
くらいには思っていたかもしれませんね。
今朝、切り株を見ながら、これまで撮りためてきた写真の意味を改めて思い出します。
芽のない枝。
小さな新芽。
若葉。
青々と茂った夏の葉。
そして、枝いっぱいに実った銀杏。
それらを撮ったときには、特別な写真だとは思っていませんでした。
ところが、木が無くなった今となっては、その一枚一枚が、このイチョウが確かに影向堂前で生きていた証しになったのです。
写真は、過去を取り戻してはくれません。
今朝の切り株を、昨日までの大木に戻すこともできません。
けれど、
「ここに、こんな木があった」
ということだけは、未来へ残してくれます。
だから、今朝の切り株も撮りました。
本当なら撮りたくない姿でしたけどね。
芽吹いた日だけが記録ではありません。
実を付けた日だけでもありません。
枝を落とされた日も、そして姿を消した朝も、その木の歴史の一部なのです。
毎朝同じ場所を歩き、同じものを撮り続けていると、ときどき「こんな写真を撮って何になるのだろう」と思うことがあります。
しかし、今朝のような光景に出会うと、その答えが少し分かるような気がいたします。
続けなくちゃ、記録とはいえませんね。
昨日までそこにあったものが、今日は無い。だからこそ、昨日撮った一枚に意味が生まれるのです。
影向堂前の景色には、これから少し大きな空白ができます。その空白にも、いずれ目が慣れてしまうのでしょう。
そして何年か経てば、この場所に大きなイチョウがあったことを知らない人も増えていくのでしょうね。
でも、あほまろの写真の中では、春になれば芽を吹き、夏には青葉を広げ、秋になれば、またたわわに銀杏を実らせてくれます。
過去は戻ってきません。それでも、記録の中では季節は何度でも巡ってくるのです。
今朝もまた、ひとつの浅草が過去になりました。寂しいけれど、それも朝の記録として、しっかり残しておくことにいたしましょう。
そして明日の朝も、あほまろは同じ場所を歩きます。
今度は、この切り株の向こうに何が始まるのかを見るために。
「昨日まで そこに居た木のない今朝は 空まで広く寂しくなりぬ」(阿呆人也)
手水場では、長年使われてきた棚の塗装が傷み、汚れも目立つようになってきたため、ラッカーの塗り直しが行われておりました。
今朝はまだ乾かない作業箇所にカラーコーンが並べられ、まだ立ち入ることができませんでしたよ。でも、ハトたちは入って歩いてましたけどね。
毎朝何気なく目にしている場所ですが、こうした細かな手入れが繰り返されることで、境内の美しさが保たれているのでしょうね。
昨日までと同じように見える浅草寺も、よく観察していると、あちらを直しながら、少しずつ姿を整えているのです。これもまた、毎朝歩いているからこそ気付く、小さな変化なのでございます。
今朝の日の出は午前5時19分。
平成中村座の小屋がけ工事が続いております。
ハナカイドウの実。
夜の終わりと、朝の始まり
本堂前で、夜遊び帰りらしいおねえさんたちが、楽しそうにスマホで写真を撮っておりました。
二人で来ていると困るのが、ツーショット写真です。どちらかがカメラマンになれば、当然ひとりが写りません。
そこであほまろ、
「二人一緒に撮ってあげましょうか」と声をかけてあげました。
「わあ、お願いします!」と大喜び。
せっかくですから本堂前だけではもったいないので、宝蔵門など、あちらこちらを背景に何枚か撮ってあげましたよ。
すると、おねえさんのひとりが不思議そうに、
「おにいさんは、どこから来たの?」と聞くのです。
おやおや、この歳になって「おにいさん」と呼ばれるとは、早起きは三文の徳どころか、ずいぶん大きな御利益がありましたね。
「どこからって、浅草だよ。浅草の住民」
そう答えると、
「えーっ、地元の人なの! 朝から浅草寺の写真をいっぱい撮っているから、てっきり観光客だと思いましたよ」
なるほど。確かに地元の者が、毎朝同じ本堂や宝蔵門にカメラを向けている姿は、不思議に見えるのでしょうね。観光客なら一生懸命写真を撮っていても当たり前。
しかし、近所に住んでいる人間が二十年以上も同じところを撮り続けているとなると、これはちょっと説明が必要かもしれません。
そこで今度は、あほまろから聞いてみました。
「ところで、おねえさんたちは、どちらから来たの?」
すると、「私たち? 隣の墨田区だよ」ですって。
「なんだ、それじゃ、お互い様じゃないか」
みんなで大笑いしてしまいましたよ。
浅草の住民を観光客だと思った墨田区のおねえさんと、墨田区のおねえさんを遠くから来た観光客だと思った浅草のあほまろ。
隅田川を一本挟んだだけの、ご近所同士だったのでございます。
それにしても面白いものですね。
おねえさんたちにとっては、楽しかった夜がそろそろ終わるころ。あほまろにとっては、いつもの一日が始まったばかり。
夜の終わりと朝の始まりが、浅草寺の境内でほんの一瞬すれ違ったのです。
「それじゃあ、気をつけて帰ってね」
「ありがとう、おにいさん!」
そう言って笑顔で別れたのでした。
観光名所というものは、遠くから訪れる人だけのものではありません。すぐ隣の町から来た人も、毎朝そこを歩く人も、それぞれ違った時間を持って同じ場所に集まってくるのです。
名前も知らないし、たぶん二度と会うこともないでしょう。それでも写真を数枚撮って、少し話して、一緒に笑う。
これもまた、浅草の朝がくれる小さな出会いなのでございます。
そして何より今朝一番の収穫は――、
この歳になって「おにいさん」と呼んでもらえたこと。
今日は大吉どころか、超大吉の朝だったかもしれませんね。
「おにいさん 呼ばれて振り向く朝の寺 写真一枚若返った朝」(阿呆人也)
そして今朝は、もうひとつ嬉しい出会いがありました。
境内を歩いていると、一人の外国人女性が熱心にカメラを構えておりました。首から下げているのは、ライカのカメラ。観光の記念写真を撮っているというより、光や構図を確かめながら、浅草寺の朝そのものを探しているような撮り方でした。
カメラ好きというものは不思議なもので、知らない人でも持っているカメラを見ると、つい親近感を覚えてしまうのです。ましてやラ イカとなれば、なおさらです。
ビクトリー君の写真を撮っているところを、彼女から声をかけられましたよ。香港からいらした写真家の方でした。
今回は四日間の日本滞在で、今日は二日目。浅草を中心に、東京の風景を撮り歩いているとのことでした。お名前もちゃんと伺ったのですが――、困ったことに、忘れてしまいました。
写真はしっかり撮ったのに、名前の記録を忘れる。カメラのメモリーは優秀でも、あほまろのメモリーは、ときどき容量不足になるのでございます。
それでも話を続けていると、「香港から来た」という言葉が少し気になりました。
そこで失礼ながら国籍を尋ねてみると、英国人とインド人の血を引き、現在は香港で暮らしているとのことでした。
なるほど。「香港から来た人」と一言で言っても、その人が歩んできた背景までは分かりません。国籍、ルーツ、暮らしている場所。人にはそれぞれ違った物語があるのですね。
そして、その人が今朝たまたま浅草寺にいて、あほまろと同じようにカメラを持ち、同じ朝の光景を撮っている。
そう考えると、なかなか面白い偶然です。
彼女から、「SNSをやっているのなら、アドレスを交換しましょう」と言われました。
そこで、あほまろのホームページを教えてあげましたよ。
SNSというより、あほまろの場合は毎朝せっせと浅草の記録を積み重ねてきたホームページです。
彼女がそれを見たら、
「この人、今日だけ写真を撮っていたんじゃなかったのね」と、きっと驚くことでしょう。
そして別れ際、「明日の朝も、またここに撮影に来ます」とおっしゃいました。
「それじゃ、また明日の朝に逢いましょう」そう言って握手をして別れました。
考えてみれば、名前を忘れてしまった人と「また明日」と約束できるのも、なんだか面白いものですね。明日また逢えたら、今度こそお名前を聞いて、ちゃんと覚えておかなくちゃいけません。
もっとも、忘れないためには紙に書くより、写真に撮っておくのが一番確実な年頃になってしまいましたけどね。
今朝は、夜遊び帰りの墨田区のおねえさんたちと笑い、香港から来た写真家とカメラの話をして、明朝の再会を約束しました。
毎朝ほとんど同じ時刻に、同じ道を歩いているだけなのに、出会う人は毎日違います。
遠い国から来た人もいれば、隅田川の向こうから来た人もいる。
そして、ほんの数分言葉を交わしただけの人が、その日の朝の記憶として残っていくのです。だから、あほまろは毎朝同じ浅草を撮っていても、飽きることがありません。
同じ場所なのに、同じ朝は二度と来ないからです。
そして、こんな朝を迎えるたびに思うのでございます。
やはり――、浅草は、朝が深いですね。
「国越えて カメラが結ぶ朝の縁 浅草深しまた明日逢おう」(阿呆人也)
元気になった中村さん、おはようございます。
守護さんと利伊さんも一緒に撮ってあげました。
おはようございます。今朝は開門4分前にやって来た、野崎さんと高橋さん。
梶原さんも加わって、おはようございます。
益美さんもおはよう。
子育地蔵さま、わが家の子どもたちと猫の安全をお守りください。
日本のナイチンゲールと称される瓜生岩子像。

深い緑に包まれたイロハモミジも次は紅葉の時期ですね。
定点観察を続けているソメイヨシノの木。あほまろは、風格ある幹や力強く伸びる枝ぶりはもちろんのこと、とりわけ葉の移ろいに心を惹かれております。
昨年から落ちることなく枝に残り続けている三枚の葉があります。新しく茂った深緑の葉にそっと覆われ、その存在に気づく人はほとんどおりませんが、あほまろは毎朝、その葉の姿を探してしまうのでございます。
令和の大改修を終え、広々とした境内西広場。以前とはまったく違う景色になりましたが、開放感あふれる新しい浅草寺の表情が広がっております。
お店の取り壊し作業が終わった伝法院通りでは、これから石垣や塀の補修工事が始まるのです。
あほまろは今日も秘密基地にて、原稿書きに勤しみますよ。
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夕べの睡眠は69%でした。
おはようヒロちゃん。
今朝の朝の朝食は、お肉と玉子焼きとチーズなどに、北海道バターパン。デザートはなし。
妻のコレクションは、グレースさんと瘋癲のリリーさん。
昨日の東京スカイツリー。
夕べは、名古屋の大雨で飛ばされた、しゅと犬くん。
そして今日のしゅと犬くん。
あほまろお帰りなさい。
夕べの夜の夕食の晩ご飯は、コーンスープにのり巻きにいなり。デザートはなし。
妻のコレクションは、のぞみちゃんとジェームちゃん。
MemoiPhone 17 ProMAX