本降りの雨の朝が続いております。
今朝の外気温は26℃。気温以上に湿度が高く、蒸し暑い朝となりました。さらに風も強く、傘を差していても横殴りの雨にはまったく役に立ちません。たちまち全身ずぶ濡れになってしまったので、今朝はいつもより早めに散歩を切り上げ、戻ってまいりましたよ。
ところが、あほまろが帰った直後から雨は嘘のように降り止み、なんと陽まで差してきたのです。まったく、空にからかわれたような朝でしたね。とはいえ、すでに全身びしょ濡れ。着替えてもう一度出かける気にもなれず、残念ながら今朝は朝友のみなさんにも逢えませんでしたよ。
昨日は東海地方で線状降水帯によって、名古屋で猛烈な雨が降り、「記録的短時間大雨情報」も発表されました。近ごろの雨は、昔のようにしとしと降り続くというより、突然、空の底が抜けたような猛烈な降り方をすることがありますね。
ニュースでは、名古屋の中心部でも水が滝のように流れ出ていて道路が冠水する映像が流れておりました。
関東では昨夜の激しい雨はいったん落ち着き、朝は晴れ間の見えているところもありますが、午後にかけて再び雨の範囲が広がり、帰宅時間帯には本降りとなるところもあるようです。
東京だって、いつ千葉や名古屋のような激しい雨に見舞われるか分かりません。晴れ間が見えているからと油断せず、お出かけの際には雨雲の動きにも注意し、十分に警戒してくださいね。
あほまろの早朝散歩は、毎朝ほとんど時計仕掛けのように始まります。午前3時50分に家を出て、雷門前には午前4時ちょうど。雨が降ろうが風が吹こうが、暑かろうが寒かろうが、この時間だけはほとんど変わりません。長年続けておりますと、散歩というより、浅草の朝に出勤しているようなものですね。もちろん給料は出ませんが、代わりに毎朝違った景色をいただいておりますよ。
そして、どんな日でも、早朝散歩で必ず最初にお逢いする、うめちゃん、まちゅちゃん、そしてママの千草ちゃん。毎朝、みなさんに逢えることも、あほまろの散歩の大きな楽しみのひとつなのですよ。
今朝もかなり激しい雨でした。
傘を叩く雨音を聞きながら雷門へ向かっていると、暗い道の向こうから、何やら大きな声が聞こえてきました。見ると、数人の女の子たちが傘も差さず、すでに全身びしょ濡れになって歩いているではありませんか。
「もう濡れてもいいや!」
そんな声を上げながら笑い合い、わざわざ水たまりへ飛び込んでは、盛大に水しぶきを上げておりましたよ。
普通なら水たまりを避けて歩くものですが、彼らにとっては水たまりこそが目的地。どうせ濡れたのだから、もっと濡れてしまえというわけでしょう。酔っ払いの理屈というものは、時として妙に合理的なのであります。
あほまろは長靴を履いて傘を差し、カメラを濡らさぬよう気を遣って歩いているというのに、彼らには守るべきものなど何もない。いや、若さそのものが防水加工されているのでしょうね。
そんな彼らを眺めながら、不思議と腹は立ちませんでした。
むしろ、悪天候まで「特別な思い出」に変えてしまう若さというものは、なかなか大したものだなと、ちょっぴり羨ましくもなったのです。
そして、激しい雨に濡れながら笑う若者たちを見ているうちに、あほまろの記憶は半世紀以上も昔へと飛んでいきました。
昭和46年、1971年の夏です。
岐阜県中津川市の椛の湖(はなのこ)で開かれた、第3回全日本フォークジャンボリー。日本のフォーク史を語るうえで、今も伝説として語られる野外音楽イベントです。当時の若者たちにとって、フォークソングは単なる流行歌ではありませんでした。社会への疑問や怒り、自分たちの生き方、そして「俺たちはここにいるぞ」という叫びまで、ギター一本に詰め込んで歌う時代だったのです。
あほまろはその頃、通信社でアルバイトをしており、その取材のお手伝いとして中津川へ行っておりました。
もっとも、「取材のお手伝い」と言えば格好良く聞こえますが、実態はカメラマンの後ろについて機材を運ぶ、いわばカメラバンでありましたよ。
今ならカメラバッグも軽量で、防水素材も優秀です。しかし当時はそうはいきません。カメラや交換レンズ、それに大切なフィルムを入れるケースは、頑丈なジュラルミン製。これが重たいのなんの。それを二個も担いで、ぬかるんだ会場をメインステージ、サブステージを、カメラマンの後について歩き回ったのでありました。
しかも、雨。
それも、「ちょっと降ってきたね」などという可愛らしい雨ではありません。前日からの雨で、会場は泥だらけ。足元はぬかるみ、靴は沈み、ズボンには泥が跳ね、上からは容赦なく雨が降ってくる。
逃げ込む立派なテントがあるわけでもありません。自分の身体は濡れても構いませんが、カメラやレンズ、撮影済みのフィルムだけは絶対に濡らしてはいけない。ですから、雨の中でジュラルミンケースを抱え込みながら、まるで我が子でも守るようにして走り回っておりましたよ。
今考えれば、あほまろ自身より、カメラの方がよほど大切に扱われておりましたね。
しかし、雨に濡れていたのは取材陣だけではありません。観客たちもびしょ濡れでした。それなのに帰ろうとはしない。泥だらけになりながら歌い、叫び、笑い、ステージと一体になっていたのでした。
なかでも、あほまろの記憶に強烈に残っているのが、吉田拓郎さんの「人間なんて」でしたよ。
フォークのサブステージから響いてきた歌声。それに観客の声が重なり、雨も泥も関係なく熱気だけが膨れ上がっていく。歌というものが「聴くもの」ではなく、そこにいる全員で作り上げるものになっていった瞬間でした。
あの場にいた者にしか分からない、妙な熱気がありました。若者たちは雨に打たれながら、それすら楽しんでいる。まさに今朝、浅草で見かけた若者たちと同じです。
ただし、中津川の方は規模が違いました。若者が何万人も集まれば、熱狂だけでは済みません。会場運営は次第に統制を失い、観客と主催者側との緊張や出演者をめぐる混乱も起こりました。ステージと観客との境界そのものが崩れていくような状況になり、この第3回を最後に、全日本フォークジャンボリーは幕を閉じることになります。
今では「伝説」と呼ばれておりますが、伝説というものは、後から眺めるから美しいのであります。
その真ん中にいた人間にとっては、ただの大雨、泥んこ、混乱、そして重たいジュラルミンケースだったのでありますよ。
おまけに、どうせ全身濡れてしまったのだからと、椛の湖へ飛び込む若者まで現れました。
「雨で濡れたのだから、湖に入っても同じだろう」
理屈としては、今朝の浅草の若者とほとんど変わりません。半世紀以上経っても、若者という生き物の基本構造は、それほど進化していないようですね。
そして中津川での仕事を終えたあほまろには、もうひとつ忘れられない出来事がありました。
着替えが無かったのです。
全身びしょ濡れ、靴の中までぐっしょり。それでも朝には東京へ帰らなくてはいけません。仕方なく、そのまま中央線から新幹線に乗り継ぎました。
冷房の効いた車内で、濡れた服を着たまま座り、東京へ向かううちに少しずつ乾いていく。当時の新幹線には、もちろん「全身乾燥モード」などありません。あほまろ自身が洗濯物になったつもりで、ただひたすら自然乾燥です。
今なら、そんな姿で新幹線に乗ったら周囲の乗客から怪訝な顔をされるでしょうが、当時のあほまろには恥ずかしがる余裕などありませんでした。
ただ、「機材は無事だった」
それだけで仕事を果たした気になっていたのであります。
今朝、浅草の雨の中で、水たまりを跳ねながら笑う若者たちを眺めていると、そんな昭和46年の夏が、突然鮮やかに蘇ってきました。
人間の記憶というものは不思議ですね。普段はどこか奥深くにしまい込まれ、すっかり忘れていたはずなのに、雨の匂いや濡れた舗道、若者たちの笑い声ひとつで、五十年以上という時間を軽々と飛び越えてしまうのです。
今朝の若者たちも、きっと何十年か経った頃、
「昔、浅草で大雨に降られてさ、傘も差さずに走り回ったことがあったな」
などと笑って思い出す日が来るのでしょう。
その時になれば、今朝の冷たい雨も、きっと温かな思い出に変わっていますよ。あほまろにとって、中津川の雨がそうだったようにね。
若い頃には、雨に濡れることさえ面白かった。今では雨が降れば、まずカメラを守り、次に自分が転ばないよう足元を確かめ、雨雲レーダーまで確認するようになりました。
人間、歳を重ねるほど賢くなると言いますが、もしかすると単に、濡れた後の面倒臭さを知りすぎただけなのかもしれませんね。
それでも、今朝の若者たちを見て、あほまろは少しだけ嬉しくなりました。雨はいつの時代も同じように降ります。
けれど、その雨に打たれる人間は歳を取り、世の中も変わり、やがて記憶だけが残っていく。昭和46年の中津川の土砂降りと、令和8年の浅草の土砂降り。半世紀以上も離れた二つの雨をつないでくれたのは、傘も差さずにはしゃぐ若者たちでした。そう考えると、雨というものも、たまには粋な仕事をするものですね。
「雨に濡れ 若さはしゃいだ中津川 半世紀経て浅草に降る」(阿呆人也)
あの中津川から五十余年。雨に濡れるのは今でも同じですが、あほまろもずいぶん変わりました。
ただひとつ変わらないのは、雨の日にまで面白いものを探して歩いていることでしょうか。そう考えると、あほまろも案外、今朝の若者たちと大して変わっていないのかもしれませんね。
今朝の日の出は午前5時18分。
平成中村座の骨組みが完成しておりました。
この辺りから雨は少し小降りになってきましたが、横殴りの雨にさらされ続けたカメラのレンズは、もう大変なことになっておりましたよ。
子育地蔵さま、わが家の子どもたちと猫の安全をお守りください。
日本のナイチンゲールと称される瓜生岩子像。
令和の大改修を終え、広々とした境内西広場。
お店の取り壊し作業が終わった伝法院通り。
雨はようやく上がり、雲の切れ間から陽も差してきました。ふと空を見上げると、薄雲の向こうには細く美しい有明月が浮かんでおりましたよ。明後日は新月。その上に木星も望めましたよ。夜明けの空に残る月も日に日に細くなり、やがて姿を消して、また新しい月の巡りが始まるのですね。
激しい雨に振り回された朝でしたが、最後にはこんな美しい月を見せてくれました。雨の朝も、悪いことばかりではありませんね。
あほまろは今日も秘密基地で原稿に向き合います。
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夕べの睡眠は67%でした。
おはようヒロちゃん。
今朝の朝の朝食は、隅田のおかあさんからいただいたブリのズケに納豆ご飯。デザートはブドウ。
妻のコレクションは、マドンナちゃんとツバキちゃん。
昨日の東京スカイツリー。
夕べは、大雨情報でしゅと犬くんが飛ばされたので、わが家から望む東京スカイツリー。
あほまろお帰りなさい。
夕べの夜の夕食の晩ご飯は、コーンスープと肉のキムチ巻とゆで卵に、固いパン。
妻のコレクションは、ランちゃん連れたリボンちゃんとユキちゃん。
MemoiPhone 17 ProMAX