令和8年(2026)7月31日(金)  旧暦6月18日 大安
今朝の撮影 Data
SONY α1 II
Sigma 20-200mm F3.5-6.3 DG
iPhone 17 Pro Max
現像 Adobe Photoshop Lightroom CC
撮影枚数 632枚
- 減りゆけど 帰る軒あり雀たち 人の都に残るふるさと -

 スズメ、チュンチュン。懐かしい鳴き声は、日本の四季を彩る音のひとつです。 ところが近年、その声を耳にする機会がめっきり減ってしまいました。都市化や生活環境の変化によって、全国的にスズメの数が減少しているといわれております。
 その大きな理由のひとつが、巣を作る場所の減少です。昔ながらの瓦屋根や木造家屋には、軒先や屋根瓦の隙間など、スズメが安心して子育てのできる場所が数多くありました。しかし近年は、コンクリート造りで気密性の高い住宅が主流となり、小さな隙間さえ見当たらなくなりました。人間にとっては快適な住まいでも、スズメにとっては「入居お断り」の高級マンションのようなものなのでしょうね。文明は便利さを手に入れましたが、その陰で、小さな隣人たちは静かに居場所を失ってしまったのであります。

 ここ浅草寺の境内でも、その変化を肌で感じております。
 十年ほど前の日記を見返すと、空いっぱいを群れ飛ぶスズメたちの姿が写っております。当時は、境内を歩けばチュンチュンという鳴き声があちらこちらから聞こえ、それが当たり前の朝の風景でした。しかし最近、あほまろが毎朝数えてみても、確認できるのは五、六羽ほどでしょうか。ほんの十年で、こんなにも景色が変わってしまうとは思いませんでした。

 もっとも、スズメはハトのビクトリー君のように背中に特徴的な模様があるわけでもなく、カラスのように体格で見分けることもできません。みんな同じ顔に見えてしまうので、「今日は誰が来たのかな」と思っても、正直なところ判別は困難なのであります。
 それでも、あほまろには、どうしても見分けられるスズメがおります。

 毎年、手水場の二か所の軒先で育った小さなスズメたちですよ。
 お正月が終わった頃、軒先から小さな黄色い口を精一杯開け、「チュン、チュン」と夜明けとともに鳴き始めます。その声を聞きつけた親鳥は、休む間もなく餌を運び続けます。虫をくわえて飛び去ったかと思えば、数分もしないうちに再び戻り、また餌を運ぶ。その繰り返しです。

 親鳥は決して愚痴をこぼしません。「今日は暑いから勘弁してくれ」などと言うこともなく、ただひたすら子どものために働き続けるのであります。人間社会でも見習いたいものですよね。
 こうして約二週間、親鳥は交代で餌を運び続け、やがて雛たちは羽ばたく力を身につけていくのです。

 桜の花が散り、新緑が境内を包み始める頃、いよいよ巣立ちの日がやって来ます。
 最初は軒先から隣の木まで飛ぶのも一苦労です。翼をばたつかせ、少し飛んでは止まり、また挑戦する。その姿は実に頼りなく、思わず「あっ、落ちるぞ」と声を掛けたくなるほどですが、親鳥は少し離れた場所から静かに見守っております。

 子どもは失敗しながら成長し、親は口を出したい気持ちをぐっとこらえて見守る。人も鳥も、その姿は変わらないものですね。
 そして、立派に飛べるようになっても、彼らはすぐには故郷を離れません。
 昼間は境内を飛び回り、夕方になると再び手水場の軒先へ戻って来て眠るのです。どうやら、あの軒先こそが彼らにとって「わが家」なのでしょう。住所も表札もありませんが、スズメにはちゃんと帰る場所があるのですよ。

 境内で地面に降りると、スズメは歩くのではなく、両足を揃えてピョン、ピョンと跳ねながら移動します。この独特の動きは「ホッピング」と呼ばれ、小さな身体だからこそできる歩き方なのだそうです。
 ところが、この愛らしい仕草を写真に収めるのは至難の業です。
「あ、今だ!」
 そう思ってシャッターを切る頃には、もう次の場所へ跳ねております。まるで「写真なんか撮らせるものか」と遊ばれているようで、カメラマン泣かせの名人芸なのであります。

 スズメは春の終わり頃からつがいとなり、夏にかけて巣作りと子育てを始めます。今年もまた、この手水場の軒先で、新しい命が小さな口を大きく開け、親鳥を待っていることでしょうね。

 古くからスズメは、人々の暮らしに寄り添ってきた身近な鳥です。「雀の涙」という言葉がある一方で、豊かな実りをもたらす田畑の守り手として親しまれ、縁起の良い鳥としても愛され続けてきました。その小さな姿は、日本の原風景そのものと言っても過言ではありません。
 だからこそ、その姿が少しずつ減っていくことに、あほまろは寂しさを覚えるのであります。

 毎朝、浅草寺手水場の軒先を見上げ、小さな命の営みに目を向けること。それは、単に鳥を観察しているのではなく、この境内に流れる季節と命の循環を見つめ続けることなのかもしれません。
 来年も、そのまた来年も、あほまろは変わらず手水場の軒先を見上げ、「今年も無事に育ってくれましたね」と心の中で声を掛け続けたいと思っております。

 皆さんも、道端や公園、神社やお寺でスズメを見かけたら、ほんの少しだけ足を止めて眺めてみてください。何気なく飛び回る小さな命の中にも、親子の絆や季節の移ろい、そして私たちが忘れかけている日本の原風景が、今も静かに息づいているのであります。

「減りゆけど 帰る軒あり雀たち 人の都に残るふるさと」(阿呆人也)

 昨日の午後6時半頃、突然、激しい雷雨と雹に見舞われました。 あまりの勢いに、窓の外は白く煙り、視界が一気に失われるほどの荒れ模様でしたよ。あほまろはすでに帰宅していたので難を逃れましたが、通勤途中だった方々は皆さんずぶ濡れになってしまったとおっしゃっておりました。
 その雨のおかげなのか、昨夜は久しぶりに熱帯夜から解放されました。しかし、今朝、散歩に出かける頃には気温はすでに26℃を超え、湿度も高く、蒸し暑さが身体にまとわりつくようでした。歩き終えて戻る頃には、すっかり汗だくになってしまいましたよ。

 今朝の日の出は午前4時48分。

。

 本堂前の掲示板に掛けられていた布製の案内が、何者かによって破かれてしまっておりました。 昨日の激しい雷雨の影響かとも思いましたが、破れ方を見る限り、風雨によるものではなさそうです。おそらく、心ない人のいたずらなのでしょう。もしかすると、昨夜の酒に酔った罰当たりな人物が、勢い余って破いてしまったのかもしれませんね。
 信仰の場は、多くの人が心静かに手を合わせる大切な場所です。ほんの少しの思いやりと節度を持って接していただきたいものだと、あらためて感じさせられた朝でありました。

 ハナカイドウの実。

 おはようございます。今朝は開門3分半前にやって来た、野崎さんと高橋さん。

 おはよう益美さん。

 子育地蔵さま、わが家の子どもたちと猫の安全をお守りください。

 日本のナイチンゲールと称される瓜生岩子像。

 夏の境内をご覧下さい。

 蝉が鳴く深い緑に包まれたイロハモミジ。

 春には花で人々を魅了するソメイヨシノですが、花が散ったあとも、その命の営みは静かに続いております。幹から吹き出す若葉や、季節ごとに色や表情を変えていく葉の姿には、小さくとも確かな生命の息吹が感じられるのです。
 毎朝同じ木を眺めていても、まったく同じ姿の日はありません。そのわずかな変化を見つけ、写真に収めることも、あほまろが毎朝続けている定点観察の大きな楽しみなのでございます。

 このソメイヨシノには、昨年から一度も落ちることなく枝に残り続けている三枚の葉があるのです。今では新しく茂った深緑の葉にそっと覆われ、その存在に気づく人はほとんどおりません。
 それでも、あほまろは毎朝、その葉の姿を探してしまうのでございます。まるで一年という歳月の流れを静かに見届ける証人のように、枝へしっかりとしがみつき、新しく芽吹いた葉たちを優しく見守っているようにも思えるのです。

 令和の大改修を終えた西広場は、以前を知る者にとっては、まるで過去の記憶を忘れさせてしまうほど、大きく姿を変えてしまいました。

 お店の取り壊し作業が終わった伝法院通りでは、これから石垣や塀の補修工事が始まるようです。

 あほまろは今日も秘密基地でダラダラ過ごしますよ。

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 夕べの睡眠は74%でした。

 おはようヒロちゃん。

 今朝の朝の朝食は、久しぶりのトウモロコシと、シャケと野菜とゆで卵に納豆ごはん。オレンジフルートとシャイマスカット。

 妻のコレクションは、江里子さんとアナスイさん。

 昨日の東京スカイツリー。

 しゅと犬くん。

 昨日の放送は、熊本地震で飛ばされた映像との二本立てでした。

 あほまろお帰りなさい。

 夕べの夜の夕食の晩ご飯は、久しぶりのトウモロコシとライスカレー。デザートは西瓜。

 妻のコレクションは、マドンナさんとシンディーさん。

Memo
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