今日は梅雨前線や低気圧の影響で、西日本から東日本の広い範囲で雨が降っておりますね。特に九州を中心に激しい雨となっており、大雨による災害には、引き続き警戒が必要です。
今朝の浅草も激しい雨に見舞われたため、あほまろの散歩はいつもより一時間遅れなので、ワンちゃんにはお逢いできませんでしたよ。早朝の外気温は20℃でしたが、この先も雨が降り続き、風も加わるようです。日中の最高気温も22℃ほどとのことで、昼間でも少しひんやりと感じられるかもしれません。お出かけの際には、長袖を一枚用意しておくと安心ですね。
また、今朝7時30分頃、青森県で最大震度6強を観測する地震がありました。東京でも震度2の揺れを感じましたが、幸い、棚から物が落ちるようなことはありませんでした。
雨に地震と、どうにも落ち着かない朝となりました。被害の出た地域の皆さまの無事を祈るとともに、今後の余震にも十分気をつけましょうね。
息子から、父の日のプレゼントが三日遅れで届きました。
三日遅れと言えば、つい「アンコ椿は恋の花」の有名な歌い出しを思い浮かべてしまいますが、届いたのは便りではなく、扇子でございましたよ。
東海道新幹線での運用を終えたN700系車両のアルミ素材をアップサイクルして作られた、京都の扇子専門店「白竹堂」の扇子です。
黒を基調にしたシックな姿は、なるほど新幹線らしく無駄のない印象で、なかなか洒落ております。ただ、手に取ってみると、普通の扇子よりも少々ずっしりとしております。さすがは新幹線の車体を背負っていたアルミでございますね。風を送る道具というより、ちょっとした鉄道遺産を手にしている気分になりますよ。
とはいえ、あほまろにとって鉄道の記憶は、最新の新幹線よりも、やはり黒煙を吐きながら峠へ挑んでいた蒸気機関車に結びついているのであります。
あほまろの実家は、狩太駅、現在のニセコ駅の真ん前にありました。ですから、子どもの頃から汽車の音は生活の一部でした。朝の汽笛、夜の汽笛、線路を渡る風、石炭の匂い、ホームに響く発車ベル。今のようにスマホで時刻を知るのではなく、列車の音で一日の流れを知っていたような時代でございました。
小学四年生の頃、東海道本線で特急「つばめ」を牽いていたC62形蒸気機関車が北海道へ渡ってまいりました。日本最大級で、旅客用としては最強ともいわれた国鉄C62形。その巨体が函館本線の小樽〜長万部間、通称「山線」を走る姿は、子どものあほまろには、まるで山そのものが動いているように見えたものです。
中でも忘れられないのが、急行「まりも」でございます。
のちに「ていね」、さらに「ニセコ」へと名を変えていく列車ですが、あほまろにとっては、あの夕方の下り急行を見送る時間こそが、少年時代の大切な日課でありました。
特に胸が高鳴ったのは、ツバメのマークを付けたC62 2号機が前部補機として先頭に立ち、C62 3号機が本務機として続く、いわゆるゴールデンコンビの重連でございます。二台の巨人が呼吸を合わせ、黒煙を巻き上げながら山線へ挑んでいく姿は、今思い出しても胸が熱くなります。
夕方、その下り急行を見送ってから家に戻り、夕食をいただく。 それが、あほまろの日常でした。いま思えば、なんと贅沢な日常だったことでしょう。現代の子どもたちは、動画配信で何でも見られる時代に生きておりますが、あほまろの少年時代には、本物のC62重連が、家の前を毎日走っていたのです。これはもう、鉄道模型どころではありません。実物大の夢が、毎日、黒煙付きで通過していたのでございますよ。
時は流れ、昭和62年、あほまろの会社はC62 3号機の復活に協力することになりました。翌年、昭和63年4月29日から、函館本線の小樽〜倶知安間で、臨時快速「C62ニセコ号」として運行が始まったのであります。
しかし、あほまろにはどうしても譲れない思いがありました。C62が倶知安まで来るなら、なぜ故郷のニセコまで来れないのか。
少年時代、狩太駅の前で見上げたあのC62を、もう一度ニセコに迎えたい。
それは単なる鉄道趣味ではなく、ふるさとへの願いであり、少年の日の自分との約束のようなものだったのです。
そのため、あほまろはニセコ町と相談し、当時の地域振興策として各自治体に交付された、いわゆる「ふるさと創生一億円」を、ただ記念碑や箱物に使うのではなく、ニセコらしい夢のある事業に活かせないものかと提案したのでした。
それは、少年時代に毎日見上げていたC62を、もう一度ニセコのホームへ迎えたいという、あほまろにとっては半ば執念にも似た願いでございました。結果として、旧新得機関区から転車台をニセコ駅へ移設することが実現し、平成2年(1990)5月3日、ついに「C62ニセコ号」の運行区間は、小樽〜倶知安間から小樽〜ニセコ間へと延長されたのでありました。
あの日の感慨は、今でも忘れることができません。黒煙を上げながらC62がニセコ駅へ入ってくる姿を見た瞬間、あほまろの胸の奥で、長い年月を越えて止まっていた時計が、再び動き出したように感じました。
あほまろにとって、それは単に蒸気機関車がニセコまで走って来たという出来事ではありませんでした。
C62が帰って来たのではなく、狩太駅の前で目を輝かせていた少年時代のあほまろ自身が、もう一度、故郷のホームに帰って来たような気持ちだったのでございます。
けれども、どんな夢の列車にも終着駅はございます。 小樽〜ニセコ間を走った「C62ニセコ号」は、平成7年11月3日をもって運行を終了しました。その後、C62 3号機は将来の復活の可能性に備えて、JR北海道の苗穂工場内にある北海道鉄道技術館に保管されましたが、残念ながら平成8年11月8日付で除籍となってしまいました。
除籍という言葉は、実に味気ないものです。
人間でいえば、戸籍から消されるような響きでございます。あれほど力強く峠を越え、あれほど多くの人の記憶を運んだ機関車に対して、たった二文字で片づけてしまうとは、役所の書類というものは、いつの時代も情緒に欠けますね。もっとも、情緒ばかりで書類を作られても困りますが、それにしても「除籍」は少し冷たい言葉であります。
あほまろは、その「C62ニセコ号」が故郷ニセコまで運行された時のサボ、つまり行先板を大切に保存してまいりました。列車に掲げられていた一枚の板に過ぎませんが、そこには、少年時代の夕暮れ、狩太駅の匂い、黒煙の記憶、そして大人になってからもう一度C62をニセコへ走らせたいと願った、あほまろの思いが刻まれているのです。
このたび、北海道のわが家を閉めることになり、思い出の品々を浅草の秘密基地へ移すことにいたしました。
秘密基地に飾られたサボを眺めていると、遠いニセコの駅前に立っていた少年のあほまろが、ふっとこちらを見ているような気がいたします。
息子から届いたN700系アルミの扇子。
そして、秘密基地に飾られたC62ニセコ号のサボ。
片や、時速270キロで日本の大動脈を駆け抜けた新幹線。片や、黒煙を吐きながら山線の峠に挑んだ蒸気機関車。時代も姿もまったく違いますが、どちらも人の思いを乗せて走ってきた乗り物であることに変わりはありません。
三日遅れの父の日の贈り物は、あほまろに、思いがけず鉄道の記憶を連れてきてくれました。
息子は扇子を贈ったつもりだったのでしょうが、あほまろには、風だけでなく、遠い汽笛まで送ってくれたように思えるのです。
これから暑くなる季節、この少々重たい扇子を持ち歩くたび、あほまろは新幹線のアルミの向こうに、黒煙を上げるC62の姿を思い浮かべることでしょう。便利になった時代も悪くはありませんが、重たい扇子を仰ぎながら、重たい記憶を懐かしむのも、年寄りのなかなか贅沢な楽しみなのでありますよ。
「父の日の 三日遅れの扇子来て あおげば汽笛ニセコへ帰る」(阿呆人也)
終わりかけていた紫陽花の花も、この雨に打たれて、まるで生き返ったかのように瑞々しさを取り戻しておりましたよ。
濡れた路面に映える桃色の花房は、晴れの日に見る華やかさとはまた違い、しっとりとした風情を漂わせております。やはり紫陽花には、強い日差しよりも雨が似合いますね。
梅雨の雨は、散歩する身には少々厄介ですが、紫陽花にとっては天からの恵みなのでしょう。あほまろも、雨に文句ばかり言っていないで、少しは紫陽花のように潤いを取り戻したいものでございますよ。
一時間も遅く出かけたというのに、今朝の境内には、ほとんど人影がありませんでしたよ。
雨に濡れた石畳も、人工芝の広場も、しんと静まり返り、いつもの浅草寺とはまるで別の場所のようでございました。早朝の浅草には、観光客の喧騒も、仲見世の賑わいもなく、ただ雨音だけが境内に静かに響いておりました。
それでも、昼間になれば何事もなかったかのように、また多くの観光客で賑わうのでしょうね。雨の朝の静けさなど、ほんの束の間の夢のようなものです。
あほまろにとっては、この誰もいない時間こそが、浅草寺の本当の表情に出会える貴重なひとときなのですよ。
工事中のため、残念ながら瓜生岩子像にも近寄ることができませんでしたよ。
いつもなら、木々に囲まれた静かな場所で、穏やかに佇むお姿を間近に拝見できるのですが、今朝は少し離れたところから眺めるだけでございました。雨に濡れた緑の向こうに見える岩子像は、どこか遠慮がちで、それでいて変わらず凛とした存在感を放っておりました。
境内の整備は未来へ残すために必要なことなのでしょうが、見慣れた場所へ近づけないのは、やはり少し寂しいものですね。あほまろにとって浅草寺の朝は、歩くだけでなく、こうした像や碑に一つひとつ挨拶をして回る時間でもあるのですから。
伝法院通りのお店は、西側部分がすべて取り壊されてしまいました。
つい先日まで、そこに当たり前のように並んでいた店々が、雨に濡れた路面の向こうで、もう跡形もなく消えてしまっております。残る東側のお店も、数日中には同じように姿を消してしまうのでしょうね。
長く見慣れてきた風景が変わっていくのは、仕方のないこととはいえ、やはり寂しいものです。浅草は古いものを守りながら、同時に新しく変わり続けてきた町ではありますが、目の前で建物が消えていく光景には、時代の移り変わりを突きつけられるような気がいたしますよ。
ただし、門から先のお店は、これまで通り営業を続けられるようでした。すべてが一度に消えてしまうわけではないことに、少しだけ安堵いたしました。
雨に濡れた伝法院通りは、いつもより静かで、どこか物言いたげでございました。あほまろは、変わっていく浅草の姿も、変わらず残る浅草の姿も、これからも毎朝、しっかり記録していきたいと思っております。
あほまろは今日も秘密基地でダラダラ過ごしますよ。
今朝は開門2分半前にやって来た、野崎さん。ユーチューブで見ておりましたよ。
札幌の実家を片づけていると、大量のドル札が出てまいりました。
一瞬、「おや、これは思わぬ埋蔵金か」と胸が高鳴りましたが、残念ながら、すべてゲーム用の偽札でございましたよ。よく見ると、「THE JAPAN GAME BANK NOTE」や「FOR GAME ONLY」と記されており、どうやら本物の紙幣ではなく、遊びのために作られたもののようです。
それにしても、これだけ並ぶと、なかなか壮観ですね。札束というものは、本物でなくても人の心を少しだけ騒がせる、不思議な魔力を持っているようです。もっとも、これで買い物に出かけたら、買えるのは商品ではなく、せいぜい警察への説明時間くらいでしょうけれどね。
アメリカでは映画やゲームなどで使われる模造紙幣が多く作られているようですが、実際には本物と紛らわしくならないよう、表示や大きさ、印刷方法などに細かな制限があるのでしょう。日本でも、昔から子どもの玩具やボードゲーム用のお札はありましたが、こうしてドル札風に作られると、妙に外国映画の小道具のように見えてしまいますよ。
札幌の実家から出てきた大量の偽ドル札。
本物の財産ではありませんでしたが、これはこれで、家族の記憶や遊びの時間を物語る、ちょっと愉快な発掘品でございました。
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夕べの睡眠は90%でした。
おはようヒロちゃん。
今朝の朝の朝食は、お赤飯と焼き鳥。デザートはブルーベリーとバナナ。
妻のコレクションは、今朝逢えなかった、ウメちゃんと千草ちゃん。
昨日の東京スカイツリー。
しゅと犬くん。
あほまろお帰りなさい。
夕べの夜の夕食の晩ご飯は、タイ料理。デザートはノンアル。
妻のコレクションは、ルナちゃんと真由美ちゃん。
MemoiPhone 17 ProMAX