『つくづくと』
雨の予報でしたが散歩中に降られることはありませんでした。でも、我が家に近づいた頃から霧雨が舞ってきたようです。予報通り降ったり止んだりの一日になってしまうのでしょうね。
マリナーズのイチロー外野手、とうとうやりましたね。昨日のレンジャーズとのダブルヘッダー第2試合で大リーグ史上初の9年連続200安打、108年ぶりに記録を塗り替えたのですよ。試合後の会見でイチローは、「解放されましたね。解放というのは人(前記録保有者キーラー)との戦いというか先入観との争いですね。終わりを迎えることができたことから来る、解放です」と苦しかった胸の内を笑顔で語る表情には、喜びよりも安どの気持ちもみられましたね。なにしろ108年も破られなかった記録をいとも簡単に更新してしまったのです。これからのライバルはイチロー自身です。マイペースの一人旅、更なる記録更新にむけて頑張ってください。おめでとう!
さて、今日からあほまろコレクションの展示会が開催されます。今回は、たぶん過去に例の無い「ぽち袋」、それも大正から昭和初期にかけて創られた木版刷りばかりを展示しているのです。木版なので、使用される顔料は日本古来の「岩絵具」なので、化学合成で作られた絵の具のように変色や退色も少なく、90年以上経った現在でも、当時の輝きを失っていないのです。
これまで秘密基地で整理をし、パネルにレイアウトをし続けながら、一枚一枚を部分的に見てきたのでしたが、それを一堂に並べてみると、それまで頭に描いていた雰囲気がここまで違ってしまうのか・・・。展示を終え、客観的に会場全体を見回すと、大げさなようですが「先入観」と「偏見」の違いってのも感じてしまったんですよ。「先入観」は未知の事象に対するもので、「偏見」は既知の事象に対するもの、先入観が無くなればどんなに物事でも思った以上に進むものなんですよね・・・。
今回のコレクションは、とっても素晴らしいですよ。なぜ、こんなものにここまで凝らなければならなかったのでしょう。描く者、掘る者、刷る者はもちろん、売る者、買う者、使う者、貰う者、そして集める者。小さな小袋から、それぞれの気持ちが伝わって来るようです。
今まで、延々集め続けながらも、こんな気持ちで「ぽち袋」眺めたことがなかったんですよね。これからも様々なコレクションの整理と、それを発表する展示会が続いていくことでしょう。どんなくだらないモノであっても、変な先入観は捨て、独断と偏見でもこれだけ魅せることが出来るのですからね。
「和みのぽち袋と絵封筒展」。今日から二月間開催しております。浅草にいらした節には、ぜひぜひ「テプコ浅草館」にお立ち寄りください。
しかし、残念ながらペット同伴は禁止されています。ごめんねナナちゃんは、お留守番なんだよね・・・。でも、ナナちゃんは製作過程をしっかり見てたので、会場に入れなくても良いんだもんねと、ふてくされ。


『東京スカイツリー』

今朝は、見た目での変化は確認できません。

「和みのぽち袋と絵封筒」展「本日より開催」
遊び心たっぷりの「ぽち袋」の世界です。
これっぽちの小ふくろの中に凝らされ、思いもつかない粋なおもしろさに出会えるでしょう。 ぽち袋は小さいので、当然、中い入れるお金もちっちゃいのです。
誰が名付けたのかは知れませんが、「これっぽち」の「ぽち」から派生した言葉じゃ無いのでしょうか。
冠婚葬祭で使われる熨斗袋と違い、非公式の場所での使用に限られているため、めちゃくちゃ粋に洒落た小袋は子どもたちへのお年玉、またお使いのお駄賃など、立場が上の者から下の者にしか使うことが出来ないのが「ぽち袋」なのです。
それまでの心付けは、懐紙に包んだお捻りだったのですが、このぽち袋に変わっていった背景には、郵便制度の導入が大きく関わっているのです。我が国では古来から文章の秘密を保持する手段として紙で包んだ手紙を封紙などで封じて渡していたのでしたが、明治四年に郵便業務開始に伴って郵便局が開設、切手と共に封筒も売られたのです。
ぽち袋が始めて市販されたのは、明治15年、日本橋の和紙店「金華堂」で、それまで和紙の包みであった大入り袋の封筒版でした。その後、東京の和紙屋の「開運堂」、「榛原」、京都の「さくら井屋」などからも次々と洒落た袋が売り出され、全国に普及していきました。それに端を発したのが千社札の交換会から派生した、ぽち袋交換会でした。大正8年5月、浅草仲見世中正倶楽部開催の「江戸会」にて、始めて開催され、凝った意匠のぽち袋が登場したのも、その頃からではないでしょうか。
これっぽちの気になる小ぶくろをお楽しみください。

会場:テプコ浅草館 協力:江戸ネット
会期:2009年9月15日(火)〜11月15日(日)
休館:毎週月曜日(月曜日が休日の場合は翌日)
電話:03(5827)3800
入場無料 |