
北海道二日目は帯広駅前のホテルで朝を迎えましたが、外はまだ真っ暗なので写真は省略。下の写真は昨日の朝の旭川駅の夜明けです。

北海道は寒いと決めつけ、厚手の服装をいっぱい用意して出かけて来たたのでしたが、日中は良いお天気で暑いくらい。服装も東京都と同じで良かったようで、総てお荷物になってしまいましたよ。

ローカル線の旅二日目は、旭川からバスにて新十津川駅に向かいました。

新十津川は、明治初期に奈良県十津川村より移住した方々によって開墾された土地なので新十津川村と命名されたのでした。

今でも奈良県との繋がりは強いようで、駅横のお土産屋には、十津川村の観光案内も行われておりました。お隣の滝川市は東北からの移住者が多いとか、全国各地の文化が交じりあって発展しているのです。この辺の町こそ北海道らしさを肌で感じられるところなのです。

そんな由緒ある町から、来年は列車が消えてしまうのです。

この「札沼線」は、札幌と石狩沼田から一文字ずつ取ったもので、あほまろが北海道完乗した時は、石狩沼田から乗ったことを思い出しましたが、ここ新十津川の地には足を踏み入れることが無かったので、初訪問なのです。

列車との別れを惜しみ、新十津川の方々が、ガチャガチャの空容器を再利用したツリーがなんとももの悲しさを現していましたよ。

2016年3月のダイヤ改正で、列車の発着本数が1日1往復。この午前9時40分発が「終列車」となってしまったのです。


今日は、来年の廃線が決まった新十津川駅から北海道医療大学駅までと、この列車の終点の石狩当別駅までの札沼線の旅ですが、乗客に地元民は無く、約30名総てがカメラを抱えた同好の士でした。












札沼線の北海道医療大学駅まで、ひとつひとつの駅に別れを告げてまいりました。



石狩当別駅。同じ札沼線でも、札幌市内とその近郊を走る南側の電化区間では、日中毎時3本程度の運転本数があります。札沼線は、南北で性格が大きく異なっている路線なのです。


たぶんもう乗ることは無い「日本一の閑散路線」札沼線新十津川行きに別れを告げて、


石狩当別よりバスにて岩見沢駅に向かったのでした。
岩見沢の駅も様変わりしてしまったのに驚きました、まるで現代美術的。JR北海道さん、駅舎に無駄なお金をかける余裕なんて無いでしょう。

岩見沢駅から室蘭本線で苫小牧駅まで向かいました。

岩見沢はばんえい競馬で有名なので、ホームに馬が走ってますよ。これって、馬屋は有るのに、ホームレースだね。

岩見沢から苫小牧までの室蘭本線は、非電化のローカル線です。

かつてのこの区間、往時には、2800トン、長さにして550mにもなる長大石炭列車が行き交う室蘭本線の大動脈だったのに、今では時代に見放されたかのような静かな路線になってしまったのです。

札幌から近く、最後まで旅客蒸気機関が走っていた室蘭本線のこの区間、撮影でしょっちゅう訪れていた駅が連なる懐かしの路線なのです。

志文駅は、昭和60年3月31日に廃止された旧国鉄万字線の分岐駅ですが、駅舎は昭和63年に建て替えられて小さくなってしまいましたね。

昭和60年3月23日、旧国鉄万字線最終列車の駅は複線で、風格ある跨線橋も有ったのですよ。

看板の後ろが万字線ホーム、もうレールも取り外されてました。
ここから単線区間でしたね。

列車は水田の中を貫いて走るのです。

万字炭鉱がなくなって栗沢駅も小さくなってしまったですね。ここにも立派な跨線橋がありました。


栗丘駅で往時の面影が残しているのは、木製の跨線橋だけでした。

栗山駅は大きな有人駅です。

平成12年2月に駅舎が建て替えられ、音楽・演劇・美術などの創造空間を併設した立派な駅件文化施設「くりやまカルチャープラザEki」。過疎化する駅を中核としたまちづくりとして、今後の駅の在り方モデルとされているとか。

旧駅舎は明治25年開業当時の駅舎を昭和3年に改築した文化財級の立派な駅舎で
したが、平成18年8月に解体されてしまいました。

古山駅。

石炭産業が華やかだったころの名残で、ここから苫小牧駅までは複線区間となっています。

三川駅。

立派な駅舎ですが、無人駅です。

室蘭本線唯一の国境で、随一の山越え路線。

追分駅は国鉄最後の蒸気機関車の有った駅です。追分には再び戻って来るので、ここでは省略。

安平駅。

室蘭本線共通仕様の駅舎ですが、無人駅。石勝線の西早来信号場が有る駅です。

早来駅。

平成元年に物産館を併設する駅舎に建て替えられ、乗車券は物産館で販売する簡易委託駅です。

遠浅と言っても海ではありません、アイヌ語のトアサム(沼の奥の意)、またはトサム(沼ノ端の意)が転訛した言葉の漢字表記で、開拓は明治20年代に始まった酪農地帯です。

ここからスケールの大きな構内に入ってきました。

沼ノ端駅。
上り線は島式ホームとなって、鵡川方面に分岐していた北海道鉄道の名残とか。有人駅ですが、簡易委託駅です。

そして苫小牧駅。ここから日高本線に乗り換えました。

現在普通になっている日高本線の鵡川駅を往復するのです。

日高地方を太平洋に沿って走っていたJR日高本線は全長146.5kmのローカル線。2015年に高波で甚大な損害を受け、現在は鵡川から様似まで代行バスが運行されております。

今回は、とりあえず列車区間の鵡川駅までの約30kmを往復しましたが、苫小牧からの乗客はローカル線としては多いようでしたね。

鵡川〜様似間116.0kmについての復旧は断念しましたが、苫小牧〜鵡川間も含まれそうですね。

苫小牧を出発して次の勇払駅までは、全国一長い直線区間です。
途中の室蘭本線と7kmも並行し、ようやく右にカープを切って日高路へ針路をとり、最初の停車が勇払駅。

勇払から遠くに海を望みながら漠とした原野がどこまでも続くのです。

厚真火力発電所や石油備蓄基地を遠望
しながら進みます。

浜厚真駅。
駅舎はお馴染みの車掌車改造の無人駅。

乗降者は無し。

国道沿いにブロック造の小さな待合室があるだけで、何もない浜田浦駅。

そして終点の鵡川駅。

苫小牧から途中駅は3個箇所だけと少なかったけど、真っ直ぐ30kmも走って来たのでした。

跨線橋のない対向式ホーム。構内が広いのはかつての富内線の分岐駅だったから、富内線は昭和61年10月31日をもって廃止となりました

駅舎は翌年「鵡川交通ターミナル」として建て替えられ、駅の窓口は2006年8月限りで廃止されたので、きっぷはキヨスクと自動券売機で販売する簡易委託駅です。

列車は、約10分停車で折り返し苫小牧行となります。運転手も往復でした。

帰りの乗客も行きと同じく30名ほどでした。

日没迫る荒野を一直線に戻ってきたのでした。



再び、苫小牧到着。


一旦降りて次のキップを購入。

苫小牧駅から室蘭本線で追分駅まで。
この列車の始発糸井駅は苫小牧から室蘭寄り一つお隣駅です。


頻繁に特急列車が行き交う室蘭本線は苫小牧まで、ここから一転して、沼ノ端からは非電化のローカル線となってしまうのです。

先ほどの沼ノ端、遠浅、と戻ると、やがて左後方から石勝線の線路が近づき、オーバークロスして3本線路となります。

薄暗くなってしまった追分駅です。

追分は室蘭本線と石勝線が交差する駅。ここから石勝線の特急に乗り換えて帯広に向かうのです。

追分はかつて、大きな機関区が有った駅、昔は何度も訪れましたが、現在はひっそり佇み、過去の面影はみじんも感じられませんでしたよ。

石勝線の特急「スーパーとかち」に乗車しました。

実は、あほまろが北海道を完乗した時には、まだ石勝線が開通していなかったので、今回が石勝線初乗りとなるので、占冠もお初駅ですね。

新得で、石勝線から根室本線に入ります。

北海道の特急の車内がガラガラだったのは良いけど、窓が汚いのは最悪でしたよ。

帯広駅に到着。

長かった一日が終わりました。

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観光用の馬車が走る帯広。

さて、今夜は何を食べようかな。

そりゃ、北海道に来たらこれっきゃ無いよね、ジン、ジン、ジンギスカン。

Memo
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