夜中に何度か目が覚めて窓を覗くと、盛岡駅を出発するところ、次の目覚めが八戸駅だったので、6時間近く熟睡できたようですね。

6:53 八戸駅出発。ちょうど日の出時間のようなので、着替えて展望車に行ってみました。

若い頃から何度も往復した東北本線、今では青い森鉄道と変わりましたね。眠たい目を擦りながら夜行列車の車窓で眺めた学生時代の辛い朝焼け、あれから約50年の歳月が経ち、快適な目覚めで望む朝焼けのなんと素晴らしいことでしょう。これも辛く長かった仕事を成し遂げた者が望める証なのでしょうね。

東北の地を眺めながら思い出す。「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る(石川啄木)」、あなたとは異なった人生を歩んで来たので、あほまろは豊かな手なのですよ。


そろそろ朝食の時間です。部屋に戻って女房を誘ってラウンジに行きましょう。


朝食は、食材、器ともに岩手県産にこだわった料亭「駒龍」のおもてなし。

黄精飴などのお菓子は岩手県産でも、コーヒーだけは岩手じゃ採れないでしょ。おもては無くても、裏はあるものなのさ。

朝食後に再び展望車に戻り、車掌さんと無駄話。
今回のお客さんは、ほとんど展望車を利用されないので寂しかったですよ。どちらかと言えば話し好きの車掌さんは九州男児、しゃんべりだすと止まりません。





8:32 青森駅到着。 どこの駅でも歓迎のお出迎えが行われるのです。早朝から大変ですね。

ホームに赤い絨毯を敷いて降車の準備。

青森駅の駅長さんもやって来ました。

最初に出てしまったので、ちょっと恥ずかしいかも。


みなさんねぶたの前で駅長さんと記念撮影を行っておりましたが、シャイなあほまろはその様子を見てただけ。

青森駅の思い出は、いつも眠たかったのと、長いホームを走ったことですよ。何で走ったかは、行きは連絡船の寝られる席を確保すること。帰りは急行列車の座席を確保すること。学生時代のことですが、いつも思い出してしまうほど辛かったんだから。

青森駅から、太宰治ゆかりの地の金木まではバス移動でした。

最初は太宰治の生家「斜陽館」訪問です。

あほまろが学生時代に来たことがありましたが、すっかり記憶の外。確か、あの頃は旅館だったような。



太宰の家の向かいのみちのく銀行も、太宰家の津軽無尽の名残らしい。

当時は無尽でかなり儲けていたようだけど、衰退したのはきっと名前のせいかもね。

派手な暮らしは、いつの間にか斜陽になるものですよ。


斜陽館の館長さんの解説で巡りました。


太宰はやんちゃで、乳母に育てられ・・・、小学校六年間は全甲で首席を通したとか伝々。


それにしても、仏壇まで良く残っていたものですね。

無尽(銀行)の応接室。

無尽(銀行)の受付。



でっかい金庫。



広い室内を行ったり来たり
、大皿も呆れてました。

向こうは外であります。

こちらは室内であります。

こちらは階段であります。

階段には手すりが設けられておりますが、その佇まいが当たり前ではありません。
きっと太宰治がこの手すりを滑り降りるので、途中を痛くしたのかも。

上がると2階であります。

お部屋の襖に「斜陽」の文字を発見。これで斜陽館と命名されたのでしょうね。

2階から1階が見えるのは当たり前でしょうか。いえ、これがこの家の特徴なのであります。

それを知らずと、失格です。

外は雪。

外観は和風で室内は洋館の斜陽館を後にしました。

太宰には興味が無い、ようやく目的に辿り着いたのでありました。津軽鉄道金木駅。

津軽21形がやって来ましたが、これは目的ではございません。

太宰治生誕110年のヘッドマークが取り付けられております。

もうちょっと綺麗にしても良さそうなもんだけど・・・。汚すぎ。

ストーブ列車を牽引するDD350形が入ってきましたが、これも汚い。


客車は元国鉄 オハ46 2と、

四季島のサボを付けたオハフ331

その後ろに津軽21形も牽引されておりました。前の客車がストーブ列車で、後ろは一般利用者のために、ストーブ列車料金不要のディーゼル車両が連結されています。
ストーブ列車に乗るには、運賃に加えてストーブ列車料金400円が必要となるので、学生は乗りませんよね。

ストーブ列車に入ってみましょう。

室内の掃除は行き届いてますが、なにしろ古い客車なので、それなりの汚れは仕方ないですね。

客車にダルマストーブをつけて暖房とした客車ですが、戦時中の物資欠乏時は中止していましたが、戦後昭和22年より再びストーブ列車を運転し現在に至っているとのことです。

現在運行されているストーブ列車は元国鉄払い下げの4代目の客車で、座席を外してだるまストーブを設し、煙突設置などの改造がなされておりました。

一両に2基のだるまストーブが設置され、係のおねえさんがスルメを炙ってくれるのですよ。


スルメだけじゃありませんよ。おねえさんの津軽弁で五所川原と周辺の案内を聞きながら、ストーブで燗を付けたお酒も呑めちゃうのです。

毎日三往復もスルメ焼いてるから、オレ日本一のスルメ焼きだべ、まだ喰うか?

おねえさんのネーティブな津軽弁がたまりませんでしたが、何を喋ったか忘れてしまったし。

しょっちゅでて来た言葉、へば、へば、しか残ってませんでしたが、ひょうきんな津軽弁に地元愛を感じましたよ。

四季島のクルーもお手伝いをしてましたが、四季島の車内でも津軽弁のサービス、へばおめも喰うか、とか喋れば旅はもっと楽しくなるかもよ。このおねえさんをスカウトしたら。

おしゃべりなおねえさん、いちど東京で暮らしたことがあっけど、誰も言葉を理解してくれないからいつの間にか無口になってしまったとか、スルメよりとっても楽しいおしゃべりが最高だったよ。



途中の駅に、テレビのイベントでペイントした車両が雪に埋もれてました。

スルメ炙りも一段落。おねえさんもお疲れさまで頂きましょうね。

スルメを炙ってお酒を一杯、パチパチと音を立てて炙られるスルメとレトロなストーブが冬の津軽旅情を満喫させてくれた小枝美知子さんありがとうございました。ビデオで撮れば良かったかも。

四季島のサボを取り付けているので、通常のサボはお休み中。

みなさん記念に持たせてもらいましたよ。

スルメ炙りが一段落すると、車内販売がやってきました。

今回は特別なので最初からスルメの用意はありますが、普段は車内販売で購入して、自分で炙って食べるのが本来の姿なのです。

車内販売のおねえさんもへば、へば、勿論津軽弁。

スルメ以外に石炭グッズもありますよ。

あほまろは、津軽鉄度の使用済み硬券切符の束を500円で購入しました。
そろそろ終点の津軽五所川原が近づいてきました。

えぇ、まだ喰いたいって!

急がなくちゃいけないねと、

やさしい小枝美知子さんは石炭をくべて、到着ぎりぎりまで炙ってくれました。

津軽五所川原に到着です。



折り返し運転なので、機関車の付け替え作業が行われておりました。


津軽五所川原駅でも歓迎されましたよ。四季島の立ち寄り先は地域の宝物ですね。

旅の記念に入場券を買いました。硬券でしたよ。

お隣のJR五所川原駅でも入場券を購入。

バスで五所川原名物、立ねぶたの館。

ここのかけ声は、やってまえやってまえ、やってまえ!けんか腰だね。

立ねぶたは、10メートル以上もあって迫力満点でした。

再びバス移動で、弘前の藤田記念庭園。

庭園を見るワケじゃ無く、ここでイタリア料理を頂くのです。

イタリアンの「オステリア エノテカ ダ サスィーノ」の笹森道影によるランチでした。青森を代表するシェフで、彼を知らないとモグリの弘前人とまで言われている有名人のようですが、あほまろは知りません。

これも青森を代表する地ビールのようだけど、今まで一度も美味しい地ビールに出会ったことがありませんのですけど・・・。

良く解らないパスタとか出て来たけど、せっかく青森に来たのだから、久しぶりのお蕎麦が食べたかったな・・・。

ようやく弘前駅に戻ってまいりました。

弘前といえば、りんごなのに、

ゆるキャラは弘前城のようでした。

15:45 弘前出発です。

四季島は青森駅より回送されておりました。

見送りは弘前の有名な笛吹童子らしい。

どんな曲を奏でていたのか、忘れました。



弘前を出た四季島は、浪岡駅、大社歌駅から再び青森駅に戻るのです。

疲れたので、ちょっとお休み。




青森駅を出ると最後の夕食が始まります。今度はちゃんと正装しましたよ。

まずはビールで乾杯。

今夜の料理は総料理長の岩崎均氏による「四季島」が走る土地ならではの食材を使ったフランス料理でした。

こんなのとか、

あんなのとか、

そんなのまで頂きて、芋焼酎かっくらって熟睡。
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