
「ななつ星」二日目の朝は阿蘇駅で迎えました。ここまで来ると夜明けが遅くなってますね。いつもの時間に目覚めると辺りはまだ真っ暗なので、明るくなるまでベッドで横になっておりました。

昨夜は午前7時半頃には夕食を済ませて部屋に帰るとシャワーも浴びず、まだ列車が停車中にベッドに入ってすぐに熟睡してしまったのでした。別府駅出発は21:59。

ガタガタと急な揺れで目が覚めてしまいました。時計を見ると午後10時ちょっと過ぎた頃なので、日豊本線から豊肥本線の非電化区間になった途端に揺れが激しくなったのかも知れませんね。

今月2日の台風24号で阿蘇〜大分大学前間と阿蘇〜三重町間が不通になってしまったので、「ななつ星」のコースが変更されるのでは無いかと心配していたましたが、どちらも数日で復旧されたので安心しましたよ。

しかし、2016年4月の熊本地震で不通になっている肥後大津〜阿蘇間27.3kmは、現在も復旧に向けた工事が進められておりますが、開通は未定とか。今回は阿蘇駅までなので運行に支障はありませんが、早急な全線開通を願いたいものです。

薄暗いホームに停車する車体の写真を撮っているうちに、ようやく陽が昇り始めるようです。時計を見ると午前6時半、ナナちゃんの居る浅草ではちょうど浅草寺の開門時間なので、犬友だちがお参りしている時間で、あほまろも朝日に向かって手を合わせて、旅の安全を祈願したのでしたが、

車体に反射する朝日を写したかったのですが、太陽はなかなか姿を現してくれません。

もうちょっと陽が昇るまで待っていたかったけど、これから専用バスで阿蘇山の草千里に出かけることになっているのです。

草千里観光組は既に駅前に集合されているようなので、後ろ髪を引かれる思いで改札を後にしたのでした。

あほまろの到着を待つかのようなタイミングで「ななつ星」専用バスが駅構内に入ってきました。

朝日はバスの中から望めましたが、車体に反射する光景はこの何倍も素晴らしかったでしょう。草千里観光を中止すれば良かったと、真剣に思っていたのでありました。

返す返すも残念で、この時はクルーのガイドなんか全く耳に入りませんでしたよ。

バスの車窓よりボーッと阿蘇の朝日を眺めていると、

地元のガイドさんが今朝は珍しい雲海が出てますよと、大声で騒いでいるではありませんか。

バスを停めて外に出てみると、目の前の阿蘇五岳が雲海に浮かんでいるような光景に絶句。


この時に限って広角レンズを置いて来たのが悔やまれましたが、地元の方も数年に一度お目にかかれかどうかの雲海だったようでした。

雲海が出現する朝の条件は、前日に雨が降り気温が下がり、日の出時に風が吹かずに気温が上がると、このような雲海が出現するそうで、ガイドさんは盛んに運が良かったのですの言葉を繰り返しておりました。確かに運が良かったのでしょう。でも、あほまろは「ななつ星」の朝焼けと、阿蘇の雲海、両方を見たらもっと幸せだったでしょうね。

こちらが草千里であります。

草千里とは阿蘇五岳の一つで、烏帽子岳の北麓に広がっている火口跡付近にある785,000平方メートルの大草原と、雨水が溜まってできた池とが織りなす自然が一面に広がっているのです。

ここでは放牧された牛や馬を見ることができますが、この時期から寒さが厳しくなるので、防寒具が必要ですね。あほまろは普段着で行ってしまったので、とっても寒かったけど、馬は寒く無いのでしょうね。





あほまろはちょうどこの時期の草千里でCM撮影をしたことを思い出しました。26年前のあのCMで、始めて監督自ら出演してしまったのです。監督って?もちろんあほまろですよ。

「火の国」阿蘇を代表する絶景スポットならではの圧倒的スケール感はが絵になるので、ついつい出しゃばってしまっただけでした。



とっても冷えておりましたが、約30分間、気持ちの良い朝の風景を漫喫して帰路に着きました。

雲の合間から見え隠れする太陽から伸びる天使の梯子。

車窓からではありますが、綺麗ですね。

阿蘇の象徴として親しまれている「米塚」が見えてきました。
米塚は噴石が積み重なってできた火砕丘で、標高954メートルで高さ80メートル。裾野の直径は約380メートルで頂上に直径約80メートルの火口跡が残っています。約3千年前に形成されたとされ、噴火は1700年前だったとか。

火山としては国内で初めて国の名勝に指定され、天然記念物なのです。阿蘇山噴火史の特質を示す火山として重要な山なのに、何で「米塚」なのでしょうね。

陽が昇るに従って雲海はどんどん消えていきました。雲の下に阿蘇市街が見えて、きました。


車窓から撮った、こんな天使の梯子もステキですね。

街に降りてくると、正面の阿蘇駅に停まる「ななつ星」。

あそと聞くと、昭和天皇さまを思い出すのって、失礼なことですよね。

阿蘇駅出発10:00なので、まだ充分時間があるのです。

今回も阿蘇駅の犬の駅長室くろちゃんにはお逢いできませんでした。絵だけ見ると「くまもん」みたいですね。

寒いからと、列車の部屋で待期していた女房を迎えに行き、これから朝食です。


朝食は阿蘇駅に隣接した「火星食堂」です。

食堂の名前が何で火星なの? 火の国だからに決まってるでしょ。それじゃ太陽でも良かったじゃ無いの。
難しい質問です。この「ななつ星」の局面での太陽は果たして星なのか・・・。

列車を望みながらの朝食って、プチ贅沢。

いやいや、れっきとした贅沢です。だって、この食堂は「ななつ星」のためだけに創られたのですから。
ここは九州ですが、標高が高いので既に紅葉が始まりかけておりましたよ。


食後は駅の周りの散策でした。







阿蘇駅のホームは短いので、機関車部分はホームからはみ出した位置に停まっておりました。

「ななつ星」の機関車は、九州仕様に改装されたDF200形ディーゼル機関車で、川崎重工業にて製造され、外装は、77系客車同様の「古代漆」を基調とした光沢のあるロイヤルワインレッドの塗色が施されているのっです。

連結器はJR貨物所有機の自動連結器から密着自動連結器に変更され、これとともに連結器の緩衝器がダブルアクション式の緩衝器に改められ、列車引き出し時や制動時に客車に伝わる衝撃を緩和する機構が追加されているのです。

金色に輝く列車のエンブレム。


阿蘇駅より始発列車が出て行きました。

JR九州キハ125形気動車は、新潟鐵工所が製作した地方鉄道向けNDCシリーズの標準的車両。

熊本駅に隣接する道の駅がオープンしたとの案内で行ってみました。

道の駅には近隣農家で採れた新鮮な野菜が並んでますが、旅行中なので持って帰ることも出来ないので、記念にくまモングッズを購入いたしました。

「ななつ星」の旅に同行したナナちゃん、ヒロちゃん、ヤマト君の化身。

ここから機関車の位置が変わるのですが、夕べの雨でせっかくの窓も汚れてしまったのが残念。

これから機関車の入れ替えが始まります。

機関車は我々の7号車を離れて行きました。

入れ替えを見るためにホームに降りました。

入れ替え作業はクルーで車掌の古川氏のお仕事、運転手と無線で連絡を取りながらスムーズに行われました。

ガチャン!

はい完了。

阿蘇駅10:00出発。阿蘇・竹田観光組は7:50にバスにて出発しており、途中の豊後竹田駅でピックアップするのです。

あほまろも観光はしたいけど、こんな素晴らしい車窓を離れるワケ無いでしょ、

もちろん列車滞在で、豊肥本線のビデオと写真を撮りまくりました。

豊肥本線は、大分駅から熊本駅に至る路線で、「阿蘇高原線」という愛称が付けられているほど風光明媚な路線なのです。

しかし、2016年4月の熊本地震で甚大な損害を受け、肥後大津駅 - 阿蘇駅間は今も不通となっており、全線復旧の目処は立っていないのが残念ですね。

あほまろは豊肥線には昭和43年頃に一度だけですが全線乗りました。

今回は大分駅から途中の阿蘇駅までの往復だけですが、それも二度目となるのです。





大分県との県境付近から何本ものトンネルを通り抜け、10:43豊後竹田駅に定時到着。

豊後竹田は、瀧廉太郎の「荒城の月」で有名な岡城の町ですよ。

前回、駅裏に「落門の滝」という滝が流れていて、プラットホームから見えていたのですが、

残念ながら今期は流れてませんでした。

この大地の上に岡城があるはず。CMのロケで数回訪れた町なのです。

豊後竹田駅は開業当初から読みをは「ぶんごたけだえき」と濁音でしたが、竹田の地名の読みとは異なるとのことで、昭和44(1969}年10月1日に現在の「ぶんごたけたえき」に改められ、ちょうどその年に始めて訪れた町です。

豊後竹田駅発11:04、21分停車なので、地下通路を通って駅舎に出てみました。

せっかく立ち寄ったので駅猫「ニャー」に逢いたかったけど、お出かけ中で残念。記念に入場券を購入しましたよ。

何度見てもステキな駅舎ですね。

豊後竹田のマンホールを探して歩いてみたけど、駅前で見付けることが出来ませんでした。

駅前に田能村竹田画伯の碑と歳寒三友双鶴図。 これ、前回来た時には無かったような・・・。

豊肥本線に沿って流れる大野川。


駅前を散策していると、立ち寄り観光のバスが戻って来ました。

あぁ、駅猫「ニャー」も戻ってましたよ。この子は、10年近く駅に住み着いて観光客の癒しとなっていた老猫で、2017年9月、豊後竹田駅の観光案内所長に就任し、今年、2018年3月には、豊後竹田駅の駅長就任したとか。この時はご機嫌斜めで、シャー!と威嚇され写真を撮らせてもらえませんでした。

11:04豊後竹田駅出発。可愛い子どものお見送り。

JR九州のホームページによると、クルーズトレイン「ななつ星in九州」は木やファブリックを様々にあしらい、 和洋・新旧融合の国内最上級の洗練された空間でみなさまをお迎えします。と記されているように、車内の総て和洋折衷で、どれも違和感無く配置されているのが楽しいですね。

お部屋のスタンドは柿右衛門で、鍵の部屋番号の裏は組子細工が施されているのです。

部屋の小物も総て組子細工、これもこだわりですね。


701号室の居間部分です。この部屋を独占できる贅沢な幸せ、じっくりご覧あれ。








今回は小型三脚でビデオの撮影をしたのですが、揺れが激しい所で倒れる危険が有り、ミネラルフォーターが置かれていた滑り止めのコースターの上に直置きしてみたら、全く滑ることも無く撮影が出来ることを発見したので、翌日よりその方法で撮影を続行いたしました。
そろそろ豊肥本線ともお別れです。

12:20 大分駅到着。1時間22分の停車時間なので、外に出てみました。

大分駅も水戸岡氏の設計なので、天井の雰囲気も「ななつ星」ですね。

5日前には、この駅から「或る列車」に乗ったのでしたが、この5日間に様々な事がいっぱい有ったので、遙か昔のことのように思えてしまうのでした。

今日も気持ちの良い晴天なので、もうちょっと大分の街を歩きたかったけど、13時からの食事の時間が迫っているので駅周辺を歩いただけでした。


ホームに戻ると、機関車の入れ替え作業中で車内に入ることができませんでした。



大分駅に停車中に昼食をいただきました。


昼間から飲酒はいけないので、由布院麦茶にしましたよ。

食事中に特急「ゆふいんの森」に先を越されました。



特急「ゆふいんの森」は、水戸岡鋭治氏のデザインによるJR九州最初のD&S列車(観光列車)として1989年に運行を開始した列車ですが、あほまろはまだ乗ったことは有りません。

大分より久大本線にて由布院までは7号車が先頭なので、眺めが悪くなってしまうけど、僅か1時間半ほど我慢しましょうね。

由布院到着14:32。

ありがとう。明日また車内でお逢いいたしましょうね。

バイバイ!

行ってらっしゃいませ。

由布院のお宿は、前回と同じ「亀の井別荘」です。

今回はガイドツアーには参加せず、女房とふたりで由布院の街を歩き回りました。

由布岳。

金隣湖。

由布院には何度も訪れていますが、紅葉の時期は始めてですね。


人なつこいガチョウ、餌をおねだりしているようでした。

由布院は野良猫の覆い街で、みんな去勢をされ地域猫として可愛がられているのです。

でもね、みんなが去勢されると、そのうちに猫が一匹も居なくなってしまうのでしょうね。

由布院のメイン通りは大勢の観光客で賑わっていましたが、聞こえて来る言葉は中国語と朝鮮語ばかりなり。いったいここは何処の国なのでしょう。


食堂「なるみ」発見。

特別な意味も由来も無く、ただレトロな雰囲気だけ。

由布院駅も水戸岡鋭治氏のデザインなので、真っ黒駅舎。どの駅舎もあまり良いデザインとは思えないの、あほまろだけでしょうかね。

列車が着いて人降りて、

降り終えたら誰も居なくなるのは当たり前。

おや、まだ「ななつ星」が停まっていますね。

これから大分に帰るはずなので、先頭にはDE10が着いているはず。

先頭車を観に行こうとした途端に、発車してしまいましたとさ。

駅前通りを歩いて帰るつもりが、

途中の川原を延々埋め尽くすコスモスに誘導されて、





我々は、いったい何処に居るのか解らなくなってしまったのでありました。

はっきり言うと、迷子ですが、


時間も有るし歩いていれば何とかなるのでしょう。


と、再び駅の近所まで来てしまうと、ななつ星のバスが停まっていました。きっと、クルーの方々はこのホテルに泊まられているのでしょうね。

迷った時は振り出しに戻るのが一番です。再び駅前通りを戻って、

野良猫たちに別れを告げて、

約3時間歩き回った疲れと共に、

見慣れた宿にたどり着きました。

今夜は温泉に浸かって、揺れないお部屋でゆっくりお休みいたしましょ。

Memo
SONY α9
SONY FE 12-24mm F4 G
SONY FE 24-240mm/F3.5-6.3 OSS
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