急に思いついて、久しぶりの旅に出かけることになりましたが、何故、世の中お盆休みの直前のこの日を選んだのかは、混雑する11日から20日までは大人の休日倶楽部の割引が効かないことで、ぎりぎり直前を選んだわけ。

それと、天気予報によるとこの二日間は良いお天気に恵まれるとのこと。のんびりひとり旅を楽しみたかったのけど、病み上がりの身体を気遣って、全行程に娘が着い来るのであります。台風の影響で混雑しているかも知れないと、我が家を早く出過ぎたため、一本早いあずさ51号に変更しました。新宿駅発7時14分ー小淵沢駅着9時30分です。

小海線の観光列車「HIGH RAIL 1375」に乗る予定で事前に指定券を購入しておきましたが、かなり混雑しているようで、離れた席しか空いていませんでしたが、フリースペースも有るようなので、乗ってからなんとかなるでしょうと、お気楽ですよ。

あずさの車内はこんなガラガラなのにね。

心配した台風は昨夜無事に去って一安心。陽が昇って来ると山々から水蒸気が上がっておりましたが、色つきガラス越しなので色はおかしいですけどね。



このあずさは停車駅が多いですが、急ぎ旅じゃ無いのでのんびり行きましょう。




小淵沢駅着9時30分定時到着でした。バイバイあずさ、汽車は出て行くのに煙は残らない。

向かいのホームに、小海線の普通列車が停車中。

ガラガラの普通列車を見ていると混雑している「HIGH RAIL 1375」なんか払い戻して、普通列車の旅にの方が楽しそうですね。

小淵沢駅9時57分発、小諸駅着12時16分普通列車に乗ると、「HIGH RAIL 1375」より15分早く小諸駅に着くので、小諸で「HIGH RAIL 1375」を待ち構えることにしたのでした。
小海線の別称は「八ヶ岳高原線」なのです。

キハ110形119の車内。

発車10分前までは2両ともガラガラ。発車時間になると10名ほど乗って来ましたが、ほぼガラガラに違いはありませんでした。

小海線は蒸気機関車の撮影で数回訪れた路線ですが、あれから40年も経って沿線はすっかり記憶の外であります。


かつての名曲、「高原列車は行く」を口ずさんでしまうあほまろは、古い人間なのでしょうか。

♪汽車の窓から ハンケチ振れば 牧場の乙女が 花束投げる・・・、ラジオからこの歌が流れて来ると思い出すのが小海線のC56でしたよ。

キハ110のエンジン音も快適に、高原も難なく昇って行くのでありました。

清里駅の標高は1274メートルですが、線路は更なる高さを昇って行くのであります。

清里駅前に懐かしのC56149が展示されていますが、停車時間が短いので降りませんでした。

最後尾に小型三脚で小型ビデオを設置して撮影をしたのですが、約15分で熱暴走で止まってしまうのです。これじゃ次のななつ星では使えないようなので、熱対策を考えなくちゃいけませんね。

こちらが最高標高1375メートル地点で、JR最高地点には記念碑と鉄道神社がありますが、列車は停車してくれません。「HIGH RAIL 1375」ならきっと停まって解説もしてくれるのでしょうね。それにしても、東京スカイツリーの2倍以上の高台を列車が走っているなんて、凄いことですね。
そして、この場所でおじいさんと一緒に写真を撮っていたお子さん、なんと翌日もお逢いすることになったのです。翌日の記録をお楽しみに。

ここには、野辺山宇宙電波観測所と野辺山太陽電波観測所の2つの施設があり、日本最大45メートル口径の電波望遠鏡が設置され、列車から望むことが出来るのです。

野辺山駅到着。

野辺山駅の標高は清里駅より高い、1345メートルでした。

野辺山駅の近くの「野辺山SLランド」では、軽便の蒸気機関車が走っているようですが、行ったことはありません。

Videoの熱暴走も直りましたが、いつ止まるか解らないので、怖くて長時間は使えませんね。


小海町の「森の妖精プティリッツァ」は、豊かな自然環境とすべての生命を大切にする温かい心のある土地にしか住めないと言われている北欧の伝説の森の妖精、それがなんでこんな所に飾られているのでしょうね。

小海駅で10分停車。学生が10名ほど乗って来たので、結構大きな町なのでしょうね。




小海から高原を離れて走る。八ヶ岳高原線であります。

あのロケットみたの何ですか? 地図を調べると、「稲荷山の山頂にそびえたつ、ロケット型展望台。高さ40m。展望スペースからは360度見渡せます」とのことでした。

佐久平の新幹線をまたぐと、そろそろ終点に近づくのです。

美里駅前に乙女がひとり佇んで、

お隣の乙女駅には誰もおりませんでした。

終点小諸駅に定時到着でした。

小諸駅には、昨年の12月、しなの鉄道観光列車「ろくもん」で降りた時以来です。

あの時はここ、一番ホームでした。

どこかで効いた曲が、これたぶん、長野県歌「信濃の国」ですね。

長野県人はみなさんご存じの歌で、学生時代に長野出身の同級生からいつも聞かされ、脳裏に残されていたのです。

小諸駅で15分後にやって来る観光列車「HIGH RAIL 1375」を待ちましたが、良い撮影ポイントを見付けられずに、こんな写真になってしまいましたよ。





さすが満席、大勢の方が降りてこられました。

こちらは小諸の「マンコレ」。

こんなのも発見しました。

駅では農家の方が新鮮な野菜が売ってましたが、お腹が空いてもそのまま食べるワケにはいきませんね。お昼は上田で食べましょう。

派手なコカコーラ電車がやって来ました。小諸発 12時58分で上田着13時29分です。

コカコーラ電車は若い子に人気なようで、みなさん写真を撮ってましたよ。

この列車は、「しなの鉄道で115系の動く博物館を完成したい!「コカ・コーラ」レッドカラーで実現」プロジェクトによると、
「国鉄時代から続く信越本線を引継いだしなの鉄道。115系車両で初代長野色、湘南色、横須賀色を復活させ、勢揃いと思ったが、30年前の「コカ・コーラ」レッドカラーの電車が足りないと判明。皆様のご支援のもと、「コカ・コーラ」レッドカラーの電車を実現し、115系の動く博物館の完成を目指すプロジェクトです。」

約30年前信越本線を走っていた「コカ・コーラ」レッドカラーの電車の再現しようと、昨年(2017)10月1日にしなの鉄道開業20周年を迎える記念事業として、地元の方々や鉄道ファンより募金を集めて115系の「懐かしい車体カラー」を次々に復活させているのです。

4月に「初代長野色」、5月に「湘南色」、7月に「横須賀色」が甦り、現行の「しなの鉄道色」「長野色」「観光列車 ろくもん」を合わせると6色が走っていて、まさに115系車両の「動く博物館」になっているとか。
そうはいっても、内部は吊り広告だけで内装はそのままでしたけどね。

コカコーラ塗装の電車は子どもたちに人気のようですね。

そんな特別な電車で、小諸から上田まで約20分でした。


上田駅到着。

北陸新幹線、しなの鉄道、上田電鉄別所線が通る、信州路の玄関口であります。

上田はいつも通過だけで、駅に降りるのは始めてでした。

さっそく上田の「マンコレ」。マンホールも六文銭ですね。

遅めの昼食です。本場の信州そばが食べたくてお腹が空いても我慢していたのでした。

でっかい七味入れに驚かされたけど、さすがにお蕎麦は本場仕込みですね。

車窓からいつも気になっていた上田城に行ってみました。

列車から見えているのですぐ側だろうと早合点し、炎天下を延々歩いて結構遠かったのです。

この日の気温は36度、到着はしましたが疲れてしまって、もう何もしたくない気分。


観光地なのに観光客は少なかったけで、せっかく来たので、とりあえず博物館との共通入場券を購入して見学しましたよ。

城址と言えど、当時からの凝っているのは石垣ばかり、建物は総て近代物でありました。


これら総ては、NHKの大河ドラマのなせる技。

総て空想大河ドラマの悪ふざけなんだよな・・・。

とりあえず料金を支払ってしまったので、靴を脱いで櫓の中に入ってみたけど、

展示品も総てレプリカ、想像品。
戦前の櫓は遊郭として使われていたようなので、遊郭のまま残してもらった方が嬉しかったかも。

櫓の中は眞田神社になっておりました。

暑い中やって来たので、十円玉六枚放り投げ、娘と家内安全のお祈りをいたしました。


博物館は見ただけ。

熱中症になりそうな猛暑でしたが、近所にお茶する場所も無く、急いで駅まで戻りましょ。

もう充分巡った。

蕎麦を食べたばっかなので、喉渇いたけど食堂には入りません。だって、もし入ったら絶対にビールを呑んでしまいそうだから。

娘が一緒なので、我慢我慢。

我慢をしたらやたら食堂が目に付くようになってしまうの、気のせいなのでしょうね。

上田駅も大河ドラマ効果で悪ふざけ。

これから我々が利用するのはこちら側。

上田電鉄別所線であります。急いで戻って来たので、15:41に間に合いました。

上田電鉄のマスコットは「北条まどか」。上田女子短大の学生が車内で観光ガイドをしてくれるようですね。

ホームから新幹線を望んでいると、

上田電鉄もやって来た。

上田電鉄別所線といっても、他の路線はありません。

かつては、別所線のほか西丸子線・丸子線・真田傍陽線の計4路線48.0kmに及ぶ路線網を有していたのでしたが、現在は別所線11.6kmのみ。

やって来た派手な電車は6000系「さなだどりーむ号」。

解説によると、『平成27年3月28日デビュー。真田の赤備えをベースとして外装をラッピングした。愛称募集には353件の応募があり、上田市民の思い、夢を乗せて走る列車のイメージから「さなだどりーむ号」の愛称に決定した。』 そうです。

別所線と言えば丸窓電車が有名ですが、現在は1000系に丸窓ラッピングした「まるまどりーむMimaki号」が走っているようでした。



平日の夕方なので、これでも乗客は多い方なのでしょうね。

連結にのれんは粋ですね。

天井からは日本最古のつるし飾り「上田のつり雛」。
この地方の名物で、今は「つるし飾りまつり」の真っ最中のようでした。

運転手がやって来て出発時間になりました。

上田発15:41、別所温泉着16:08であります。

出発進行! ガラスが薄いのか、運転手のかけ声がはっきり聞こえてきました。

駅を出てすぐ鉄橋を渡ります。



途中駅で、1000系「自然と友だち2号」とすれ違い。


待期線に1000系標準塗装。
『平成20年8月1日別所線に平成生まれの電車がデビュー。東急池上、多摩川線で使用されていた車両で、別所線用に2両編成で走行できるよう改造した。VVVF、ボルスタレス台車、ワンハンドルマスコンと最新の装備を有している。』
こちらのステンレスカーは、東急電鉄の7200 系で、イベント時に公開されているようですね。愛称は「湯たんぽ」「銀ガエル」。
『昭和33年に日本初のステンレス車と製造され、東急東横線、田園都市線、大井町線、目蒲線で使用されたのち譲渡され、昭和61年10月1日から平成5年5月まで運用されていました。』

田園地帯を通って、

終点の別所温泉駅に到着です。

探していたまるまどくん「モハ5250形」は、ここに有りましたよ。
『昭和2年に日本車輌(名古屋)で3両製造され、昭和3年5月22日から昭和61年9月30日まで運用されていました。戸袋窓がおしゃれな楕円形だったため「丸窓電車」の愛称で親しまれ、昭和59年には、エバーグリーン賞を受賞しました。』

別所温泉駅の業務を担当するのは、観光協会の女性職員で「観光駅長」名義。常に和装制服の袴を着用して勤務しているようです。



別所温泉駅は、平成29年度上田市都市景観賞に選定されているそうでした。

別所温泉の「マンコレ」。
岳の幟(たけののぼり)とは、別所温泉に伝わる雨乞いの祭りです。青竹に色とりどりの反物をくくりつけた幟の行列が練り歩き、笛や太鼓に合わせてささら踊りや三頭獅子舞も奉納されます。国の選択無形民俗文化財に指定された珍しいお祭りなのです。

温泉宿まで猛暑を歩いて約10分、近いけどずーっと上り坂だったので疲れました。


こちらが今夜のお宿です。

別所温泉の老舗旅館「かしわや本店」。


「つるし飾りまつり」の最中なので、あちらこちらに釣し雛が下がっておりました。


お宿のお隣に「北向き観音」があります。


善光寺だけでは片詣りで、北向観音も一緒にお詣りをしなければ、ご利益が授かれないとか。

善光寺は南向きで北向観音は北向き、お互い向き合っているので、片方だけでは片詣りといわれ、両方お詣りをしなければいけないのであります。

善光寺には何度も詣でているので、これであほまろも両詣が叶ったワケで良かった良かった。

何故か小林幸子の提灯が。

本堂内には千社札がいっぱい貼られてましたが、浅草札の多さに驚きましたよ。

ちゃっかりあほまろの千社札も貼ってまいりました。

大きさは異なりますが、雰囲気善光寺本堂と似てるでしょ。どちらも天台宗で同じ「撞木造り」なのですから。

北向山なのであります。


あの山の向こうに善光寺があるのですね。

ご神木は樹齢1200年。あの「愛染かつら」」の題名の由来となった神木で、縁結びのご利益があるとのことでした。

一応温泉街ですが、温泉名物何も無し。

おみやげ店は有ったけど、シャッターが閉まっておりました。

たまには、ある意味寂れた温泉宿も良いもんだ。

こちらは町民が利用する銭湯のような温泉です。

大きな箱形ホテルも数件ありましたよ。

眞田幸村博物館。

ご自由にご覧くださいとの貼り紙だけで、誰も居ない展示場でした。ここも「つるし飾りまつり」ですね。

こちらの温泉も宿泊設備が無いので、町民の湯ですね。

日が暮れて来たので、そろそろ帰りましょ。

硫黄の匂いが漂う熱めの温泉は病み上がりの身体に効果があるようで、何度も入りました。

そして夕食は、北向観音のお隣のお部屋に用意されておりました。

地酒の試飲も出来ましたが、はっきり言って口に合わないのでパス。

今夜は地元のワインで最高だったけど、娘はノンアルビールでした。

こんなのとか、

あんなのとか、とにかく山の幸がいっぱいで美味しかったです。



これって、なんか田舎っぽさが好き。ということで、「ほぼローカル線乗りっぱなしの旅」は明日に続きます。ごちそうさまでした。

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