令和8年(2026)9月6日(日)  旧暦7月24日 赤口
今朝の撮影 Data
SONY α1 II
Sigma 20-200mm F3.5-6.3 DG
iPhone 17 Pro Max
現像 Adobe Photoshop Lightroom CC
撮影枚数 50枚
- 書きし日はただの日常だったのに 二十年後は宝となりぬ -

 今日は大雨への警戒が呼びかけられており、今朝の東京都心や関東西部では、強い雨のピークを迎えております。雨のエリアは次第に北へ移っていくようで、都心周辺では通勤時間帯までにはピークを越える見込みとのことです。
 そんなわけで、今朝の散歩はいつもより一時間ほど遅らせて出かけました。しかし、雷門から仲見世を歩いている途中で、突然、雨脚が激しくなってしまいましたよ。
 線状降水帯の発生にも注意が呼びかけられていることから、今朝は無理をせず、本堂まで行くことを諦め、途中から引き返してまいりました。

 これで雨の朝は四日目となってしまいましたね。いつもの朝のワンちゃんたちにも、ハトたちにも逢えない日が続いております。 毎朝逢うのが当たり前になっている仲間たちだけに、たった数日顔を見ないだけでも、ずいぶん長く逢っていないような気がしてしまうものですね。
 こんな日は無理に定点観察へ出かけず、秘密基地に籠もって、過去の日記を整理することにしましたよ。
 雨の日は散歩を邪魔しますが、こんな作業には、案外ありがたい雨なのかもしれませんね。

 あほまろは現在、出版に向けて、この「気まぐれ日記」の集大成をまとめる作業を続けております。しかし、二十数年分もの日記を改めて読み返していると、懐かしい写真や文章が次から次へと現れ、そのたびに手が止まってしまうのです。
「こんなこともあったな」「この人も懐かしいな」などと思い始めると、整理をしているはずが、いつの間にか思い出巡りになってしまい、なかなか作業が進まないので困っておりますよ。
 それでも、ようやく過去十年分をなんとかまとめるところまで辿り着きました。ところが、途中で当初の出版企画そのものを見直したため、もう一度、過去の日記を最初から辿り直さなくてはいけなくなってしまいました。

 二十数年という歳月を振り返る作業は、単なる日記の整理ではありません。その時々の浅草の風景や出会った人々、ワンちゃんたちとの思い出、そして、その朝その朝にあほまろが何を見て、何を感じていたのかを、もう一度拾い集める作業でもあるのです。
 寄り道ばかりで遅々として進みませんが、それもまた、この本を作る楽しみのひとつなのでしょうね。
 とはいえ、いつまでも思い出に浸っているわけにはまいりません。なんとか年内にはまとめ終えなくちゃいけないのですよね。

 現在、宝蔵門の「小舟町」の大提灯は、新調のため取り外されております。この大提灯は、おおむね十年ごとに新調されており、そのたびに宝蔵門の景色がしばらく寂しくなるのですよ。
 過去の日記を整理していると、平成15年(2003)10月4日の「気まぐれ日記」に、前々回の大提灯が取り付けられた日の記録が残っておりました。
 当時の文章を読み返すと、大提灯ひとつにも、その時代の浅草の空気が閉じ込められているようで懐かしく感じますね。
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平成15年(2003)10月4日の「気まぐれ日記」より
浅草寺宝蔵門の「小舟町」の大提灯が、帰ってきました。
今年の8月3日、雷門の大提灯と入れ替わるように京都の提灯屋さんへ運ばれてから、ちょうど二か月。ようやく宝蔵門に戻ってきたのです。
雷門の大提灯は完成まで三か月以上もかかりましたが、こちらはちょっと早めの完成でしたね。もしかすると、ちょうど開催されていた「大浅草まつり」に賑わいを添えるため、少し急いで仕上げてもらったのでしょうかね。
この二か月の間、大提灯の無い宝蔵門はどことなく寂しく、いつもの参道とは違った景色に見えておりました。それだけ、あの大提灯が浅草寺の風景に溶け込んでいたということなのでしょう。
そして、この日、ようやくいつもの宝蔵門の姿が戻ってきました。
吊り上げられたばかりの真新しい「小舟町」の大提灯。その鮮やかな朱色が、ひときわ眩しく感じられましたよ。
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記録というものは、続けてこそ意味があるのでしょうね。

 もう一つ、過去の日記から紹介しましょう。
 平成18年(2006)11月1日。この日は語呂合わせで「ワン・ワン・ワン」の「犬の日」です。ちなみに「犬の日」は、犬についての知識を身につけ、犬をかわいがる日として、昭和62年(1987)に制定された記念日なのだそうです。
 その日の「気まぐれ日記」を読み返していると、こんな文章が残っておりました。
「我が家で騒ぐ五匹の犬たちだって、記念日だからといって特別なことはいたしませんよ。とはいえ、全員の近況だけでも報告しておきましょうね。」
 そう書いて、当時一緒に暮らしていた五匹のワンちゃんたちを、写真とともに紹介していたのでした。

 今となっては、その「騒ぐ」という言葉さえ懐かしいのです。
 五匹もいれば、朝から静かなはずがありません。誰かが吠れれば誰かがつられ、誰かが動けば誰かが追いかける。こちらが忙しいときに限って遊んでくれと寄ってくるくせに、こちらから構おうとすると知らん顔をする。犬というものは、人間の都合などまるで考えてくれません。
 しかし、考えてみれば、それこそが幸せだったのでしょうね。
 当時のあほまろは、五匹がそこにいることを「いつもの日常」として暮らしていました。
 人間とは勝手なもので、幸せの真っただ中にいるときには、それが幸せだとはなかなか気づかないものです。騒がしければ「少しは静かにしてくれ」と思い、散歩に連れて行けば「五匹もいると大変だ」とぼやき、餌の時間になれば、それぞれの好みまで違うので面倒だと思ったこともありました。

 ところが、いなくなってしまうと、その騒がしさまで恋しくなるのですよ。
 犬の毛が部屋に落ちていることも、足音が廊下を走ることも、こちらの食事を物欲しそうな目で見つめていたことも、すべてが二度と戻らない宝物だったことに、後になって気づかされるのです。
 そして、その日の文章の最後には、こんなことまで書いておりました。
「五匹の犬に囲まれた生活、でも、三匹の老犬を抱えていると、そろそろ辛い別れがやって来るのでしょう。もしもの時には、本所で知り合いが住職をしているお寺に葬ってあげることにしているのですよ。悲しいけど備えあれば憂い無しといいますから。」
 十八年も前のあほまろは、やがて訪れる別れを、ちゃんと分かっていたのですね。

 分かってはいたけれど、本当の別れというものは、いくら準備をしていても準備などできるものではありません。
「備えあれば憂い無し」などと、ずいぶん殊勝なことを書いておりますが、今になって読み返してみれば、別れに関してだけは、備えがあっても憂いは無くならないのでございます。
 ここは昔のあほまろに、ちょっと文句を言ってやりたいところですよ。
 その後、五匹は一匹、また一匹と旅立ち、今ではみんな天国へ行ってしまいました。  過去の日記を整理しながら当時の写真を開くと、画面の中には、まだみんな元気にしております。
 こちらを見ている子もいれば、知らん顔をしている子もいる。写真なのですから当たり前ですが、あの日から一日も歳を取っていないのですよ。

 あほまろだけが歳を取ってしまいました。それが写真というものの、ありがたさであり、残酷さでもありますね。
 写真の中では、昨日亡くなった犬も、二十年前に亡くなった犬も、いつまでも元気なままです。こちらが呼べば、今にも尻尾を振って駆け寄ってきそうな顔をしております。
 けれども、いくら名前を呼んでも、写真の中から出てきてくれることはありません。
 そんなことは分かっているのに、長いこと写真を眺めていると、「あの頃にもう一度だけ戻れたらな」と思ってしまうのですよ。
 そして不思議なことに、悲しかった出来事よりも、楽しかったことばかりが蘇ってくるのです。

 五匹を連れて歩いたこと。餌をねだった顔。寝息。いたずら。叱ったこと。病院へ連れて行ったこと。そして、何でもない一日の、何でもない表情。
 当時は日記の穴埋めくらいのつもりで載せた写真だったのかもしれません。それが二十年近く経つと、かけがえのない一枚になっているのです。

「ワンワンと 騒いだ声は消えども 日記開けばみんな待ってる」

 あほまろが現在まとめている本にも、こうした我が家の犬たちだけではなく、長年の早朝散歩で出会ってきたみなさんの愛犬たちの写真を、たくさん掲載する予定です。
 毎朝の浅草寺には、実に多くのワンちゃんたちがやって来ました。飼い主さんと一緒に元気に歩いていた子。あほまろのカメラを覚えていて、こちらを向いてくれた子。毎朝のように顔を合わせた子。そして、いつの間にか姿を見かけなくなってしまった子もおります。

 それぞれに名前があり、それぞれに家族があり、それぞれに浅草の朝がありました。
 だから、この本に残したいのは、浅草の建物や行事だけではありません。
 あの朝、確かにそこにいた命の姿も残しておきたいのです。
 出版された本を開いたとき、飼い主さんが懐かしい愛犬の姿を見つけて、「ああ、この頃は元気だったね」と笑ってくださったなら、それだけでも、この二十数年間、毎朝カメラを持って歩き続けてきた意味があったのではないでしょうか。
 出版を楽しみにお待ちくださいね。

 そして、過去の日記を整理している今、あほまろは改めて思うのです。
 日記というものは、その日の出来事を忘れないために書くものだと思っておりましたが、本当は、忘れてしまったものに、いつの日かもう一度逢うために書いているのかもしれません。
 書いたその日には、何でもない一行だったものが、十年、二十年と時を重ねるうちに、大切な人や愛犬たちの声を呼び戻してくれることがあります。
 写真も同じです。
 毎朝、同じ場所で同じような写真を撮って、「昨日と何が違うのだろう」と思った日もありました。
 でも、同じ朝など一度もなかったのですね。
 人も、犬も、鳩も、花も、空の色も、少しずつ変わっていたのです。そして何より、それを見ていたあほまろ自身も、毎日ほんの少しずつ変わっていたのでしょう。
 だからこそ、続けなくちゃ記録とはいえないのです。
 二十数年前のあほまろが残した文章を、今のあほまろが読み返している。そして今書いている文章を、いつの日か誰かが読んでくれるかもしれない。
 そう考えると日記とは、今日を書くものではなく、未来へ向けて「こんな朝が確かにありましたよ」と手渡す、小さなタイムカプセルなのかもしれませんね。

「書きし日は ただの日常だったのに 二十年後は宝となりぬ」

 だからあほまろは、明日の土砂降りの朝もまた書くのでしょう。
 晴れても、雨でも、犬たちに逢えても逢えなくても。なにしろ人生というものは、後になってみなければ、どの日が「大切な一日」だったのか分からないのですからね。
 あほまろは今日も秘密吉で、だらだらと日記を読み返しますよ。

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 夕べの睡眠は雨の音で熟睡できなかったので、49%でした。

 おはよう、ヒロちゃんも寝不足だよね。

。

 今朝の朝の朝食は、クルミパンとゆで卵。デザートは牛乳プリン。

 妻のコレクションは、クルマスキーちゃんと音威子府の春さん。

 昨日の東京スカイツリー。

 あほまろお帰りなさい。

 夕べは雨の音がうるさかったので、寝室で音楽を聴いておりましたよ。

 夕べの夜の夕食の晩ご飯は肉丼。デザートはモモ。

 妻のコレクションは、グレースさんと音威子府の春さん。

Memo
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