今朝は雨の予報が出ておりました。
あほまろが散歩に出かける午前4時前には、まだ傘を差さなくても濡れるほどではない、細かな霧雨が漂っている程度でした。それでもカメラを持って歩く身にとっては、人間が濡れるよりレンズが濡れる方が一大事です。あほまろは自分よりカメラをいたわりながら、傘を差していつもの浅草寺へと向かったのでした。
ところが、そんな静かな霧雨の朝にも、浅草の夜はまだ終わっていなかったのですよ。
雷門前のコンビニ前では、週末の夜を飲み明かしたらしい若者たちが、路上に座り込んで酒盛りの真っ最中でした。
午前4時といえば、あほまろにとっては一日の始まりですが、彼らにとっては、まだ「昨日」が終わっていないのでしょうね。
大きな声で笑い、酒を飲み、コンビニで買った食べ物を広げている。その姿を見ていると、時計の針は同じ時刻を指していても、人によって時間の流れ方というものは、ずいぶん違うものだと感心してしまいます。
あほまろはこれから観音さまへ朝のお参り。彼らはこれから、たぶん夢の中へお参りなのでしょう。
そんな若者たちの横を、コンビニから出てきたアメリカ人男性が通りかかりました。路上に座り込んで酒を飲んでいる光景を、何とも怪訝そうな顔で眺めています。
ちょうど写真を撮っていたあほまろに声をかけてきて、「すぐそこに交番があるのに、なぜ警察は何も言わないのですか」というようなことを尋ねてきたのでした。
なるほど、外国から来た方には奇妙に見えるのでしょうね。
ただし、ここは少し考証が必要です。アメリカでは「屋外で酒を飲めばどこでも即逮捕」というほど単純ではなく、州や自治体によって規則が異なります。しかし、公共の場所での飲酒や、開栓した酒類を持ち歩くことを制限している地域は珍しくありません。
一方、日本では路上飲酒そのものを全国一律に禁止する法律はなく、地域によって条例などで規制する形が中心です。
もっとも、日本でも事情は変わり始めています。
たとえば渋谷駅周辺では、路上飲酒による騒音、ごみの放置、通行妨害などが問題となったため、令和6年(2024)10月から、毎日午後6時から翌朝5時まで、指定区域の道路や公園などでの飲酒が条例によって禁止されるようになりました。
つまり、日本は「どこでも自由に飲める国」というわけではなく、酒に寛容だった社会が、迷惑行為の増加によって少しずつルールを考え直している途中なのでしょう。
それでも、外国から来た人の目には、コンビニで酒を買い、そのまま路上で飲んでいる人がいて、しかも目の前に交番があるという光景は、なかなか不思議に映るようです。
「日本は平和な国ですね」
アメリカ人男性は、半ば呆れ、半ば感心したような表情をしておりました。確かに平和なのでしょう。
しかし、平和と無作法は、似ているようでまったく別物ですよ。
自由に酒が飲めるということは、自由に他人へ迷惑をかけてもよいという意味ではありませんからね。
その後、浅草寺境内へ入ると、今度は酒盛りに疲れ果てたのでしょうか、数人の若者が路上に堂々と横になって眠っておりました。
しかも、あほまろが毎朝撮影している「三地蔵さま」の入口を、見事に塞いでいるではありませんか。それには困りましたよ。
「ちょっと、どいてください」と起こそうか。
あほまろが迷っているところへ、救世主のようにゴミ収集のパッカー車がやって来ました。
その音に驚いたのか、若者たちはようやく起き上がり、ぞろぞろと場所を離れて行きましたよ。
これで三地蔵さまの写真が撮れる。やれやれと思ったのも束の間です。
彼らが寝ていたところには、飲み残した酒の缶やペットボトル、おつまみの袋などが、そのまま置き去りになっていたのですよ。
人間だけが帰って、宴会の残骸だけが朝を迎えておりました。パッカー車の係員さんが車から降りてきて、
「まったく、迷惑な連中だなぁ」
そんなことをつぶやきながら、一つひとつ拾って片づけてくれました。
考えてみれば、若者たちにとって楽しい宴会が終わったあと、その「楽しさの残骸」を始末するのは、まったく関係のない誰かなのであります。
酒を買う人がいる。
酒を飲む人がいる。
酔っぱらう人がいる。
路上で寝る人がいる。
そして最後には、その人たちが残したゴミを黙って拾う人がいる。
朝の街というものは、夜の街が残していったものを片づけるところから始まっているのですね。
そう思うと、毎朝きれいな浅草を歩けるのは、決して街が勝手にきれいになっているからではありません。
あほまろたちが眠っている間、あるいは遊んでいる間にも、誰かが掃き、誰かが拾い、誰かが運び、誰かが次の朝を準備してくれているのです。
そんな当たり前のことを、今朝の光景は改めて教えてくれましたよ。
お酒というものは、楽しく飲んでいるうちは良いものです。
人と人との距離を縮め、昔話に花を咲かせ、普段なら言えない「ありがとう」まで言わせてくれることがあります。
ところが一線を越えると、今度は酒が人間を操り始める。
昔から、「酒は飲んでも飲まれるな」とは、実によく言ったものですね。
先日も駅のホームで、真っ昼間から酔いつぶれてホームで寝込んでいる人を見かけました。通行する人の邪魔になるばかりか、場所によっては転落など命にかかわる危険さえあります。
本人は気持ちよく夢の中でも、その周囲では駅員さんや通行人が心配している。
酔っぱらいというものは、自分だけがこの世から一時退場したつもりでも、周りの人まで舞台に引っ張り込んでしまうものなのですよ。
もっとも、あほまろだって偉そうなことばかりは言えません。以前は酒を飲み過ぎて、周囲に迷惑をかけたこともありました。
翌朝になって、
「そんなことをしたの?」
「そんなことを言ったの?」
と、自分だけ記憶がない。
酒飲みにとって「覚えていない」は便利な言葉ですが、迷惑をかけられた側は、ちゃんと覚えているのですよね。
それがいちばん恐ろしいところです。
しかし、あほまろは昨年8月末から、きっぱり酒を断ちましたよ。
以来、朝の4時に見かける酔っぱらいたちを眺める目も、少し変わったような気がします。
以前なら、
「楽しそうだな」と思ったかもしれません。
今では、「明日の朝、大丈夫かな」と思ってしまう。
年を取ったからなのか、酒をやめたからなのか。それとも両方なのでしょうかね。
霧雨の浅草。
路上では、夜を終えられない若者たちが眠り、ゴミ収集の人たちは、もう新しい一日の仕事を始めています。
その少し先では、浅草寺が静かに朝を待っている。
やがて本堂が開き、朝のお勤めが始まり、昨日の喧騒など何事もなかったかのように、浅草に新しい一日がやって来ます。
毎朝同じように見える浅草ですが、夜と朝との境目を歩いていると、そこには人間の可笑しさも、だらしなさも、そして名も知らぬ人たちの働きも見えてくるのです。
今朝、若者たちが散らかしたゴミを黙々と拾っていた係員さんの背中を見ながら、あほまろは思いました。
街の朝をつくっているのは、太陽だけではないのですね。
誰かが夜の後始末をしてくれるから、私たちは何事もなかったような顔をして、新しい朝を迎えることができるのです。
そして、あほまろは今日も傘を差し、カメラを抱えて歩きます。
酒はもう飲みません。
その代わり、浅草の朝の空気なら、毎朝たっぷり飲んでおりますよ。
「酒呑んで 路上に残す夢とゴミ 拾う人あり浅草の朝」
「酒やめて 酔客眺むる朝の四時 昔のわれもそこに寝てたか」(阿呆人也)
いつもの観音裏広場は、平成中村座の小屋がけ工事のため、入ることが出来なくなりました。
外気温は20℃。今朝は肌寒さを感じる朝でしたよ。
予報によると明日の朝は、本降りの雨の中での散歩になってしまうかもしれません。秋雨の季節、しばらくは傘が手放せない朝が続きそうですね。
今朝の日の出は午前5時16分。
ハナカイドウの実。
子育地蔵さま、わが家の子どもたちと猫の安全をお守りください。
日本のナイチンゲールと称される瓜生岩子像。
令和の大改修を終え、広々とした境内西広場。以前とはまったく違う景色になりましたが、開放感あふれる新しい浅草寺の表情が広がっております。
お店の取り壊し作業が終わった伝法院通りでは、これから石垣や塀の補修工事が始まるのです。
あほまろは今日も秘密基地でダラダラ過ごしますよ。
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夕べの睡眠は74%でした。
おはようヒロちゃん。
今朝の朝の朝食は、お肉とゆで卵にチーズパン。デザートはブルーベリーとシャイマスカット。
妻のコレクションは、テラちゃんとツイギーちゃん。
昨日の東京スカイツリー。
あほまろお帰りなさい。
夕べの夜の夕食の晩ご飯は、久しぶりに近所の寿司屋さんから出前一丁。
妻のコレクションは、早苗さんとバービーちゃん。
MemoiPhone 17 ProMAX