令和8年(2026)9月3日(木)  旧暦7月22日 仏滅
今朝の撮影 Data
SONY α1 II
Sigma 20-200mm F3.5-6.3 DG
iPhone 17 Pro Max
現像 Adobe Photoshop Lightroom CC
撮影枚数 737枚
- 赤く生まれて、緑になって、また紅葉するノムラモミジ -

 あほまろは毎朝、浅草寺境内の木々を眺めながら歩いております。
 桜が咲けば春を知り、セミが鳴けば夏を知り、葉が色づけば秋を知る。そんな当たり前の季節の移ろいなのですが、毎朝同じ場所を歩いていると、「当たり前」の中にも、昨日とはほんの少し違う今日があることに気付くのですよ。
 そんな境内の木々の中で、あほまろが特に気にして、毎朝のようにカメラを向けている木があります。それが、このノムラモミジ(濃紫紅葉)です。
 日記をご覧になっている方の中には、「また同じモミジを撮っているよ」と、不思議に思っている方もいらっしゃるでしょうね。
 確かに、一日だけ見れば昨日とほとんど変わりません。今日撮らなくても、明日撮れば同じじゃないかと思われるでしょう。ところが、それが違うのですよ。
 一日では分からない変化も、一週間、一か月、半年、一年と並べてみると、植物がちゃんと時間を刻みながら生きていることが見えてくるのです。
 これが、あほまろが続けている「定点観察」なのですよ。
 ノムラモミジは、一般的なモミジとは少し変わった色の変化を見せてくれます。普通、われわれが「モミジ」と聞いて思い浮かべるのは、春から夏には青々とした葉を茂らせ、秋が深まるにつれて黄色や橙色、そして赤へと染まってゆく姿でしょう。 ところがノムラモミジは、春の新葉から赤紫色を帯びているのです。
 つまり、この木は秋を待たずして「紅葉」しているように見えるのですからね。
 初めて見る人なら、「もう紅葉しているの?」と驚くかもしれませんね。
 暦などまったく気にせず、自分の都合で色を変えているのですから。  人間社会なら「季節感を考えなさい」と叱られそうですが、植物には人間の暦なんぞ関係ありません。気温と日照と自分の体内時計に従って、黙々と生きているだけなのでしょう。
 ノムラモミジという名前の由来も面白いものです。
「野村さんが発見したから野村モミジ」だと思ってしまいそうですが、一般には葉の濃い紫色を表す「濃紫(のうむらさき)」が「のむら」へ転じ、「ノムラ」と呼ばれるようになったとされています。
 漢字では「野村」と書かれることがありますが、人の名字とは直接関係はありません。そんなノムラモミジを、あほまろは一年を通して観察しているのですよ。。  今日は、過去の日記から、おおよその色の変化を拾ってみました。

一月二日。

秋から冬にかけてほとんどの葉を落としておりますが、枝先にはまだ頑張って残っている葉もあります。寒風に吹かれながら枝にしがみついている葉を見ると、「お前も頑固だねぇ」と声をかけたくなりますよ。
 もっとも、頑固さならあほまろだって負けません。毎朝暗いうちから同じ場所へ出かけ、同じ木を撮り続けているのですから、木のことを笑える立場ではありませんけどね。

四月一日。

 枝はまだ寂しく、新しい葉が十分に開いていません。周囲では桜が春を謳歌しているというのに、ノムラモミジは慌てません。
「春だからといって、みんな一緒に芽を出す必要はない」とでも言っているのでしょうか。人間の世の中も、これくらいのんびりしていた方が暮らしやすいのかもしれませんね。

五月一日。

 ようやく葉が開き始めます。ところが、その葉が緑ではありません。薄い紫紅色なのですよ。
 周囲の木々が「新緑」の季節を迎えている中で、ノムラモミジだけは赤紫色の葉を広げております。
 新緑の季節に紅葉のような色。なんとも天邪鬼なモミジですね。

六月一日。

 薄かった紫紅色は、だんだん濃くなってきます。
 毎朝見ていると変化にはなかなか気付きませんが、五月一日の写真と並べてみれば一目瞭然です。植物は声も出さず、時計も持たず、カレンダーも見ないのに、確実に季節を進んでいるのですよ。

七月一日。

 この頃になると、葉は一年のうちでも特に濃い紫色を見せてくれます。これぞ「濃紫」。ノムラモミジの名前にふさわしい姿ですね。
 真夏の強い日差しを浴びた濃紫色の葉は、一般的な青モミジとはまるで違った風情を見せてくれます。

八月一日。

 ところが、不思議なことに、ここから少しずつ紫色が薄れてきます。
 夏が深まればもっと濃くなりそうなものですが、逆なのですよ。赤紫だった葉の色が少しずつ抜け、緑が目立つようになってきます。
 毎日見ていると、「昨日と同じだな」と思ってしまいます。
 しかし一か月前の写真を取り出して比べると、「あれまあ、こんなに違っていたのか」となるのです。だから写真は面白いのですよ。
 記憶は勝手に書き換わりますが、写真はその日の色を黙って残してくれます。

そして九月一日。

 とうとう、あれほど濃紫色だった葉が緑色になってしまいました。
 遠くから見れば、イロハモミジなど普通の青モミジと区別がつかないほどです。
 春には赤紫。
 夏には濃紫。
 そして秋を目前にして緑。
 普通なら、「順番が逆でしょう」と言いたくなりますね。

 ところが、ノムラモミジにとっては、これで終わりではありません。むしろ、ここからが秋の本番なのです。
 やがて季節が進み、気温が下がってくると、今度は本当の紅葉が始まります。
 春から夏に見せていた濃い紫紅色とはまた違い、秋らしい赤や赤紫へと変化してゆくのです。
 つまりノムラモミジは、赤く生まれて、濃紫になり、いったん緑になって、それからもう一度紅葉する。
 一年の間に、まるで二度も紅葉を楽しませてくれるような、不思議なモミジなのですよ。

「春に紅 夏には紫 秋に青 さてこれからがほんとの紅葉」(阿呆人也)

 ノムラモミジからすれば、「人間が勝手に春だ秋だと名前を付けているだけだろう」と笑っているかもしれませんけどね。

 あほまろが毎朝この木を撮り続けている理由を、少しは分かっていただけたでしょうか。
 一日だけなら、ただの一枚です。昨日と今日を比べても、ほとんど違いはありません。
 けれど、一か月前と比べれば変化が見えます。一年分を並べれば、季節が見えてきます。十年続ければ、その木の歴史になります。
 そして二十年、三十年と続けば、それはもう一人の人間の記憶を越えて、その土地の記録になってゆくのではないでしょうか。

 あほまろが毎朝撮っているのは、ノムラモミジだけではありません。
 桜の蕾、紫陽花、ハナカイドウ、木々の実、セミや鳥たち、空の色、日の出の位置、境内を歩く人々――。
 その日の朝には何でもないものが、何年か経って写真を見返すと、とても大切な記録になっていることがあります。
 無くなってしまった木。
 建て替えられた建物。
 いつの間にか姿を見せなくなった鳥。
 そして、毎朝会っていたのに、いつの間にか会えなくなってしまった人。

 写真を撮った瞬間には、それが「最後の一枚」になるなど誰にも分かりません。
 だからこそ、今日も撮っておくのです。
「昨日も撮ったから、今日はいいや」
 そう思った今日に限って、何かが変わるかもしれませんからね。

 あほまろは植物学者ではありません。
 葉っぱを見ても、その細胞の中で何が起こっているのか詳しいことは分かりませんし、難しい植物学の説明を求められても困ってしまいます。
 ただ、毎朝見ております。毎朝撮っております。
 そして、
「昨日より、ちょっと色が変わったかな」
 そんなことを楽しんでいる、無学な老人なのでございますよ。

 しかし最近は、それでも良いのではないかと思うようになりました。
 学問として植物を研究する人がいて、その一方で、毎朝同じ木の前に立ち、何十年も眺め続ける人間がいても良いでしょう。
 専門家には専門家にしか見えないものがあります。
 そして、毎朝そこにいる者にしか見えないものも、きっとあるはずです。
「観察」というのは、特別な知識を持った人だけのものではありません。

 同じ場所を、同じ時間に、飽きもせず見続けること。
 昨日と今日の小さな違いに気付くこと。
 それも立派な記録なのだと、あほまろは勝手に思っているのですよ。

「変わらぬと 思って撮った朝の葉も 並べて知った時の足あと」(阿呆人也)

。

 人間は「何も変わらない毎日だ」などと、つい愚痴をこぼします。
 でも、ノムラモミジを見ていると、何も変わらない日なんて、本当は一日も無いのかもしれませんね。
 葉っぱ一枚でさえ、昨日とは違う今日を生きているのですから。
 そんな小さな変化も加えながら、あほまろは今、『浅草は、朝が深い』の出版に向けて、毎日の記録をまとめております。

 浅草の朝は、ただ早いだけではありません。
 毎朝同じところを歩いて、同じものを見ているからこそ、少しずつ見えてくるものがあります。
 それが、あほまろにとっての「朝の深さ」なのかもしれません。
 明日の朝も、きっとあほまろはノムラモミジの前で立ち止まり、カメラを向けるでしょう。
 昨日とほとんど同じ葉っぱに。
 でも、その「ほとんど」の中にある小さな違いを残すために。
 なにしろ、季節は誰にも断りもせず、一日たりとも休まず進んでいるのですからね。

 九月に入って暦の上では秋ですが、残暑に台風、そして秋雨前線と、空模様はなかなか落ち着いてくれませんね。

 今朝の外気温は26℃。ここ数日の幾分しのぎやすい陽気から一転して、蒸し暑さが戻ってきました。
 今日は全国的に雨の降るところが多く、傘の出番となりそうですね。そのぶん強い日差しが遮られるため、日中の厳しい残暑はいくらか和らぐようです。ただし、湿度が高く蒸し暑く感じられるところもありそうですので、引き続き体調管理には気をつけたいですね。

 今朝の日の出は午前5時14分。

 ハナカイドウの実。

 影向堂の池では、今朝もアオサギがじっと水面を見つめておりました。
 どうやら朝ごはんに、小振りの鯉でもいただこうと狙っているようです。
 ところが、この池を泳いでいるのは、どれもこれも丸々と太った立派な鯉ばかり。アオサギの細い喉では、とてもひと呑みにはできそうもありません。

「もうちょっと小さいのはいないのかねぇ……」
 そんなことでも考えているのでしょうか。目の前を大きな鯉が通り過ぎても手ならぬ嘴を出すこともなく、ただひたすら水面を、じょ〜っと見つめ続けておりましたよ。

 鯉の方も心得たもので、「お前さんには無理だよ」とでも言いたげに、アオサギの目の前を悠々と泳いでおります。
 それでもアオサギは諦めません。一時間以上も同じ場所に立ち、ひたすら獲物が現れるのを待っておりました。
「待てば海路の日和あり」と申しますが、ここは海ではなく影向堂の池。しかも待っているのは、口に合う大きさの鯉なのでございます。  さて、今朝のアオサギ君、朝ごはんにありつけたのでしょうかね。

「大鯉を じょ〜っと眺める青鷺よ 食えるサイズがやって来ないか」

 おはようございます。今朝は開門3分前にやって来た、野崎さんと高橋さん。

 おはようございます。梶原さん。

 おはよう益美さんと利伊さん。

 あほまろは後ろの綺麗な女性が気になってしまった。

 子育地蔵さま、わが家の子どもたちと猫の安全をお守りください。

 日本のナイチンゲールと称される瓜生岩子像。

 深い緑に包まれたイロハモミジもそろそろ紅葉の時期ですね。

 定点観察を続けているソメイヨシノの木。あほまろは、風格ある幹や力強く伸びる枝ぶりはもちろんのこと、とりわけ葉の移ろいに心を惹かれております。

 昨年から落ちることなく枝に残り続けている三枚の葉があります。新しく茂った深緑の葉にそっと覆われ、その存在に気づく人はほとんどおりませんが、あほまろは毎朝、その葉の姿を探してしまうのでございます。

 令和の大改修を終え、広々とした境内西広場。以前とはまったく違う景色になりましたが、開放感あふれる新しい浅草寺の表情が広がっております。

 お店の取り壊し作業が終わった伝法院通りでは、これから石垣や塀の補修工事が始まるのです。

 あほまろは今日も秘密基地でダラダラ過ごしますよ。

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 おはようヒロちゃん。

 今朝の朝の朝食は、コーンスープとお肉と野菜とゆで卵にクルミパン。デザートはブドウ。

 妻のコレクションは、のぞみちゃんとこまちちゃん。

 昨日の東京スカイツリー。

 しゅと犬くん。

 あほまろお帰りなさい。

 夕べの夜の夕食の晩ご飯は、娘が買ってきた、叙々苑の焼き肉弁当。デザートはもも。

 妻のコレクションは、祥子ちゃんと知子ちゃん。

Memo
iPhone 17 ProMAX