変わりゆく浅草寺境内の工事予定表には、完成は八月末と記されておりました。しかし昨夜、予定より少し早く工事が終わったようで、今朝訪れてみると、長らく境内を囲っていた立入禁止のフェンスがきれいに取り払われていたのでございます。
ようやく本堂西側一帯が姿を現し、あほまろも久しぶりに、いつもの定点観察を行うことができました。
もっとも、「観察」と申しましても、そこには以前のような奥山の面影は残っておりません。ツツジの植え込みも、新奥山の緑も姿を消し、目の前に広がっていたのは、どこまでも見通せる広々とした空間だけでございました。
広くなったことは決して悪いことではありません。しかし、毎朝歩き続けてきた者にとっては、あまりにも景色が変わり過ぎてしまい、何を記録すれば良いのか、一瞬戸惑ってしまったのであります。
結局、今朝の定点観察は「変わってしまった風景」を眺めることそのものが記録となりました。
写真機のファインダー越しに見える景色と、記憶の中に残る景色。その二つは同じ場所でありながら、どこか少しだけ重ならないのです。
時というものは、確かに未来へ進むための営みではありますが、その一方で、愛着を抱いてきた風景を静かに消していく、なんとも無情な力でもあるのですね。
今回の整備によって、これまで工事の陰に隠れていた石碑群も、ようやくゆっくり眺められるようになりました。
とはいえ、江戸以来「奥山」を彩ってきた数多くの記念碑の多くは、すでに観音裏の団十郎像周辺へ移設されております。ここに残されたのは、日本のナイチンゲールと称えられた瓜生岩子像。
映画弁士塚。
喜劇王・曽我廼家五九郎の顕彰碑。
喜劇人の碑。
力石など、浅草の芸能や娯楽文化を今に伝える碑だけとなりました。
石碑は残っていても、それを包んでいた風景が全て消えてしまいました。
まるで長年住み慣れた家の柱だけが、新しい建物の中にぽつんと立っているような、不思議な感覚でございます。
それでも、石は黙って語り続けます。
「ここには、こんな時代があったのだよ。」
そう教えてくれているようにも思えるのでありました。
そもそも、この一帯は江戸の昔から「奥山」と呼ばれてきた場所です。
その名は、浅草寺の山号である「金龍山」の「奥」に位置することから生まれたと言われています。
江戸の人々は観音さまをお参りしたあと、この奥山へ足を運び、水茶屋で一息つき、芝居や見世物、軽業、猿芝居、居合、独楽回し、手妻(奇術)など、多彩な大道芸に歓声を上げておりました。
今で言えば、テーマパークや演芸場が一つになったような場所であり、浅草が「娯楽の都」と呼ばれる礎を築いた場所でもあったのでございます。
その「奥山」「新奥山」という名前も、今では歴史の中へ静かに消えてしましました。もし新しい名前を付けるとするなら、単に「西広場」とでも呼ばれそうですね。
もっとも、名前を変えたからといって歴史まで変わるわけではありません。
あほまろは、この広場を歩くたびに、かつてここで笑い、驚き、拍手を送っていた江戸の人々の声を、そっと耳の奥で探し続けるのでありました。
風景は変わっても、記憶は写真の中に生き続けます。 だからこそ、毎朝の定点観察は、今日という一日を記録するだけではなく、「昨日まで確かに存在した浅草」を未来へ伝えるための、大切な仕事なのかもしれませんね。
「変わりゆく 景色の中に立ち尽くし 残る記憶を 時のみぞ知る」
「奥山の 名は消えされど石語る 笑いの跡を 朝風に乗せ」(阿呆人也)
今朝の外気温は24℃。朝から湿度が高く、蒸し暑さを感じる一日の始まりとなりました。 今日は広い範囲で厳しい暑さとなる見込みで、特に関東では今年初めて本格的な猛暑日となる予報です。外出される方は、こまめな水分補給と適度な休憩を心がけ、熱中症には十分お気を付けください。
今朝の日の出は午前4時35分。
弁天山の麓で、一匹の猫と出会いました。首輪を付けているので、おそらく近所で飼われている猫なのでしょう。それでも、ときどき浅草寺の境内を気ままに散策している姿を見かけるのですよ。
きっと縄張りの見回りなのか、それともお気に入りの散歩道なのでしょうか。人にも慣れている様子で、静かな朝の境内に溶け込むように、のんびりと歩く姿が印象的でした。まるで、この境内も自分の庭の一部だとでも思っているかのようでしたよ。
二度目の開花で楽しませてくれたネムの花も、いよいよ終わりを迎えようとしておりました。ふんわりと風に揺れていた淡紅色の花も数を減らし、夏の盛りの訪れを静かに告げているようでした。
ハナカイドウの実は、日に日にふくらみを増し、小さな青い実が枝先に鈴なりとなってまいりました。
まだ青く硬い実ですが、これから夏の陽射しをたっぷり浴びながら少しずつ色づき、秋には可愛らしい赤い実へと姿を変えてくれることでしょう。
毎朝の定点観察で、その成長を見守るのも楽しみのひとつでございます。今年も無事に完熟の日を迎えてくれることを、今から心待ちにしております。
平井さん、おはようございます。
おはようございます。今朝は開門5分前にやって来た、高橋さん。
おはよう益美さん。
イロハモミジの葉も、日ごとに緑の色合いを深め、境内には夏の盛りの訪れを静かに告げる風景が広がっておりました。
秋には鮮やかな紅葉で人々を魅了するモミジですが、この青々とした葉こそ、一年で最も生命力に満ちあふれた姿なのかも知れませんね。
木陰を吹き抜ける風に葉がそよぐたび、涼やかな音色が夏の暑さをほんのひととき忘れさせてくれるようでした。季節は確実に歩みを進めながらも、その移ろいを静かに楽しませてくれるのが、毎朝眺める境内のイロハモミジなのでございます。
定点観察を続けているソメイヨシノの木。あほまろは、風格ある幹や力強く伸びる枝ぶりはもちろんのこと、とりわけ葉の移ろいに心を惹かれております。
春には花で人々を魅了するソメイヨシノですが、花が散ったあとも、その命の営みは静かに続いております。幹から吹き出す若葉や、季節ごとに色や表情を変えていく葉の姿には、小さくとも確かな生命の息吹が感じられるのです。
毎朝同じ木を眺めていても、まったく同じ姿の日はありません。そのわずかな変化を見つけ、写真に収めることも、あほまろが毎朝続けている定点観察の大きな楽しみなのでございます。
そんな中、このソメイヨシノには、昨年から一度も落ちることなく枝に残り続けている四枚の葉があるのです。今では新しく茂った深緑の葉にそっと覆われ、その存在に気づく人はほとんどおりません。
それでも、あほまろは毎朝、その葉の姿を探してしまうのでございます。まるで一年という歳月の流れを静かに見届ける証人のように、枝へしっかりとしがみつき、新しく芽吹いた葉たちを優しく見守っているようにも思えるのです。
普通なら、とっくに役目を終えて風に舞い散っていたはずの葉が、なお枝に残り続ける姿には、生命のたくましさだけではなく、どこか「まだここにいたい」という小さな意志さえ感じられます。
だからこそ、あほまろも毎朝、その四枚の葉の無事を確かめることが、定点観察の大切な日課になっているのでございます。いつの日か別れの朝が訪れるのでしょう。しかし、その日が来るまでは、この小さな命の記録を、これからも静かに見守り続けたいと思っております。
長く続いていた工事もようやく終わり、境内は見違えるほど見通しが良くなりました。これまで仮囲いやフェンスに遮られていた五重塔や本堂も、再びゆったりとした空間の中に美しい姿を現しております。
広々とした境内には空がいっそう大きく感じられ、朝の光を浴びた五重塔が、以前にも増して堂々とした佇まいを見せておりました。
色は大きく変わりましたが、浅草寺らしい静けさと風格は変わることなく、今日も訪れる人々を穏やかに迎えてくれているのでございます。
伝法院通りでは、お店の取り壊し作業がすべて終わり、今朝は石垣や塀の補修工事が始まる準備が進められておりました。
長年親しまれてきた町並みが姿を変えていく様子を目の当たりにすると、これもまた浅草が時代とともに歩み続けている証なのだと感じさせられます。
毎朝歩き慣れた散歩道でありながら、昨日までそこにあった風景が、今朝にはもう違う表情を見せているのです。その変化に少し寂しさを覚えながらも、やがて新しい景色も、この街の歴史の一頁として人々に親しまれていくのでしょう。
あほまろは、変わりゆく浅草の姿を見つめながら、失われていく風景だけではなく、新たに生まれる風景もまた、未来へ伝えるべき大切な記録として写真に残し続けていきたいと思うのでございました。
今日のあほまろは、日記を書き終えた後、浅草寺五重塔内の位牌堂へ、お盆のご先祖様にお参りに出かける予定でございます。厳しい暑さの中での外出となりますので、あほまろも熱中症に十分警戒しながら、感謝の気持ちを込めて手を合わせてまいります。
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おはようヒロちゃん。
今朝の朝の朝食は、野菜と塩鮭に海苔ごはん。デザートはブルーベリー。
妻のコレクションは、モミジちゃんとジェームちゃん。
昨日の東京スカイツリー。
しゅと犬くん。
あほまろお帰りなさい。
夕べの夜の夕食の晩ご飯は、たぶん久しぶりのトウモロコシと、ヤーレン・ソーメン。
妻のコレクションは、踊りオードリーさんとアルマーニさん。
MemoiPhone 17 ProMAX