令和7年(2025)6月27日(金)旧暦6月3日 友引
今朝の撮影 Data SONY α1-2 SONY FE 24-240mm/F3.5-6.3 OSS iPhone 16ProMAX 現像 Adobe PhotoshopLightroomCC 撮影枚数613枚
- 変わりゆく浅草の移ろい -
久しぶりに青空が広がりました。今日は高気圧に覆われて天気が回復し、まるで梅雨明け後のような夏空と暑さに包まれる一日となりそうです。例年であれば、梅雨の時期は7月中旬頃まで続くものですが、今年はすでに終わってしまう可能性もあるとのこと。地域によっては、統計開始以来もっとも早い梅雨明けとなるかもしれませんね。 そうなると、当然のことながら、今年の夏はいつも以上に長く、そして厳しい暑さが続くことになりそうですね。どうぞ、体調管理にはくれぐれもご注意ください。 さて、今日は「日照権の日」でございます。昭和47年のこの日、違法建築の隣家によって日照を奪われたという、あるお宅の切実なる訴えが、ついに最高裁にて「日照権と通風権は法的に保護されるべき権利である」と認められた記念すべき日とされております。 つまり、空を見上げる自由、光を浴びる権利、風を感じる日常が、「権利」としてお墨付きをいただいた瞬間なのですよ。いやはや、人間が太陽に守られるのではなく、太陽を守るために法を持ち出すというのも、なかなか滑稽でいて哀愁の漂う話ではありませんか。 あほまろが現在暮らすこの10階建てのマンションですが、26年前の購入当時は、まさに夢のロケーション。遮るものは何もなく、隅田川の花火は窓辺から正面に見え、晴れた日にはなんと富士山までもが遠くにその姿を覗かせていたのです。それはまるで、都会の中に現れた一幅の浮世絵。あほまろは、まるで“現代の広重”にでもなったかのような気分で、即決でこの住まいを手に入れたのでした。 ところが、時代は変わります。いや、変わったのは時代ではなく、風景の“高さ”でございました。いつの間にやら、にょきにょきと伸びるコンクリートの林。ホテル、マンション、そしてまたマンション。まるで地面に撒いた種が、翌朝にはビルに成長しているような都市の魔法。気がつけば、花火も富士山も、視界から葬り去られていたのです。 もちろん、こんなことで法廷に訴えても勝ち目はございません。なにせ、我が家の「日照」だけは、ギリギリ保たれておりますからね。法的には問題ない、とのこと。そう、“ほんのすこしの陽だまり”さえあれば、人間は文句を言ってはならぬらしいのです。…まるで日なたぼっこ中の猫が「ここが指定席」と言われてしまったような、妙な納得を押し付けられている気がいたしますよ。 つい先日も、町会の方とこの話題になりました。あほまろの住むこのマンションが建設される際には、ご近所の一戸建ての方々が「日照が遮られる!」と大反対運動をされたそうです。なるほど、今となっては我が身に降りかかった“高層の因果応報”。その話を聞いて、あほまろは言葉を失いましたよ。まさに、お互い様――光と影は、背中合わせに暮らしているのですね。 ちなみに、「日影規制」によると、敷地の端から5メートルから10メートルを超える影をつくってはならぬとのこと。う〜ん…わが家の影、どうやらグレーゾーンならぬ“影ゾーン”に入り込んでいるようでして。これ以上とやかく申すのは、もうやめましょう。富士山の見えない日々にも、隅田川の花火の音に耳をすませて、静かに暮らしていこうと心に誓った「日照権の日」でございます。 わが家の斜め向かいで建設が進むマンション、いえ、もしかするとホテルかもしれませんが、その構造物が日ごとに伸びていく様子を、あほまろの妻は毎日欠かさず眺めておりますよ。「ほら、そろそろ後ろのホテルが隠れちゃうわよ」と、まるで成長を見守るかのように、ニコニコと窓の外に目をやる姿には、あほまろもつい頬がゆるんでしまうのです。 世間では“景観が損なわれる”と嘆く声もありますが、我が家では、これを「変わりゆく浅草の移ろいを楽しむ日課」として、大いに受け止めているのです。まことに、日照権や眺望権の問題など、いまやどこ吹く風。 そんなわけで、今のわが家では、工事の進捗がちょっとした娯楽。新たな“隠され風景”を発見するたびに、「次は何が消えるのかしらね」などと、夫婦ふたりで探偵のように楽しんでいる今日この頃でございますよ。 おはよう、キョエちゃんママ。今朝も、いつものようにひとりで舞ってくれていたのかな。 と思いきや、「お待たせ」とでも言いたげに、どこからともなくキョエちゃんもひらりと飛んでまいりましたよ。 おはようキョエちゃん。 オハ、オハ…… 親子そろって、どうやらあほまろの登場を心待ちにしてくれていたようで、その姿を見た瞬間、ちょっと胸が熱くなってしまいました。いったい、このカラスの親子は、何を思って毎朝ここで待っていてくれるのでしょうね。 もしかしたら、彼らのほうが、あほまろの心の変化を先に感じ取っているのかもしれませんね。 まったく、カラスというのは、見た目の黒さに反して、実に繊細で情深い生きものなのでございますよ。 芸を仕込んだわけでもないのに、キョエちゃん親子は、いつもあほまろの前で実に見事なポーズをとってくれるのですよ。 羽を広げて舞ったかと思えば、狛犬の上でじっと静止し、時には首をかしげてこちらを覗き込む。その一瞬一瞬が、まるで撮影を意識したモデルのようなのです。 ちろん、言葉を交わしたことなど一度もありません。けれども、羽ばたきと視線だけで通じ合うものがあるのです。 無理強いもなく、媚びるわけでもなく、ただ、自然にそこにいてくれる。それは、人間同士ではなかなか得難い、静かで奥深い信頼関係のように思えてなりません。 もしかすると彼らは、カラスの姿を借りて、朝の浅草神社に棲む精霊なのかもしれませんね。 毎朝こうして出会うことが、あほまろにとっては、何より心安らぐひとときなのでございますよ。 今朝の日の出は午前4時27分。 境内の周遊を終えたところで、どこからともなくビクトリー君が飛んでまいりました。 そして、あほまろのまわりを何度もぐるぐると回ってくれるので、「乱舞」と呼んでいるのですが――、 これは決して下世話な踊りではございませんね。 むしろこれは、巷で流行の「ハト版ブレーキング」とでも申しましょうか。 翼を広げ、くるりと宙を舞い、そしてジーッとこちらの顔を見つめながら、再び滑空。 まるで、パートナーの反応を確認しながらステップを踏んでいるようでございます。 その仕草があまりにも愛らしくて、思わず「ウルトラC!」と叫びたくなりました。……え? この表現、ちょっと古すぎますかね? でもあほまろ世代にとっては、これこそが最大級の称賛なのですよ。 ビクトリー君の“演舞”は、浅草の朝にそっと差し込む小さな歓び。他人には見せぬ一面を、こうしてあほまろだけに見せてくれることが、何よりのご褒美でございますな。 パートナーも見てたけど、踊ってくれるのは、ビクトリー君だけなのです。 おかげさまで、あほまろの撮影技術も日々向上しているのですよ。ビクトリー君の乱舞を追いながら、シャッターを切るその一瞬一瞬が、まるで修行のようであり、同時に芸術の稽古のようでもあるのです。 静止画でありながら、そこに動きと気配を刻む、そんな写真が撮れたときには、朝のひとときが、ぐっと輝きを増すのですよ。まさか、自分の“先生”がハトになるとは思いませんでしたが、結構上手になったでしょ。これもまた、浅草ならではのありがたいご縁というものかもしれませんね。 何も言わず、ただそっと咲いている――合歓の花。 風にも雨にも声ひとつ発さず、けれど、そのたおやかな姿で季節の移ろいを語ってくれるのです。 あほまろは、そんな花の沈黙に、時折、人の心よりも深い思いを感じてしまうのでございますよ。 おはようございます。今朝は開門の3分前、いつものようにお友達と連れ立ってやって来た野崎さんにお会いしました。 野崎さんは、これからお孫さんに会うため、はるばるオーストラリアのブリスベンへご出発とのこと。しばらくのあいだ、お顔を拝見できなくなるのは少し寂しいですが、お孫さんとの再会が何よりの楽しみでしょうね。 どうぞ道中お気をつけて、心ゆくまで素敵な時間をお過ごしくださいませ。そして、また浅草の朝で、元気なお顔を見せてくださる日を楽しみにしておりますよ。 子育地蔵さま、どうか我が家の子どもたち、そして猫のヒロちゃんの安全を、今日もお守りくださいませ。 でもふと、考えてしまったのですよ。「子育て地蔵」っていうくらいだから、もしかして“孫育て”にはご利益が無いのかな? とはいえ、あほまろには、そもそも孫がおりませんので、その心配は今のところ無用ではありますが……。それでも、将来の“かもしれない”に備えて、ちょっとお願いの幅を広げていただけたらありがたいですね。 地蔵さま、何卒よろしくお願いいたしますよ。 日本のナイチンゲール、瓜生岩子像。 夏の境内をご覧下さい。 大好きなメイプルリーフ。 あの切れ込みの深い葉の形に、なぜか心が惹かれてしまうのです。赤く染まる季節の姿も美しいけれど、あほまろは、新緑の頃の、陽を透かしたあのやさしい緑もまた、ひときわ好きでございます。 ただの葉ではなく、どこか遠い国の風景や、静かに揺れる記憶までも連れてくる、不思議な葉なのでございますよ。 ソあほまろは、ソメイヨシノの花ももちろん好きですが、実を申せば、それ以上に葉のほうに惹かれてしまうのですよ。 だからこそ、花が終わったあとの今の季節、毎朝のようにその葉を撮らせていただいております。 特に好きなのが、幹――いわゆる胴にちょこんと顔を出している葉っぱたち。 あの控えめで、それでいて力強く芽吹く姿がなんとも愛おしいのです。 まるで、「ここにいるよ」とそっと手を振ってくれているような気がするのですよね。 春の華やぎが過ぎても、桜はちゃんと“次”を生きている。 そんな健気な姿に、カメラを向けずにはいられないのでございます。 まだ、枝にしがみついて頑張っている一枚の枯れ葉。風にも雨にも負けず、季節を超えてそこに残るその姿には、なんとも言えぬ健気さを感じてしまいるのです。 あほまろは毎朝、桜の幹――つまり胴から顔をのぞかせる葉っぱたちを、こつこつと記録していますが、なかには春を待たずして枯れ、そしてそれでもなお落ちずに残る葉もあるのですよ。そんな葉たちを見ていると、ふと願ってしまうのです。来年もまた、ここに一枚、頑張る葉がいてくれたらな、と。命の循環のなかで、ほんの少しだけ「留まることを選んだ」その意思のようなものに、あほまろは毎朝、ちいさな励ましをもらっているのです。 盛りを過ぎた紫陽花の花が、朝露にも重たげに項垂れておりました。あれほど誇らしげに色を放っていたあの花が、今では色褪せ、まるで「もういいでしょう」とでも言いたげな顔をしております。 みじめ――そう言ってしまえばそれまでですが、あほまろには、そんな姿にもどこか惹かれてしまうのです。花の“引き際”というのは、人間よりもずっと潔く、美しいものなのかもしれませんね。 「見ないで」と目をそらすようでいて、どこか「最後まで見届けて」と語りかけているような……。あほまろは、そんな紫陽花にそっとカメラを向けて、静かにシャッターを切ってあげるのですよ。 花は咲く時だけが華ではない――そんなことを、しおれかけた紫陽花が、そっと教えてくれた朝なのでございました。 今日は天気が回復して、まるで梅雨明け後のような夏空と暑さに包まれる一日となりそうですね。 今日も朝から容赦ない暑さですね。あほまろは本日も、秘密基地に引き籠もって、ダラダラと過ごす所存でございます。 ------------------------------------------------------- 夕べの睡眠は71%でした。 おはようヒロちゃん。 散歩のお出迎え。 今朝の朝の朝食は、野菜と目玉焼きにトウキビ。デザートはSuica。妻のコレクションは、ジェームちゃんと景子さん。 昨日の東京スカイツリー。 しゅと犬くん。 あほまろお帰りなさい。 夕べの夜の夕食の晩ご飯は、肉丼とトウキビ。たまには、「黒佐藤」を飾っても叱られないよね。 妻のコレクションは、飽きたこまちちゃんと雪子さん。 Memo iPhone 16 ProMAX