あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記
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令和7年(2025)6月20日(金)旧暦5月24日 仏滅

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今朝の撮影 Data
SONY α1-2
SONY FE 24-240mm/F3.5-6.3 OSS
iPhone 16ProMAX
現像 Adobe PhotoshopLightroomCC
撮影枚数
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- 懐かしの薪ストーブ -

日記写真

 昨日、音威子府からの帰り道。道すがら耳にした情報によると、かつての国鉄美幸線の廃線跡を活用して、エンジン付きのトロッコで運転体験ができるという施設があるとのこと。せっかくの機会ですので、ちょっと寄り道してみることにいたしました。
 もっとも、あほまろは、正直申しまして「エンジン付きトロッコ」なるものには、さほど興味は湧きませんでしてね。どうにも、あの軽やかに走る風情が「鉄路ロマン」とは少々趣が異なるように思えるのです。まあ、こう見えても、幼き日より本物の汽車の蒸気や匂いを胸いっぱい吸い込んできた者ゆえ、ちょっと贅沢な見方なのかもしれませんが。
 けれども、その施設に併設されていた小さな資料館へ足を踏み入れたとたん――おお、目に飛び込んできたのは、館の中央に堂々と据えられた、懐かしい薪ストーブではありませんか。黒々とした鉄の胴体、煤けた煙突、その佇まいが何とも味わい深く、しばし見入ってしまいましたよ。
 思えば、あほまろが子どもの頃、我が家の真ん中にも、まさに同じ型の薪ストーブが鎮座しておりました。冬ともなれば、朝早くから親父が薪をくべ、パチパチと薪がはぜる音とともに、家の中が次第にぬくもっていったものです。ストーブの上にはやかんがのり、しゅんしゅんと湯気を立て、そのそばで母が煮炊きをする。あの頃の冬の朝の記憶が、ストーブの匂いとともに胸の奥からふっと甦ってきたのです。
 便利な電気やガスの暖房に囲まれて久しい現代の暮らしですが、こうしてふいに昔の「火」のぬくもりに触れると(火は点いてませんでしたが)、やはり心のどこかがほっとするものですね。火というものは、単なる暖をとる道具ではなく、家族を包む「心の火」でもあったのだなと、改めて感じた次第でした。
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 あほまろは、今朝は旭川のホテルで目覚めました。旅先といえど、長年しみついた習慣とは恐ろしいもので、いつもの時間に目が覚めてしまうのですよ。東京ならまだ薄暗い時間帯。それが、こちら北海道では、すでに窓の外がすっかり明るいではありませんか。おかしいですねぇ、確かに日の出の時刻に大きな差は無いはずなのに、この違い。ひょっとして、空気が澄んでいるせいか、それともあほまろの目が旅気分で冴えてしまったのか……いずれにせよ、不思議なものですね。
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 昨日の旭川は30度を超える猛暑日。北海道でも、いまや本州顔負けの暑さになるのですねぇ。もっとも、さすがに朝はひんやりとした空気に包まれておりました。そこで一枚上着を羽織って、早朝の散歩に出かけることにいたしましたよ。
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 ホテルを出て駅前に出ると、まだ人影はほとんど見当たりません。買物公園の通りを往復してみましたが、すれ違う人も無ければ、いつも東京浅草で遊んでくれるハトもカラスも、一羽も見えませんでしたよ。もっとも、彼らも早朝の旭川の冷え込みにお布団から出られなかったのかもしれませんね。
 そしてふと気がついたのですが、この旭川の朝の空気――どことなく懐かしい香りが漂っていたのです。東京の空気とは明らかに異なり、もっと澄んで、もっと「自然の匂い」が混じっている。あほまろのふるさとの山河の匂いに似ておりました。これもきっと、「血」というものなのでしょうね。いくら都会暮らしが長くとも、心のどこかで田舎の風景や空気を覚えているものです。そんなふうに思いながら歩いておりましたら、まるで子どもの頃に戻ったような、どこか温かい気持ち出歩いてまいりました。
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 夕べの睡眠波88%。疲れていたので熟睡できましたよ。
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 音威子府では、一軒だけの宿――ゲストハウスに泊まりました。
 なにせ、この村にはホテルも旅館もなく、このゲストハウスが唯一の宿泊先なのですからね。  しかし、このゲストハウスは、あの名物「音威子府そば」を製麺している畑中製麺所さんの知り合いが営んでおり、もちろん「音威子府そば」も頂けましたよ。
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 その後、旧市街を散策してみましたが、最近は熊の出没が多いようなので、簡単に済ませましたけどね。
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 特に、小川沿いが危険とか。
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 国鉄美幸線の廃線跡を活用したトロッコ天国。
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 国鉄美幸線は、廃線前に一度だけ乗ったことがありました。
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 名寄でレンタカーを返す前に、ちょっと立ち寄ってまいりました――お馴染み「キマロキ編成」の見物です。
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 ご存じの方も多いかもしれませんが、「キマロキ」とは、かつて北海道の厳しい豪雪と戦った名機たち――キ(機関車)、マ(マックレー車)、ロ(ロータリー車)、キ(機関車)という豪雪地帯専用の除雪編成のこと。まさに雪国の鉄路を守る“働き者”だったのですよ。
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 これが今では、名寄駅側にきれいに保存展示されておりまして、あほまろも、ここに来るたびに必ず挨拶していくのが習い性になっております。と言っても、いつも列車や車で通過するだけでしたけどね。
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 ロータリー車の堂々たる赤い車体、頑丈な回転翼を間近で見ると、まるで「どこからでもかかってこい」と言わんばかりの迫力でしたよね。昭和の冬、猛吹雪のなかを轟音とともに雪を吹き飛ばしながら進んだ姿を思い出しますね。
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 こうしてキマロキの雄姿を見上げておりますと、若き日の旅の記憶がふっと蘇ってきました。まだ高校生だった頃、夜行列車に揺られて名寄へ降り立ったものの、吹雪で運休続き、駅構内で除雪の様子を食い入るように眺めていた、あの少年の目が今の自分と重なりましたよ。
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 いやはや、月日の流れというものは早いものですな。しかし、こうして保存された機関車たちは、今も昔も変わらぬ凛とした姿で、訪れる者に「雪の鉄路の誇り」を語りかけてくれるのでした。
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 さて、ひとしきり眺めたあと、名残惜しくレンタカーを返却。再び鉄路の旅に戻ったあほまろでした。
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 名寄駅に到着。ど真ん中に鎮座する掲示板を見ると――「車内での精算には、新札はご利用いただけません」とのことですよ。
 おやまあ、思わずひとりニヤリとしてしまいましたよ。何しろこのご時世、東京などでは新札が出た途端に「ピン札でどうぞ」と歓迎されるものですが、こちらでは逆に「新札はご遠慮ください」ですからね。
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 考えてみれば当然かもしれません。地方の車内販売機や精算機は、まだまだ新札対応が追いついていないものも多いのです。だからこそ、古くてくたびれた千円札の方が重宝されるわけでして――これもまた、鉄道旅ならではの“あるある”と言えるでしょうね。
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 今朝のマンコレ旭川。
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Memo
iPhone 16 ProMAX

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