令和7年(2025)6月16日(月)旧暦5月21日 先勝
今朝の撮影 Data SONY α1-2 SONY FE 24-240mm/F3.5-6.3 OSS iPhone 16ProMAX 現像 Adobe PhotoshopLightroomCC 撮影枚数584枚
- キョエちゃんのポートレート写真 -
あほまろは、かつて「写真家」として、あちこち飛び回っておりましたが、その頃からずっと苦手だった被写体があります。それは、女性のポートレート写真というやつでしたよ。 もちろん、モデルさんたちはみなさんお美しくて、プロとしての気迫も立派なものなのですが、それでもあほまろにはどうしても馴染めなかったのです。だって、みなさん、どこまでが顔でどこからが塗装かわからないほど厚化粧。しかも、その顔に張り付いたような作り笑い。あれがどうにも性に合いませんでした。 本来、ポートレート写真というのは、人物の表情や人となり、そしてその人の「生きてきた時間」までも写し込むべきものだと思っております。肖像とは、ただ綺麗に整えれば良いというものではなく、その人の“魂の輪郭”を見せるのが写真家の役目のはずなのです。それなのに、スタイリストさんやメイクさんが寄ってたかって「実物以上に美しく」しようとする。まるでカタログ写真か何かのように仕上げられてしまう。そりゃ、あほまろのような「生身の観察者」にとっては、面白味もなければ写欲も湧かないわけです。まあ、仕事でしたから文句も言わずにシャッターを切りましたけどね、心の中ではため息まじりでしたよ。 しかしですよ、今のあほまろには、理想のモデルがいるのです。それが、カラスのキョエちゃん。素顔のまま、飾りっけゼロ。それでいて、あの瞳の奥には優しさや繊細さが宿っている。キョエちゃんは、笑顔も作らなければポーズも取らない。ただ、そこに「在る」だけ。でも、その自然な佇まいが、こちらに何かを語りかけてくるのですよ。まるで一枚一枚の羽根に、彼女の物語が編み込まれているかのように。 今朝も、まだ誰もいない静かな浅草神社の境内で、キョエちゃんはあほまろの前にふらりと現れてくれました。レフ板も照明もいらない、ありのままの自然光の中で、シャッターを切るたびに、心が震えるのです。これこそ、あほまろが求めていた「ポートレート」のかたち。化粧や小細工ではなく、生命の声が写り込むような、そんな瞬間に出会えたことに、しみじみと感謝した朝でしたよ。 今朝のキョエちゃんの写真、どうぞご覧くださいませ。キョエちゃんの写真も背景をぼかしたポートレート写真ですよ、少しでもきれいに、かわいく見られたいのが乙女心でしょ。厚化粧の代わりに「信頼」まで写っているようでした。 あほまろは若い頃から、洒落や冗談が大好きでしてね。気がつけば、日記の中でも、ついついひとこと冗談を呟いてしまうのですよ。 ところがあるとき、とあるご立派なお方から、「それは自己中心的だ」とお叱りを受けたことがありました。いやはや、冗談にも寛容な世の中であってほしいものですが、どうやらそうもいかないようですね。 もちろん、あほまろとて空気は読みますよ。真面目な話の場ではふざけたことは言いませんし、神妙な場面ではちゃんと神妙な顔もできます。ですが、冗談や洒落というのは、いわば心の余白。人生に必要な“すきま”のようなものでしょう? それを「自己中心的」と言われてしまうと、どうにもあほまろの性格は“世渡り下手”なのかもしれませんよね。 さて、冗談といえば、ご存じでしょう。NHKの大河ドラマ「べらぼう」にも登場する、大田南畝(おおたなんぽ)。 彼は江戸の狂歌師として、言葉遊びと風刺を駆使し、庶民の笑いと嘆きと皮肉をすべて五七五七七に押し込んだ達人でありました。狂歌というのは、和歌の格調を軽妙にくずし、社会風刺、滑稽、皮肉、洒落等々、何でもあり。季語もいらぬ、縛りもない。使う言葉も、そこらの飲み屋で交わされる俗語ばかり。それこそ“べらんめえ”でいいんですよ。 あほまろも、この狂歌という形式が大好きでして、かつては雑誌のコラムなどでも、ちょいちょい使わせてもらっておりましたよ。 たとえば、あほまろと、浅草神社のキョエちゃんとの関係を詠んでみますと・・・。 「朝まいり 主(あるじ)気どりの 鳥ひとり 撮られ上手で 撮る身が下手よ」 「神の前 ポーズを決める 黒き影 拝むあほまろ シャッター切られ」 意味は、 毎朝、あほまろよりも堂々と境内に現れるキョエちゃんは、まるで浅草神社の主のような風格を漂わせ、しかも撮られるのもお手の物。あほまろがレンズ越しに試行錯誤している間にも、キョエちゃんは自然体のままで見事な一枚を与えてくれる。まるで、撮る側が弟子、撮られる側が師匠のような関係なのですよ。 そして、ついでに厚化粧を皮肉る一句も。 「飾らずに 写るカラスの いさぎよさ 粉ふく人間 どこへ向かうや」 カラスは素顔。人間は粉ふき。どちらが潔いかは、見る者の心に委ねましょうかね。他にもどんどん浮かんでくるのですが、今日はこの程度にしておきましょう。 ちなみに、あほまろが狂歌を詠むときの“狂名”は、「阿呆人也(あほのひとなり)」 名は体を表す、でしょ。 さて、今日は全国的に厳しい蒸し暑さになるそうです。東京も気温がぐんぐん上がって、真夏日になるとの予報。あほまろも、早朝散歩の帰り道は、久しぶりにシャツが肌に張り付くほど汗だくになりましたよ。気象庁のえらい方々も「熱中症に注意してください」と何度も言っておられますので、皆さんもくれぐれもご自愛を。こまめな水分補給、これが命の水になりますからね。 おはよう、キョエちゃん。 背後には、五重塔の塔身がぼんやりと浮かび上がり、この世とあの世の境目で、誰かを待っていたような気配。 下ではママも待ってたよ。 おはようキョエちゃんママ。 キョエちゃんは、何かを悟ったように、飛び去って行きました。 いつものコースを巡っていると、再び姿を見せてくれましたよ。 今日も写真を撮らせてね。 ちょっとまってと、 境内の端にできた雨水の水たまりで、喉を潤すキョエちゃん。 見てください、なんとも器用な首の傾け方。 「朝の水 傾ぐくちばし 黒羽根に 写るは空と 人のまなざし」(阿呆の人也) ぐいっとくちばしを横にずらし、水面を掬い上げて飲む。一滴もこぼさぬよう、真剣な眼差しで水と向き合うその姿に、あほまろはしばし時を忘れて、シャッターを切り続けてしまいましたよ。 この後、冒頭のポートレート撮影に協力してくれたのですよ。 アメリカデイゴが散ってしまいました。でも、来月は二番咲きが楽しめるのです。 合歓の花がどんどん増えてきましたよ。それだけで、今日も良い日になりそうですね。 今朝の日の出は午前4時24分。 おはようございます。今朝は開門2分半前にお友達とやって来た野崎さん。 子育地蔵さま、わが家の子どもたちと猫の安全をお守りください。 日本のナイチンゲール、瓜生岩子像。 初夏の境内をご覧下さい。 今日も、あの一枚の枯れ葉が枝にしがみついて頑張っておりました。 風にも雨にも負けず、誰に見られるでもない場所で、ひっそりと粘り強く。あほまろは、そんな葉に毎朝、こっそり「えらいな」と声をかけているのです。 おかげさまで、昨日の日記には多くの方から温かい反応をいただきました。共感のお言葉や、昔を思い出したという声も寄せられ、書き手としてはありがたく、そして少し照れくさい気持ちでもあります。 これからも、目立たぬものにこそ心を寄せて、今日一日を丁寧に過ごしていこうと思いますよ。 奥山の紫陽花も、どうやら盛りを過ぎたようで、花房がほんの少ししなだれてきたようです。 雨に打たれ、陽を浴び、季節のめぐりを見届けたあとの、静かな余韻のようにも見えましたよ。 今日は厳しい蒸し暑さになるそうです。東京も気温がぐんぐん上がって、真夏日になるとの予報ですよ。 どうか皆さまも、どうか無理なさらず、涼しい場所で水分をしっかりと。 あほまろも今日は、秘密基地でダラダラ過ごしますよ。 ------------------------------------------------------- 夕べの睡眠は91%でした。 おはようヒロちゃん。 今朝の朝の朝食は、なんと、妻がサクランボの炊き込みごはんを創ってくれましたよ。旬のものを食べることは、健康維持や免疫力向上に繋がり、死ぬまで生きられるとのことでした。 妻のコレクションは、Suica大好き、シルバーさんとマドンナちゃん。後ろのテレビは、近藤さん。 昨日の東京スカイツリー。 あほまろお帰りなさい。 ウメちゃんママの山形のお姉さんから、サクランボが届きました。ありがとうございます。 これは「佐藤錦」でございます。葉っぱも着いてきましたよ。 それにしても、美味しいものにはどうして「佐藤」の名がつくのでしょう。不思議ですよね。ちなみに、あほまろは「黒佐藤」も好みでしてね。これは お酒の話でなので、お間違えなきよう。ちなみに、明後日から禁酒するので、今夜は佐藤コンビで頂くつもりです。 夕べの夜の夕食の晩ご飯は、タケノコの煮物とマカロニサラダに稲荷とのり巻き。佐藤コンビで頂きました。妻のコレクションは、千草ちゃんと、祥子さん。 Memo iPhone 16 ProMAX