あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記
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令和7年(2025)6月15日(日)旧暦5月20日 赤口

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今朝の撮影 Data
SONY α1-2
SONY FE 24-240mm/F3.5-6.3 OSS
iPhone 16ProMAX
現像 Adobe PhotoshopLightroomCC
撮影枚数
474

- 雨の朝、時には詩人のように……  -

日記写真

 あほまろは、毎朝の散歩で桜の木を定点観察しております。まるで旧知の友人のように、幹の傷みや芽吹きに心を寄せているのですが、そんな桜の幹に、あほまろの心をとらえて離さない存在があるのです。
 -写真は昨年の5月-
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 それは、昨年から落ちずに、いまだにしがみついている一枚の葉。春も夏も、そして秋も越えて、冬の風にもびくともせず、仲間がすべて去ってしまったあとも、ひとり残って、幹のくぼみに張りついているのです。言ってしまえば、ただの枯れ葉。けれどあほまろには、どうしてもその葉が“ただのもの”には見えないのですよ。
 -写真は昨年の6月-
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 年末まではまったく気にも留めずに撮っていたこの幹ですが、ある朝ふと気がついたのです。「おや、まだ居るのかい?」と、まるで旧友にでも再会したような気持ちになりました。
 -写真は昨年の8月-
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 それからというもの、あほまろはこの一枚の葉に妙な感情移入をしてしまい、つい話しかけてしまうのです。「今朝は元気かい?」「まだ頑張ってるのかい?」。人から見ればくだらないことかもしれませんが、あほまろにとっては、これが朝の楽しみのひとつ。
 -写真は昨年の9月-
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 葉っぱにも、何か理由があるのでしょうね。散り際を選ばず、まだそこに居るという意志。誰に見られようとも見られなくとも、ただひっそりと、しかし確かに在る。
 -写真は昨年の10月-
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 そんな姿に、人生の一断面を見てしまうあほまろ。まあ、歳を重ねると、木の葉にも心を寄せてしまうのです。たかが一枚、されど一枚。
 -写真は昨年の11月-
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 この葉が幹から離れるその日まで、あほまろはそっと見守り続けようと思いますよ。そう、まるで別れを惜しむ旧友のようにね。
 -写真は昨年の12月-
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 葉に捧ぐ誌 「一葉残る」

 幹に貼りつく
 ひとひらの葉よ
 仲間はとっくに
 風にまかせて旅に出たのに  おまえだけは まだここにいる

 春を迎えて
 芽吹きの声に
 なぜおまえは 応えぬのか
 いや 応えられぬのか
 それとも それすら越えて
 ただ“そこにいる”ことを
 選んだのか

 -写真は今年の1月-
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 雨の日も
 雷も
 鳥の羽ばたきも
 見届けてなお
 語らぬその葉の背に
 あほまろは耳を澄ませる

  -写真は今年の3月-
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「落ちてたまるか」と
 ひそかに言った気がした
 くだらないと思えば
 それまでのこと
 でも
 この葉とあほまろは
 いま たしかに
 同じ時間(とき)を
 生きている

  -そして今日も-
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 今朝の浅草は、早朝からすでに気温20℃。蒸し暑さがまとわりつくような、雨模様の一日が始まりました。関東から西日本にかけては、日中の気温が30℃近くまで上昇し、湿度も高くなる見込みです。特に内陸部では、まるで真夏のような暑さが予想されております。
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 昼頃には、まとまった雨雲も徐々に海上へと離れていく見通しですが、それでも一日を通して蒸し暑く、不快な体感が続きそうです。 どうかみなさま、こまめな水分補給や冷房の適切な利用など、熱中症対策を万全にしてお過ごしください。
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 今日は「父の日」(6月の第3日曜日)。
「母の日」がカーネーションなら、「父の日」はバラの花だそうです。しかも、父が健在のときは赤いバラ、すでに旅立ってしまった父には白いバラを捧げるのだとか。なんとも、花にまで生死を託す時代になったのですね。
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 さて、あほまろにも、ささやかな父の日のプレゼントがクール宅急便で届きました。わが息子からの贈り物です。それが、よりにもよって“白っぽい黄色のバラ”だったのです。おいおい、まだ生きてるってば。まさか、生存確認を怠ったわけじゃないよね? それとも、先取りの縁起物でしょうか?
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 もちろん、そんなツッコミも胸の内にしまい、ありがたく受け取らせていただきましたよ。なんでも、息子の話によると「赤はちょっと派手すぎるから、白の方が落ち着いてて似合うと思った」とのこと。まあ、あほまろが年相応に“落ち着き払って”見えているのか、はたまた既に“達観した風”に見えているのかは謎ですが、それもまた愛情のかたちなのでしょう。
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 あほまろとしては、花より団子派でしてね、できれば焼酎か、せめて大吟醸の日本酒でも良かったかな、などと心でつぶやきながらも、バラの花は居間の花瓶にしっかりと生けました。白い花びらが、なんとも涼しげで、どこか誇らしげにも見えるのですから不思議です。 写真00
 思えば、あほまろの若かりし頃には「父の日」なんて風習は知る由もなく、ましてや父に何か贈るという習慣もありませんでした。今となっては、感謝の言葉ひとつ伝えぬまま、時の流れに父を見送ってしまったあほまろ。せめて今日、この白いバラを仏壇に供えて、「遅れてごめんよ」と、心の中で手を合わせようと思っております。

 今もどこかで、あの頑固だった父はこう言っているかもしれません。「花なんていらん。酒でもくれ」とかね。
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 今朝の浅草は、しとしとと雨の朝。
そんな中でも、いつものように足を運ぶと、いましたよ。キョエちゃんママが、あほまろが来るのを、まるで境内の鳥居でそっと待っていてくれたのです。
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 「おや、こんな雨の中、ご苦労さま」 そんなふうに言いたげな目でこちらを見るので、あほまろも思わず一言。 「今朝はキョエちゃんはどうしたの?
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 かぁ〜、雨宿りで巣に籠もっているんでしょ。
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 そんな、たわいのないやり取り。でも、それがあほまろとキョエちゃんママとの、長いお付き合いの“ごあいさつ”なのです。言葉ではなく、習慣と気配で交わされる会話。これが、朝の浅草で繰り返される、静かな“儀式”のようなものなのです。
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 ふたりで一緒に本殿まで歩き、いつものように手を合わせ、参拝を終えて、またしずしずと戻ってきました。
 まるで、雨の朝にだけ現れる小さな絵巻物のようなひととき、
たかがカラスと人間、されど心はちゃんと通じ合っているのですからね。
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 境内のアメリカデイゴも、さすがにこの雨には勝てなかったようで、鮮やかな赤い花びらがずいぶんと散ってしまいましたよ。つい先日までは、あの南国の陽射しを思わせるような咲きっぷりだったのに、花の命は本当に儚いものですね。
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 そんな儚さを惜しみながら、あほまろは地面に舞い落ちた数枚の花びらを、そっと手に取ってみました。誰にも気づかれぬように、そっとですよ。泥はねの少ない、まだ色鮮やかな花びらだけを、丁寧に選びました。
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 今夜は、花びらを小さなガラスのコップに浮かべて、ひとり花見酒と洒落込みますかね。まあ、実際は梅雨空を眺めながらの“雨見酒”になるかもしれませんが、それもまた乙なものですよ。
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 花は咲いてこそ華やかですが、散った後の姿にも、どこか惹かれるのがあほまろの性分なのです。浮かべた花びらを愛でながら、ほろ酔い気分で、どんな夢を見ましょうかね。
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 そしてこちらは合歓の花。梅雨の雨に濡れながら、そっと高みで揺れておりましたよ。
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 この花は、なぜかどれも高いところに咲くのですよね。おかげで写真を撮るのもひと苦労。あほまろはレンズに雨がかからぬよう、傘を片手に、そっと見上げてシャッターを切ってきました。まるで天上の花を盗むような心持ちで。
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 合歓の花。薄紅の糸をふわりと広げたような姿は、雨に濡れてもしおれず、どこか可憐で、たおやか。しずくを纏うその姿は、まるで濡れ髪の平安美人のようにも見えてきます。清らかで、けれど芯のある静かな佇まいに、思わず見とれてしまうのですよ。
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 誰も気づかぬような静かな木の上で、ひっそりと、それでも凛として咲いている合歓の花。まるで、浅草の片隅に咲く秘めた想いのようで、雨の朝 にはひときわ心に染み入るのでした。
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 今朝の日の出は午前4時24分。
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 まだ夜が明けきらぬような静けさが漂う境内。
そんな中、傘を差した若者たちの一団が、本堂の前を通り過ぎていきました。今日は日曜日か……、きっと、この方々は夜通し遊び明かしての帰り道なのでしょうね。まだ少し湿った空気のなか、雨に濡れた石畳を軽やかに歩いていくその背中が、どこか楽しげで、そして眩しくも見えましたよ。まるで、ひとときだけこの町が彼らの舞台になっていたかのようにね。
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 あほまろにはとうに過ぎた青春の通り道。でも、こうして朝の光の中で、何気なくすれ違う若者たちの姿を見ると、「若いっていいなぁ」と、つい口からこぼれてしまうのですよね。あほまろも、かつては夜が明けるまで夢中で歩いた道があったはずなのですが、今ではもう、朝の散歩が一番の冒険ですよ。
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 雨に濡れる日本のナイチンゲール、瓜生岩子像。
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 ここからは、雨の境内をご覧下さい。
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 雨と紫陽花。このふたつが揃うと、なぜこんなにも切なさが滲むのでしょうね。 あほまろは毎朝、浅草のあちこちに咲く紫陽花を眺めながら歩いておりますが、雨に濡れた花を見つけるたびに、胸の奥にひとしずく落ちるような、そんな感覚にとらわれるのですよ。
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 紫陽花という花は、晴れの日よりも雨のほうが、ずっと似合いますよね。まるで、自分の美しさをひとに見せびらかすことなく、そっと雨を受けとめるような姿勢に、何とも言えぬ奥ゆかしさを感じてしまうのです。
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 しかもこの花、色を変えるじゃありませんか。土の性格に合わせて、青くなったり、赤くなったり。まるで、自分を取り巻く環境に静かに寄り添いながら、それでも凛として咲いている。ああ、まるで人生じゃありませんか。
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 そんな紫陽花が、雨に濡れてうつむく姿を見ると、「ああ、おまえさんも我慢してるのかい」と、思わず話しかけてしまうあほまろ。これはもう職業病というより、年の功でしょうね。
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 今日も雨の境内で、しっとりと咲く紫陽花に、静かに心を委ねながら歩いてまいりましたよ。
切ないけれど、嫌いじゃない。雨と紫陽花には、そんな魔法がかかっているのかもしれませんね。
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 雨に濡れる町も、悪くはありません。むしろ、人の気配もまばらで、景色の色も静かに深くなる。そんな雨の風景に、あほまろはどこかほっとするのですよ。
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 あほまろは、今日も秘密基地にて、ダラダラと過ごしますよ。
「何もしない」という贅沢こそ、今の時代に必要な“処方箋”だと信じておりますのでね。外は雨上がりの湿気と熱気、街は観光客で賑わい始める時間帯。そんななか、あえて何もせず、机に足を乗せてひと息つく。それが、あほまろにとっての“英気を養う”という名の儀式なのであります。
 秘密基地とは言っても、正体はただの書斎兼雑多な物置。だけど、ここには誰も入れない自由と、誰にもジャマされない平穏があるのです。
コーヒー片手に、昔の写真を見返したり、狂句を考えたり、まことに贅沢な空間なのです。
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 夕べの睡眠は80%でした。
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 おはようヒロちゃん。
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 今朝の朝の朝食は、サラダと夕べの残りのライスカレー。デザートはいつものブルーベリー。妻のコレクションのアスリーチャンとバービーちゃんでいただきました。
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 昨日の東京スカイツリー。
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 あほまろお帰りなさい。
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 夕べの夜の夕食の晩ご飯は、ライスカレー。お水代わりの氷を入れて、「黒佐藤」を飾ってみました。
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 妻のコレクションは、モモちゃんと、音威子府のトメさんでした。
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Memo
iPhone 16 ProMAX

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