令和7年(2025)6月14日(土)旧暦5月19日 大安
今朝の撮影 Data SONY α1-2 SONY FE 24-240mm/F3.5-6.3 OSS iPhone 16ProMAX 現像 Adobe PhotoshopLightroomCC 撮影枚数638枚
- 浅草寺・五重塔の隠れた守り -
今日は、梅雨前線が日本海に北上しつつあり、徐々に東へと移動している影響で、西日本では朝から広い範囲で雨となっております。関東も次第に天気が崩れ、午後には雨が降りやすくなり、夕方以降はザーッと本降りになる見込みだそうです。 朝のうちは、うっすらと日差しも感じられましたが、それも束の間。どうやら傘の出番は避けられそうにありませんね。 そして明日の早朝散歩も、雨の中となりそうですが――ご心配なく。あほまろは、たとえ雨でも休みませんよ。雨の浅草もまた風情があって、記録に残す価値があるのですから。 あほまろは今朝、ふと浅草寺の五重塔を見上げながら、あることを思い出しました。そう、今日は「隠れた守り」についてお話ししようと思います。題して「鬼門封じの猿」。 昔から日本には「風水」なる、ちょっとスピリチュアルで、けっこう実践的な思想が息づいております。なにせ、人生の成功には「陽」のエネルギーが欠かせない、なんて言われておりますからね。陰気な場所には近づかない、暗い話は避ける、人間関係も風通しよく。要するに、元気で明るくやりなさいというわけで、案外それが一番むずかしいのですけど。 さて、その中でも“最も避けるべき方角”とされてきたのが「鬼門」。北東(艮=うしとら)の方角ですね。この方角、時間帯でいえば夜明け前の暗闇、季節でいえば命がひとたび眠る厳冬のころ。つまり、世のあらゆる“境目”とされる時間と場所なのです。 「この世とあの世の通り道」とか「邪気の出入り口」なんて物騒な言い伝えまであるもんですから、昔の人々は家を建てるときも、その方角にやたらと敏感でした。そこで登場するのが、「申(さる)」。干支で鬼門の反対側に当たる方角でして、この申が鬼を“去らせる”縁起物として、古くから重宝されてきたというわけです。シャレ好きな日本人らしい発想ですね。 江戸時代には、将軍様のお城――江戸城の鬼門を守るために、きっちりと東叡山・寛永寺を配しました。しかもそのさらに先にあるのが、わが浅草寺。ここも立派な鬼門結界のひとつ。つまり、徳川家が浅草に込めた願いは「しっかり頼むぞ、あとは任せた」といったところでしょうか。現代でも地元の商人たちが「景気の鬼門はどこだ」とぼやいておりますが、あほまろにはそれもまた、風水的なるぼやきに聞こえますよ。 さて、ここからが本題。浅草寺の五重塔をご覧になったことはありますか? その第三層、高さでいえば中段の南西角、すなわち裏鬼門の位置に、なんと「猿の鬼瓦」が据えられているのです。ええ、本当ですよ。だたし、その存在を知っている方は少数派。なんせ、そんな高いところ、普通は見上げませんからね。最近はスマホばっかり見ている人ばかりで、上を向く人が減っているような気もします。 もう一度上に戻って写真をご覧下さい。上の写真が通常の鬼瓦で、下の写真が「猿の鬼瓦」。 300ミリに1.4倍のテレコンバートを着けて撮影しました。 この鬼瓦、写真を撮るのにも一苦労でした。実はあほまろ、数年前に浅草寺幼稚園の屋上から、冬の時期に特別に許可をいただいて撮影いたしました。 それでもなお、そこからの撮影は至難の業。春から夏にかけては木々の葉が茂ってしまい、もはや幻の猿瓦と化してしまいます。ドローンを飛ばせば見えるかもしれませんが、お堂の上にドローンを飛ばすなんて、バチが当たりそうですよね。 ちなみに、通常の鬼瓦というのは、鬼の顔をあしらった迫力ある魔除けですが、この五重塔の“猿瓦”は、なんともユーモラス。見る者の心をちょっと和ませつつ、しっかりと邪気を封じてくれているのです。まさに“隠れた守り”。そう思って見ると、五重塔の表情もどこか優しく感じられてくるから不思議ですね。 もし、冬の晴れた日に浅草を訪れることがあったなら、ぜひ双眼鏡をご持参ください。そして伝法院の庭園側から、そっと第三層の南西角を見上げてみてください。猿の姿が、ひっそりと、でも確かにあなたを見つめ返してくれるはずです。 あほまろは思うのです。見えないからこそ、そこに「信じる心」が宿るのだと。猿の鬼瓦は、見上げる者にしか気づかれない。その静かな存在こそが、風水の教える“気”の在りかたそのものなのかもしれませんね。 今朝のキョエちゃんは、いつものように、あほまろの到着をじっと待っていてくれましたよ。場所は――なんと照明器具のてっぺん。どうやら高いところから、境内を見渡しつつ「今日は遅いな」とでも思っていたのでしょうか。 でもね、今日はちょっと条件が悪かった。まだ日が昇る前の、世界が青く沈黙するような時間帯。あたりは薄暗く、光も乏しく、写真に撮るにはあまりに厳しい一瞬でした。 それでも、あほまろの姿を見つけると、キョエちゃんはパッとこちらを向いて、まるで「おはよう」とでも言いたげな表情。いや、表情と言ってもカラスですから、目も口も真っ黒ですけど、長年のつき合いになると、その“気配”が伝わるんですよ。不思議なもんですね。 撮れた写真は、ご覧のとおり。光の具合はいまひとつですが、照明の上で堂々と立つキョエちゃんの姿には、朝の静寂を破るような存在感があります。 まるでこう囁いているようです。 「今日もちゃんと来たね。じゃあ、下に降りようね」 あほまろおはよう! その姿たるや、まるで「さあ、撮ってちょうだい」とでも言いたげなモデル気取り。ご覧ください、この立ち姿。石柱の上でピタリとポーズを決め、わずかに首を傾げて、カメラのレンズを真っ直ぐに見つめるその眼差し。まさに、黒羽のファッションモデル。 「ちょっと、今日は背景がいいでしょ」とでも言っているようで、あほまろは思わず夢中でシャッターを切りましたよ。朝の光に艶めく黒い羽根。強さと知性と、そしてどこかあどけなさを感じさせる表情に、何枚でも撮りたくなってしまうのです。 キョエちゃんは撮られ慣れてきたのか、それとも撮られることが好きなのか――まあ、それはわかりませんけども、今朝の彼(彼女?)は、間違いなく“主役”の風格を放っておりました。 今朝のアメリカデイゴ。盛りを過ぎた花房が、風にゆらゆらと揺れておりました。 あの燃えるような赤が少しずつ色あせ、地面に静かに舞い降りていく姿は、まるでひとつの季節が終わりを告げる儀式のよう。それでも、枝先をよく見ると、次の蕾たちがしっかりと出番を待っているのです。 「先輩たち、お疲れさま。次はわたしたちが咲きますよ」 そんな声が、葉陰から聞こえてきそうで、思わず頬が緩んでしまいました。 花は咲いて散るもの。けれどアメリカデイゴは、それでも次々と蕾をあげてくれる。潔く、美しく、そしてたくましい。まるで人生の縮図を見ているような気さえいたします。 梅雨の空の下、静かに、けれど確かに咲き継がれていく命のリレー。その赤は、今日も境内の緑のなかで、ひときわ鮮やかに燃えておりましたよ。 今朝の日の出は午前4時24分。 境内の木陰に、ひっそりと咲いておりました――合歓(ねむ)の花。 薄暗かったので寄りは撮りませんでした 朝の空はまだ目覚めきらず、あたりには薄明の静けさが漂っていました。 光が足りず、今日は寄りの写真は見送りましたが、それもまた、合歓の花には似合っている気がしますね。あの花は、あまりに近づきすぎると、かえって気配を消してしまいそうな、儚さと静謐をまとっておりますからね。 夜になると葉を閉じて眠るこの木は、昼と夜の境を行き来する、不思議な存在なのです。 合歓の木の下には、紫陽花と、 紫蘭の花が咲いてましたよ。 観音裏の広場から境内に戻ってくると、本堂前にキョエちゃんママの姿が。 いつものように、しずしずと石畳を歩きながら、あほまろの帰りを待っていたのでしょうか。まるで、「おかえりなさい、今朝もちゃんと巡ってきたわね」とでも言いたげな眼差しでしたよ。 キョエちゃんママは、あの堂々とした立ち姿に加えて、近頃はちょっとした“貫禄”まで漂わせていて、本堂の前にいるだけで、なんとなくありがたみを感じてしまいます。もしかすると、毎朝ここに立って、参拝者たちの願い事を聞いてくれているのかもしれませんね。 浅草寺の朝は、人も鳥も、それぞれのやり方で今日を迎えているのですね。 おはよう陽子さん。 おはようございます。今朝は開門3分前にお友達とやって来た野崎さん。 人呼んで「朝の七福神」。布袋さんはどなたかな。 子育地蔵さま、わが家の子どもたちと猫の安全をお守りください。 日本のナイチンゲール、瓜生岩子像。 初夏の境内をご覧下さい。 昨年から落ちずに、いまだに枝にしがみついているソメイヨシノの一枚の葉。いったいどこまで踏ん張ってくれるのでしょうね。 奥山のアジサイ。 梅雨本番。今日はこれから雨になりますよ。 あほまろは今日も秘密基地でダラダラ過ごしますよ。 ------------------------------------------------------- 夕べの睡眠は74%でした。 おはようヒロちゃん。 今朝の朝の朝食は、野菜とタマゴ焼きと、お赤飯。デザートはブルーベリーと京都のもなか。 息子から「父の日」のお祝いが届いたので、妻のコレクションのいちごちゃんとりんごちゃんも喜んでましたよ。 昨日の東京スカイツリー。 しゅと犬くん。 あほまろお帰りなさい。 夕べは息子が帰ってきたので、久しぶりに近所の寿司屋さんから出前一丁。「佐藤」を飾ってあげました。 妻のコレクションは、景子さんとジェームちゃん。 Memo iPhone 16 ProMAX