ここ数日の暖かさとは一転し、今日は冷たい雨が降る花冷えの朝になりました。あほまろは今日からズボン下とセーターを脱いで散歩することにしたのでしたが、やっぱりちょっと寒かったよ。
今日は昼間も厚手の上着が欠かせないようですね。この雨も夜になると段々と止んでくるようで、明日の朝は暖かい陽気が戻って来るようです。

桜も満開をすぎると徐々に桜吹雪が舞い、水の上に花いかだも出来てきます。そして葉桜に変わると、新緑の季節ですね。

桜の楽しみも短い時間でしたね。桜が咲く僅かな日々ではありますが、日本人にとって特別な存在の花なので、この短期間を表す言葉のなんと多いことか・・・。

花の春・花見・花の吹雪・花時・花盛り・花明り・花筵(かえん)・花下・花衣・花篝(はなかがり)・花筵(はなむしろ)・花筏(はないかだ)・花曇(はなぐもり)・残花・花の雫などなど、並べるとキリが無いほど存在していますね。

これらの言葉から、桜は日本人に愛されてきたことが解かりますね。
「花は桜木、人は武士」
花の中で桜が最もすぐれているように、人の中では武士がすぐれているなんて言葉もありましたね。

ほしいけれども、手に入れる方法が見つからないことを桜の花にたとえた言葉、「花は折りたし梢(こずえ)は高し」ってのも。
気ばかり焦っても、手がいきなり伸びて花に届く訳じゃなし、じっくり待って、花が自分の所まで下りてきてくれるのを待つのも楽しいんじゃないですか。なんて風流な言葉なのでしょう。

仲見世の伝法院前は、散った花びらでピンクの絨毯が敷かれているようで綺麗でしたよ。これで雨が降ってなければもっと情緒があったのにね・・・。

料亭のトイレに、「急ぐとも心静かに手を添えて外に漏らすな松茸の露。吉野の花も散れば汚し。」そんな歌が掲げてありました。この川柳はあちこちで良く見かけますが、いったい誰が詠んだのでしょうかね。そんなことを考えながら、立ち小○なんてしませんので、吉野の花さん、ご安心を。

花びらがひらひら散るもよし、水辺に浮くもよし、強風で花吹雪が舞うもまたよし。桜はやっぱり日本一の花なのだ。

散った花びらが水面を覆う姿を「花筏(はないかだ)」で、地面を覆うと「花筵(はなむしろ)」。これも綺麗な言葉ですね。今朝の浅草神社境内では、砂利と雨の水溜まりで、その両方を見ることができたね。

筵(むしろ)という漢字には、筵席(えんせき)を張るとか、酒宴の席にも使われますね。本来は綺麗な言葉のようですが、あほまろは「筵(むしろ)」と聞くと、農家で豆などを乾燥させるために庭に敷き詰めるゴザを想像してしまうんだよね。映画などでも、百姓一揆には、筵旗(むしろばた)を掲げるし・・・、そんなこと思い出してしまったよ。

仮名手本忠臣蔵の、老人が遊女に溺れることを「筵破り」って言ってたっけ。ひとつの漢字にも、様々な意味が込められている。桜を連想しながら、「筵」から横道に逸れてごめんなさい。
さて、明日は最後の花見の筵席。でも、近頃では「筵」なんか使わず、隅田公園で同じみの青テント。ノリちゃん、それじゃ風情が無いでしょ・・・。←これは業務連絡でした。

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たとえ室内であっても花見は出来るのです。昨夜は、古銭商の友人夫婦と近所の料亭「一松」で花見の筵席。

「薄墨桜」と名付けられた器に注目。盛りつけは蒔絵の桜、これが夕べの主役だったのです。
先日、一緒に姫路を訪れた折に友人が一目惚れで衝動買いされた蒔絵細工。花見の時期に、旬の肴を盛りつけて食べてみたい。料亭の板前に無理を言って、この宴席が実現したワケですよ。

製作は、漆工芸家江藤國雄氏です。こちらで、ちょうどこの皿が制作される姿がご覧いただけます。

春の「薄墨桜」と、秋の「彩り」の二枚に盛りつけられた旬の肴。器を楽しみながら、欲を言えば、「夏」と「冬」も欲しいところですね・・・、なんてことになってしまいました。

友人は根岸にお住まいで、夏といえば「あさがお」ですね。紫色のあさがお「団十郎」に、梅雨が注ぐ、そんな蒔絵も良いでしょうね。そして、冬といえば、雪に赤い実が鮮やかな「千両(せんりょう)」「万両(まんりょう)」の実しか無いよね。なんたって、友人は古銭商を営んでいるんだから。

縁もたけなわ、室内の花見であっても、みごとな器に心を奪われ、風流な日本人で良かったことに感謝感謝の宴席でしたよ。

ただひとつ、いただけないのが料亭所有のこのお椀。古銭「和同開珎」を摸したようだけど、書体も漢字も文字の並びまで総てダメ。せっかくの蒔絵漆器もこれじゃ形無しですよ、女将さん。

Memo
SONY NEX-7
E3.5-5.6/18-55 OSS
SIGMA 30mm F2.8 EX DN
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