ようやく春らしい温もりを感じられるようになってきましたね。

今日は、これから強い南風が吹いて、気温もぐんぐん上がるようです。これで、桜も一気に開花してくれることでしょう。

昨年は東日本大震災のおかげで、明るい気持ちで春を迎えることができませんでしたが、今年こそ新しいことを始めたくなる季節にしていきましょうね。

週が明けると、新学期新年度など新たな年が始まるのです。今朝も福井県から新入生の親子が浅草寺詣でに訪れていました。東京藝大に入学する娘さんの初めての一人暮らし、親御さんは心配を余所に、娘さんは胸躍らせているようでした。

思えば、あほまろが故郷の北海道から東京に出て来たのが昭和41年3月でした。最初の下宿は親戚の方が探してくれた世田谷上町でしたが、東京に着いた翌朝には浅草寺を詣でたのです。でも、親は一緒じゃ無かったけどね。

いつものように、浅草寺の階段上の賽銭箱前に立っと、東京で一人暮らしの安全祈願、つい先日のように蘇ってきたのでした。あれから46年も経ってしまったとは思えない同じ場所、まだまだあの時からの希望は捨ててはいませんよ。

あほまろの節目節目で総ての始まりは浅草からだったな・・・。東京で最初の友人が出来たのも浅草、初めてのアルバイトも浅草、松竹演芸場で始めて聞いた生の落語が、三遊亭歌奴師匠(現在の三遊亭圓歌師匠)でした。それからという物は、浅草に入り浸りの日々、気付くといつの間にか、三遊亭圓歌師匠の弟子になっているんだね。

桜のつぼみもふくらみ、少しずつ春を感じられるようになってきた浅草、この時期を迎えると、あほまろは毎年、同じことを思い出し同じ事を綴ってしまうのです。

やぼなあほまろですら、そんな感情を抱いてしまうのですから、みなさんも、桜の時期になると少しは感傷的になることでしょう。

旅立ちの春、心の春、様々な春。でも、あほまろには、老いの春っきや残らないのが残念だけどね。
「いつまでか雲居の桜かざしけむ折り忘れたる老いの春かな」(続拾遺和歌集雑春)

そうはいっても、我が世の春って言葉もあるよね。時流に乗って、何でも思いのままにできる得意の時期のことです。老いても我が世の春を謳歌する。まだまだ勢いの盛んなあほまろですよ。

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