『つくづくと』
散歩に出かける時間を10分ほど遅くしただけで、外はもう明るくなってましたよ。おかげで、暖かく爽やかな散歩になりました。天気予報によると、今日も爽やかな秋の陽気に包まれて風も弱く、お洗濯日和とか。また、昨日は、久しぶりに25°を超えた夏日だったそうです。でも、あほまろとナナちゃんは、一日中秘密基地の中で過ごしていたので、夏日の恩恵にはあずかれませんでしたけどね。
散歩に出かける前のナナちゃんも、ポカポカ陽気でお目覚め爽やかでしたよ。

これは何でしょう。昨日、いつもの寿司屋さんに行くと、お客さんで埋まっている訳じゃ無いのに、お座敷が使えないというのです。それもそのはず、お座敷のテーブルの上いっぱいにボラの子を並べ、カラスミを作っていたのです。最近は築地でもほとんど入荷することが無かった国産のボラが入荷していたので、大量に仕入れてきたようです。これほど大きな卵、1個が500〜700グラムはあるでしょうね。本当は表面に浮き出る脂を拭き取りなが天日干しが良いのですが、このお店では、重しを乗せて加圧しながら水気を抜いていくようです。
カラスミ(唐墨)といえばウニ、コノワタと併せて日本三大珍味で高級な酒肴、これだけ作っても、のんべが多いお店なので、すぐに売れてしまうんでしょうね。完成したら大根に挟んで食ましょうね。仕上がりが今から楽しみですね。

今朝の日の出は午前5時59分、このように紅い状態が見られるのは、日の出12〜13分前頃まで、僅か2〜3分の天体ショーなのです。それも、今朝のように東の空に多少雲が有ると、雲に反射して更に綺麗に見えるのです。

西側の空もほんのりと紅く染まってますね。

観察から3分後、急激に明るくなってしまい、それと共に朝焼けも消えていくのです。昔からの迷信では、「夕焼けは晴れの兆し」に対して「朝焼けは雨の兆し」と言われることも多いようですが、今朝の予報は一日中晴れです。それでも、朝焼けがこんなに綺麗なんて、迷信はおかしいよね。
日の出時に太陽が地平線下6°くらいに近づくときから東の空で雲が赤く輝く現象。地平線の方向にある大気中の細塵のため短い波長の青い光が散乱され,主として赤色光が目に入ることによる。(マイペディア)

『東京スカイツリー』
朝焼けのピークを狙いました。

朝焼けは、みるみるうちに消えていくのです。

来月3日、文化の日に開催される「東京時代まつり」の交通規制が出されました。

散歩帰り。

「和みのぽち袋と絵封筒」展
遊び心たっぷりの「ぽち袋」の世界です。
これっぽちの小ふくろの中に凝らされ、思いもつかない粋なおもしろさに出会えるでしょう。 ぽち袋は小さいので、当然、中い入れるお金もちっちゃいのです。
誰が名付けたのかは知れませんが、「これっぽち」の「ぽち」から派生した言葉じゃ無いのでしょうか。
冠婚葬祭で使われる熨斗袋と違い、非公式の場所での使用に限られているため、めちゃくちゃ粋に洒落た小袋は子どもたちへのお年玉、またお使いのお駄賃など、立場が上の者から下の者にしか使うことが出来ないのが「ぽち袋」なのです。
それまでの心付けは、懐紙に包んだお捻りだったのですが、このぽち袋に変わっていった背景には、郵便制度の導入が大きく関わっているのです。我が国では古来から文章の秘密を保持する手段として紙で包んだ手紙を封紙などで封じて渡していたのでしたが、明治四年に郵便業務開始に伴って郵便局が開設、切手と共に封筒も売られたのです。
ぽち袋が始めて市販されたのは、明治15年、日本橋の和紙店「金華堂」で、それまで和紙の包みであった大入り袋の封筒版でした。その後、東京の和紙屋の「開運堂」、「榛原」、京都の「さくら井屋」などからも次々と洒落た袋が売り出され、全国に普及していきました。それに端を発したのが千社札の交換会から派生した、ぽち袋交換会でした。大正8年5月、浅草仲見世中正倶楽部開催の「江戸会」にて、始めて開催され、凝った意匠のぽち袋が登場したのも、その頃からではないでしょうか。
これっぽちの気になる小ぶくろをお楽しみください。

会場:テプコ浅草館 協力:江戸ネット
会期:2009年9月15日(火)〜11月15日(日)
休館:毎週月曜日(月曜日が休日の場合は翌日)
電話:03(5827)3800
入場無料 |