『つくづくと』
散歩の出発時間がどんどん暗くなってきましたね。それもそのはず、今朝の日の出は午前5時54分で、散歩の出発は午前5時30分なのですからしかたが無いのでしょうね。おまけに、朝夕の冷え込みも一緒に進行していくのですよね・・・。あほまろにとって、辛い季節に突き進んでいるのですよ。
もしも、午前7時ころまで寝ていられたら。もしも、朝の散歩をしなくても良くなったら。もしも、毎日の日記を更新しなくても良くなったら。あほまろはどんなに楽になれるでしょうね。最近はそんな夢を見ることが多いのです。昨夜も、亡くなった友人が夢に出て、ほとんどの人は午前7時まで寝て、ほとんどの人は朝の散歩なんかせず、ほとんどの人はインターネットの日記なんて書いていないぞ。どれも、自分が好んでやっていることじゃないか。止めたいのなら、今からでもすぐに総てが解決するんだ。お前は昔から貧乏性なんだからな・・・。
どうして、亡くなったY君が夢に出て来たかといえば、理由があるのです。昨夜、Windows7が気になって弟子の古麻呂を連れて秋葉原に行った帰り、ゲームソフトのお店のワゴンの中に、場違いのようにぽつんと一箱だけ「国産名車コレクション」が置かれていました。中には、三菱デボネアのミニカーが入っているのです。あぁ、懐かしい車だな・・・、そんなことを想いながら一旦はそのお店を出たのでしたが、何か後ろ髪を曳かれる思いが。そうだ、三菱デボネアといえば、学生時代にアルバイトでお金を貯めて購入したボロボロの中古車、嬉しくて夜な夜な乗り回していたのです。
ある日、友達たちと日光に紅葉を見に行った帰り、友人達を家まで送り、Y君と二人で環七を走っている最中、運転をしていたあほまろ、急に眠気が襲ってきたのでした。とはいっても、Y君は免許を取ったばかり、あまり運転は上手くありません。しかし、このままで居眠り運転する訳にもいかず、また夜中で交通量も少ないこともあって、Y君に運転を変わってもらい、あほまろは後部シートに横になって熟睡してしまったのでした。
突然、ドドドド〜!もの凄い音で飛び起きようとすると、いったい何が起こったのか屋根は完全に押しつぶされ、寝たままの格好から身動きが出来ないのです。Y君に声をかけても、かすかな唸り声が聞こえるだけ。外から人の声が聞こえ、やがて救急所とパトカーのサイレンが近づき、警察官とのやりとりから、お店のシャッターを突っ切って停まったことが判ったのです。電動カッターのようなものでガリガリ、あほまろはようやく外に出ることが出来たのでしたが、Y君はハンドルに足を挟まれ、なかなか救出することができなかったのです。
事故は、競馬馬を運ぶ大型車が交差点で赤信号を無視して猛スピードで突っ込み、デボネアの全部にぶつかってはね飛ばされて、角のお菓子屋さんのシャッターに突っ込んでしまったのでした。
現場には、大勢の警察官が様々な道具を使ってY君を救出ようと努力しています。その様子を見ていると、一人の警官が、ダメじゃないか規制線の外に出てなさい。そうなんです、あほあまろは寝ていたので、全くの無傷だったので、野次馬と間違がわれてしまったんですよね。
およそ30分くらかけ、ようやく助け出された時には既に意識はありませんでした。あの事故で一命はとりとめましたが、片足切断の大事故だったのです。とっても後悔しました、もちろん今でも後悔しています。あの時、運転を変わらなければ・・・。急ぐ旅でもなかったので、無理をせず路肩に止めて仮眠すれば良かった・・・・。
その後、Y君は学校を辞めて秋田に帰ったのでしたが、2年後、あの事故が原因で亡くなってしまったのでした。
事故が起こる一週間ほど前には、お互いにノンポリでしたがY君と興味本位で当時の佐藤首相の訪米阻止の学生運動にゲバ棒持って参加、羽田の弁天橋で、機動隊と衝突したんです。みんなで捕まって、留置場で一晩過ごした仲だったんだよね。
帰ってから、あの頃の記録を辿って更に驚き。あの事故は、昭和42(1967)年10月22日未明だったのですね・・・。42年後の同じ日、どうして、あのワゴンの中に、三菱デボネアがあったのでしょう。不思議な不思議な巡り合わせでした。今朝は、浅草寺といつものお地蔵さまにY君のご冥福をお願いしてまいりました(合掌)。

あほまろの長い人生、いろいろあったんだね・・・。

観音裏の住民さんから、「オリオン座流星」の写真が届きましたので、みなさんにもご覧にいれます。
雲が出てくるまで約1時間30分間、撮影していましたが、確認した流星は6個、そのうち2個は散在流星でしたので、オリオン座流星群の流星は4個でした。また、そのうち撮影できたのは2個でした。(メールより)
オリオン座流星群」の撮影データ2009年10月22日(木)午前0時10分〜午前1時45分、
ニコンD5000/SIGMAf28mm F1.8
露出3分〜5分、固定撮影
撮影地/栃木県那須高原
やはり今年はマスコミが騒ぐほど多くはなかったのでしょうね。ご苦労様でした、そして貴重な写真をありがとうございました。

昨日は、来月1日にオープンするアミューズミュージアムの内覧会に行ってきました。(写真は今朝のもの)

芸能プロダクションで同じみの株式会社アミューズの子会社、株式会社アミュー スエデュテインメントが、アクティブシニア層に向け、知的好奇心や教養を刺激することを目的にして開設されたミュージアムです。
館内に入ると織り姫と称したお嬢様たちが、袴姿でお出迎え。オープニング企画は「布を愛した人たちのものがたり」。

彼女たちが行う手織り作業も見学できますよ。

こちらが織り姫さま。今度、名刺交換しましょうね。

織り姫のみなさん、現在は青森県の伝統芸能、手踊りの特訓中。

最上階のステージでご覧になれますよ。

民俗学者・著述家の田中忠三郎氏のコレクションの中から世界初公開となる国指定重要有形民俗文化財「津軽刺し子着物」やテキスタイルアート「BORO」などがところ狭しと並べられています。展示の中には、国の重要文化財も混じっているようです。
オープン記念の「特別展のご案内」
『布を愛した人たちのものがたり展』
期 間:2009年11月1日(日)〜2010年2月28日(日)
内 容:世界初公開展示 国指定重要有形民俗文化財
津軽刺し子着物
テキスタイル・アートコレクション<BORO>
等、延べ100点を順次展示予定
入館料:一般 800 円 大学・高校生 600 円
中・小学生 400 円 未就学児童無料
身障者割引(本人+付添い 1 名迄)400 円
団体割引(15 名以上)640 円
休館日:特別展開催中を含め年中無休
尚、展示替のための一部休室あり
ホームページ:http://www.amusemuseum.com/
(公開は11月1日より)

黒澤明監督映画「夢」の衣裳を始め、黒澤映画で実際に使用された古民具など、撮影時の貴重な資料も展示。

また、ボストン美術館所蔵の幻の浮世絵「スポルディング・コレクション」を基にした映像作品と、複製画の展示もあります。

屋上からは、建設中のスカイツリーも見えますね。よく見えるので、これからの経過写真を撮らせてもらいましょう。

アミューズの最高顧問大里さん自ら、我々を案内してくれたのです。あほまろも何かのお手伝いをして欲しい、そんなことまで頼まれてしまいましたよ。場所は二天門を出た真ん前、これからは浅草の新しい顔として、世界中から多くの観光客が訪れてくれることでしょう。

というわけで、いつもの写真。

まだ真っ暗なんだよね・・・。

これから正月が過ぎるまで、写真を撮るの無理かもね。


『東京スカイツリー』
定点観測。

一枚だけじゃ経過は判らないけど、写真を並べてみたら一目瞭然だよ。みなさんも写真をダウンロードして、経過を確かめてください。

散歩の帰り。

「和みのぽち袋と絵封筒」展
遊び心たっぷりの「ぽち袋」の世界です。
これっぽちの小ふくろの中に凝らされ、思いもつかない粋なおもしろさに出会えるでしょう。 ぽち袋は小さいので、当然、中い入れるお金もちっちゃいのです。
誰が名付けたのかは知れませんが、「これっぽち」の「ぽち」から派生した言葉じゃ無いのでしょうか。
冠婚葬祭で使われる熨斗袋と違い、非公式の場所での使用に限られているため、めちゃくちゃ粋に洒落た小袋は子どもたちへのお年玉、またお使いのお駄賃など、立場が上の者から下の者にしか使うことが出来ないのが「ぽち袋」なのです。
それまでの心付けは、懐紙に包んだお捻りだったのですが、このぽち袋に変わっていった背景には、郵便制度の導入が大きく関わっているのです。我が国では古来から文章の秘密を保持する手段として紙で包んだ手紙を封紙などで封じて渡していたのでしたが、明治四年に郵便業務開始に伴って郵便局が開設、切手と共に封筒も売られたのです。
ぽち袋が始めて市販されたのは、明治15年、日本橋の和紙店「金華堂」で、それまで和紙の包みであった大入り袋の封筒版でした。その後、東京の和紙屋の「開運堂」、「榛原」、京都の「さくら井屋」などからも次々と洒落た袋が売り出され、全国に普及していきました。それに端を発したのが千社札の交換会から派生した、ぽち袋交換会でした。大正8年5月、浅草仲見世中正倶楽部開催の「江戸会」にて、始めて開催され、凝った意匠のぽち袋が登場したのも、その頃からではないでしょうか。
これっぽちの気になる小ぶくろをお楽しみください。

会場:テプコ浅草館 協力:江戸ネット
会期:2009年9月15日(火)〜11月15日(日)
休館:毎週月曜日(月曜日が休日の場合は翌日)
電話:03(5827)3800
入場無料 |