『つくづくと』
かなり冷え込んできまいたね・・・。お天気は良いようですが、風が強くとっても寒い朝になりました。そういえば、昨夜からオリオン座流星群も見えているんでしたよね。昨夜は、遅く帰って来たのでそのまま寝てしまいましたが、お天気も良いようなので今夜こそ流れ星を見てあげなくっちゃ。
流れ星、あほまろは北海道の田舎町で育ちました。子どもの頃、寝る前は毎晩部屋の窓から夜空を眺めていたのです。あれは確か小学校4年生の秋だったと思います。夜中に目が覚め窓には満天の星空、その時、星が動いているように感じ、飛び起きて窓を開けると、今まで見たことの無い無数の流れ星を目撃。もしかして、寝ぼけているのかな・・・、何度も目を擦っても、それは現実の出来事だったのですよ。慌てて一階で寝ている家族を起こし、家族全員で星に吸い込まれそうな流星群を見あげていたのでした。今思うと、たぶんそれがオリオン座流星群だったのでしょうね・・・。あの時の光景、今でも鮮明に覚えているほど衝撃的な夜でした。
翌日、学校でそのことをみんなに教えてあげたのですが、誰も信じてくれなかったんです。でも、理科の先生が自分も観察していたと、みんなに説明をしてくれたことで、嘘つき坊やにならなかったのです。先生は今夜も見えるはずと教えてくれたのでしたが、その夜から雪が降り続き、結局、クラスの連中は誰も流星群を見ることは出来ませんでした。あのときあほまろの町で流星群を見れたのは、我が家族と、理科の先生だけだったんですよね。あの経験から、当時は狂ったように図書館で天体に関する本を読みあさって、天体と宇宙に関してはクラスの誰にも負けない知識を有してたこともあったのです。確か、当時のソ連が世界初の人工衛星、スプートニク1号の打上に成功した年で、ちまたでも宇宙の話題が飛び交う、いわゆる第一次「宇宙ブーム」が巻き起こっていた時期でもあったのです。
せっかく得た知識も、中学校に入ってからは他に興味が移ってしまったのか、あれほど詳細に覚えたいた星座の名前とかも、すっかり忘れてしまったんですよね。
昨夜は、あほまろが遅く帰って来たので、寝不足気味のナナちゃんです。それで、散歩員出かける時は、とっても機嫌が悪かったよ。

帰って来るまでに機嫌は直ったのですが・・・。いつものところで用を足さず、家の周りを何周もしてしまいました。あほまろに嫌がらせしたのかな。

昨夜は、人形町の日本橋社会教育会館ホールに於いて、「第60回 桂平治独演會 十代目桂文治十八番」が開催されました。
平治君、ナマイキにも「芸術祭参加公演」と銘打ったことで、数名の芸術祭審査員もいらしてましたよ。その中に、あほまろの友人もいらしてましたが、公正な審査をしてもらわなければいけないので、とりあえずの挨拶だけでしたよ。知り合いだからといって、審査に便宜を図った、なんて言われたくないですからね。
それとは関係無く、彼の実力はどんどん上がっているようで、将来有望な落語家なのです。

開口一番、春雨や雷太君。

続いて、二ツ目の三笑亭夢吉君。

文治君の最初は十八番の「親子酒」。芸術祭参加を意識していたのか、気合いが入りすぎ。

仲入り後は、曲芸のボンボンブラザーズ。

そして、平治君十八番中の十八番「源平盛衰記」。祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり・・・。

斎藤実盛は年寄りと侮られるのが嫌で、白髪頭を墨で黒く染めさせる・・・、無残やな兜の下のきりぎりす。

おごる平治は、久しからず・・・。これからも向上心を忘れないように頑張ってください。

そして北海道料理で打上。みなさんお疲れさまでした。平治君の両隣りは、ボンボンブラザーズ。

夢楽君も雷太君もたくさん食べてね。

今回の企画をひとりで頑張った、飯田女史。大成功ありがとう。そして、手前顔半部しか写ってなかったのは、漫画家ウノ・カマキリ先生。今回のポスターの似顔絵を描いてくれました。
飯田女史、今回の写真とビデオの整理を終えたら差し上げますね。




『東京スカイツリー』



「和みのぽち袋と絵封筒」展
遊び心たっぷりの「ぽち袋」の世界です。
これっぽちの小ふくろの中に凝らされ、思いもつかない粋なおもしろさに出会えるでしょう。 ぽち袋は小さいので、当然、中い入れるお金もちっちゃいのです。
誰が名付けたのかは知れませんが、「これっぽち」の「ぽち」から派生した言葉じゃ無いのでしょうか。
冠婚葬祭で使われる熨斗袋と違い、非公式の場所での使用に限られているため、めちゃくちゃ粋に洒落た小袋は子どもたちへのお年玉、またお使いのお駄賃など、立場が上の者から下の者にしか使うことが出来ないのが「ぽち袋」なのです。
それまでの心付けは、懐紙に包んだお捻りだったのですが、このぽち袋に変わっていった背景には、郵便制度の導入が大きく関わっているのです。我が国では古来から文章の秘密を保持する手段として紙で包んだ手紙を封紙などで封じて渡していたのでしたが、明治四年に郵便業務開始に伴って郵便局が開設、切手と共に封筒も売られたのです。
ぽち袋が始めて市販されたのは、明治15年、日本橋の和紙店「金華堂」で、それまで和紙の包みであった大入り袋の封筒版でした。その後、東京の和紙屋の「開運堂」、「榛原」、京都の「さくら井屋」などからも次々と洒落た袋が売り出され、全国に普及していきました。それに端を発したのが千社札の交換会から派生した、ぽち袋交換会でした。大正8年5月、浅草仲見世中正倶楽部開催の「江戸会」にて、始めて開催され、凝った意匠のぽち袋が登場したのも、その頃からではないでしょうか。
これっぽちの気になる小ぶくろをお楽しみください。

会場:テプコ浅草館 協力:江戸ネット
会期:2009年9月15日(火)〜11月15日(日)
休館:毎週月曜日(月曜日が休日の場合は翌日)
電話:03(5827)3800
入場無料 |