『つくづくと』
今朝も秋晴れ、薄い雲はかかっていますが、ほぼ青空が広がっているといっても良いでしょう。しかし、秋も深まったことで冷え込みもきつくなってきたようです。ちょっと風が吹くと、身震いをしてしまうほどでしたよ。それでも、ナナちゃんにとってはこれからが快適な季節になって来るのでしょうね。なにしろ、雪の中でも平気で暮らしていたアイヌ犬の血統を継いでいる犬なんですからね。

今月23日より、浅草花やしき裏のテント小屋で、台東区芸術文化支援制度対象企画で、浅草の街全体が、協力して盛り上げを図唐十郎さん作、伝説の舞台「下谷万年町物語」が開催されます。この演劇は、北上野生まれの唐さんが、少年だった終戦後の記憶と風景を基に書き下ろした戯曲で、1981年に渋谷のパルコ劇場で、蜷川幸雄さん演出、渡辺謙さん主演で上演。約百人の出演者がきらびやかな舞台装置と、その豪華さが演劇人の間で今でも語り継がれる伝説のお芝居なのです。
今回は、横浜国大教授だった唐さんのゼミ生OBのみなさん約60人で演じますが、劇団員もエキストラも交通費程度の出演料とか。下谷から浅草の終戦直後を舞台としたお芝居ですが、それがたとえ時代背景を無視したとしても、浅草らしさを浅草で演じることが重要なのでしょうね。あほまろもぜひ観たいお芝居ですね。

昨日は観音縁日の菊供養、境内では久しぶりに金龍の舞が行われるので、日記を早めに仕上げなければと、急いだのでしたが・・・、考えてみたら助手に休みをとらせているので、重たいカメラとカメラバッグ、更に脚立も自分で持たなければいけないんだよな・・・。ものぐさなあほまろが考えたのは、金龍の舞っていつも一緒なんだよな・・・。
てな訳で撮影は却下。といってもやることも無し、とりあえずカメラとレンズをドライボックスに戻しながら、何年も使われずに隅っこでちっちゃくなっているオールドライカに目線が行ってしまったんですよ。そういえば、このオールドレンズ、バルナック型ライカのこれぞスタンダードといわれた、ELMAR 50o f3.5、まだ大丈夫なのかな。ライカはどんなに古いレンズであっても最新式のデジタルライカにも使えるのです。思い立ったら吉日と、さっそく試してみたくなったのです。
しかし・・・、そうだ、ライカはどんなに古いレンズであっても・・・、なんて言ってしまったけど、初期のレンズはLマウントといって、ボディーにねじ込む方式。そのため、L→Mにマウントを変換するアダプターが用意されているのです。それが何処を探してもマウントアダプターが見付からないのです。もしかしてと、先日衝動買いをしてしまった、「オリンパス・ペンE-P1」のマイクロフォーサーズのアダプターを調べると、ありましたよ。かなり薄いので取り付けたままだと気付かなかったんですね。
それだったら、ボディはライカじゃ無くても良いか。と、「オリンパス・ペンE-P1」に取り付け、側でチョロチョロしているナナちゃんを被写体に数枚撮ってみたのでした。ところが、これがまたとんでもなくソフトフォーカスというか、ボケボケといった方が正しいかも。レンズを透かしてみると、なんと中玉がカビだらけ。見るも無惨な姿となっていたのです。それもそのはず、もう10年以上も触れることが無かったレンズでしたからね・・・。
出鼻を挫かれたようでとっても気分が悪いんですよ・・・。新しいレンズは山ほどあるっていうのに、なんとか、オールドレンズで写してみたい。あほまろの性格として、一旦思いついたことを実現しなければ、一日中不機嫌になってしまうんです。そうならないためにも、よ〜し、オールドレンズを仕入れに行こう。でもね、銀座とか新宿まで出かけるのは面倒だし・・・、仲見世そばの早田カメラさんは、あほまろが行くといつも閉まっているし・・・。
そうだ、朝の犬仲間、タッ君家が中古カメラ屋さんで、ライカのレンズもいっぱいあったっけ。近所とはいえ、蔵前の方なので、ちょっと歩きましたが、想いを現実の物ににしなくちゃ、今夜は寝られなくなるかもなんて大げさ。
お店には、同じレンズもありましたが、そのお隣に、昔はあこがれのレンズだった大口径標準レンズ、SUMMITAR 50o f2、見つけてしまいましたよ。製造萬号から推測すると、コーティングがされているので、たぶんあほまろが生まれる前の1945年頃のものでしょう。程度は、時代を思わせるほどの曇りはありますが、これがまた良い味を出してくれるかも知れないんですよね。先輩によると、このレンズは開くに従って甘くにじみ、色は地味で、ボケは渦を巻くように出るのです。それがいかにもオールドレンズ。カラーフイルムの無い時代の設計なので、時にはなんともいえない発色をすることもあり、気分によっては、これだけでも充分に楽しめるレンズなんだよ。何十年か前に聞いたうんちく、思い出してしまいましたよ。
さっそく、「オリンパス・ペンE-P1」に取り付け、テスト撮影をしてきました。しかし、このカメラでは焦点距離が倍になってしまうので、画角は100mmの望遠になってしまいます。
午後4時頃の伝法院通り。以前からSummarがボケ玉の代名詞のように言われてましたが、開放でも、このようになかなかシャープで、発色も正しく再現してますね。

ちょうど金龍の舞が仲見世に出て来たところに遭遇。ちゃんと無限が出るのか心配でしたが、手を伸ばし、ノーファインダーで撮ってみたのですが、問題無いようですね。(F8 1/60)

いつものスカイツリーもかなりシャープでしたよ。

「オリンパス・ペンE-P1」に取り付けるとこんな感じ、かなり様になってるでしょ。でも、フランジバックが近すぎて沈胴はできません。

Summitar(ズミター) 50mm F2を真正面から。オールドレンズとしては、かなり綺麗な方ですよね。

ズミター50mm F2は1939年に、ズマール50mmの改良モデルとして発売され、1955年まで15年に渡り約17万台生産されたレンズです。それ以降はズミクロンとなり、名実共にライカの最高の標準レンズに発展して行ったのです。
鏡胴は沈胴タイプで、レンズ構成は4群7枚構成です。距離調整は直進ヘリコイドで距離表示はfeet。絞り値が2.0〜16の国際表示になっているので戦後の固体です。

写真に興味の無い方はごめんなさい。ついつい夢中になってしまったもので・・・。

今朝の日の出は午前5時50分。雷門前はその10分前でした。

東の空に厚い雲が邪魔しているようで、朝焼けはこんな程度でしたよ。

『東京スカイツリー』
日曜日は作業がお休みなので、昨日と変わっていません。


散歩の帰り、もうクレーンが動いてましたよ。

「和みのぽち袋と絵封筒」展
遊び心たっぷりの「ぽち袋」の世界です。
これっぽちの小ふくろの中に凝らされ、思いもつかない粋なおもしろさに出会えるでしょう。 ぽち袋は小さいので、当然、中い入れるお金もちっちゃいのです。
誰が名付けたのかは知れませんが、「これっぽち」の「ぽち」から派生した言葉じゃ無いのでしょうか。
冠婚葬祭で使われる熨斗袋と違い、非公式の場所での使用に限られているため、めちゃくちゃ粋に洒落た小袋は子どもたちへのお年玉、またお使いのお駄賃など、立場が上の者から下の者にしか使うことが出来ないのが「ぽち袋」なのです。
それまでの心付けは、懐紙に包んだお捻りだったのですが、このぽち袋に変わっていった背景には、郵便制度の導入が大きく関わっているのです。我が国では古来から文章の秘密を保持する手段として紙で包んだ手紙を封紙などで封じて渡していたのでしたが、明治四年に郵便業務開始に伴って郵便局が開設、切手と共に封筒も売られたのです。
ぽち袋が始めて市販されたのは、明治15年、日本橋の和紙店「金華堂」で、それまで和紙の包みであった大入り袋の封筒版でした。その後、東京の和紙屋の「開運堂」、「榛原」、京都の「さくら井屋」などからも次々と洒落た袋が売り出され、全国に普及していきました。それに端を発したのが千社札の交換会から派生した、ぽち袋交換会でした。大正8年5月、浅草仲見世中正倶楽部開催の「江戸会」にて、始めて開催され、凝った意匠のぽち袋が登場したのも、その頃からではないでしょうか。
これっぽちの気になる小ぶくろをお楽しみください。

会場:テプコ浅草館 協力:江戸ネット
会期:2009年9月15日(火)〜11月15日(日)
休館:毎週月曜日(月曜日が休日の場合は翌日)
電話:03(5827)3800
入場無料 |