『つくづくと』
ナナちゃんと寝ていると体中が痒くなってしまうんだよね。まだまだ毛が抜けているので、シャツの中まで毛だらけになってしまうんですからね。いくら着替えても無駄なんだよね・・・。
今朝は、肌寒さは無いのですが、歩いていると背中がムズムズ、首や背中から手を入れて痒いところを探ってみると、あちこちから丸く固まった毛が出てきましたよ。とってもとってもまだ痒い、まさか、外で裸になる訳にもいかないので帰って来るまで我慢我慢。当の本人じゃ無くて本犬は、自分の抜け毛が痒くないんでしょうかね・・・。
最近、散歩に出かける時と帰って来た時に、エレベータの中でナナちゃんの写真を撮っていて気付くのは、いつも同じ方向を向いているってことですね。出かける前は、正面を向き、帰って来ると反対側を向いている。これって、行きは早く出たがり、帰りはまだ歩きたいとの意思表示なのかもね。
それと、ナナちゃんは玄関の自動ドアが開くタイミングを知っているのです。最初の頃は、危ないぶつかるよ・・・、とか、何度も思ったのですが、今ではいつも自分で自動ドアを開くのが嬉しいンだよ。エレベータを降りると、タイミングに合わせたスピードを維持しながら廊下を走り、そのまま自動ドアに突進。それが、ちゃんとぶつからないですり抜けるから凄いよね。しかし、外のドアは手動なので、その前でストップ。そんな遊びをしたくて、エレベータのドアが開くのを待っているのかもね。


東京電力テプコ浅草館で開催中の「和みのぽち袋と絵封筒」展も中日を過ぎ、後一月となりました。今回は珍しい展示会とあって、来客も多いようで安心しているのです。ただ、ご覧になられる年齢層は当初予想していたよりも遙かに若い方々のようです。それも、普段はほとんど足を運ばない20代〜30代の女性が目立つようになったとか、彼女たちに気に入られる展示品といえば、たぶん「小林かいち」の絵封筒でしょう。事実、もう3度も足を運んだとおっしゃる美大生もいらっしゃるほどです。
「小林かいち」とは、大正後期から昭和初期にかけ、京都京極三条の「さくら井屋」を版元に数多くの作品が売り出され、モダンと呼ばれた西洋的な様式やモチーフと日本的な雰囲気との調和は華やかな大正ロマンが若い女性達に人気でした。その人気ぶりは、昭和3年に発表された谷崎潤一郎の小説「卍の中にも、かいちの絵封筒「桜らんぼ」「トランプ」の2作品が紹介されているほどです。
当時は、模倣品も出回るほどの人気を集めた作家でしたが、活躍した時代は短く、また、かいちの性別や生没年、正確な作品点数、更に私生活などは全く不明で「謎の叙情版画家」とか「謎の画家」と称され、時代と共にかいちの存在は少しづつ忘れ去られ、一部のアンティークのファンや絵はがきの収集家などの間でだけに認知されていたのでした。
それが、アメリカに於いて1992年の「フィリ ップ・バロス・コレクション 絵葉書芸術の愉しみ」展、2004年に「ボストン美術館所蔵 ローダー・コレクション 美しき日本の絵はがき」展が開催されたことで、小林かいちの作品が再び世の中で脚光を浴びることになったのでした。
ここまで書くと、まるで江戸時代の謎の絵師「写楽」を彷彿するような人物像のように思われる方も多いことでしょう。それが昨年になって、大きく「小林かいち」の実像が浮かび上がることになったのです。
2007年、京都精華大学で単独で「小林かいち」を扱う始めての展覧会「小林かいちの世界〜京都アール・デコの真髄展」が開催され、京都在住の「小林かいち」の次男が、父である「小林嘉一郎」がその人物とは知らずに展示会を訪れたことから「小林かいち(嘉一)」が自分の父親ではなかろうか。その後、父の遺品を調べた結果、父が制作した木版画のサインが、小林かいちの絵封筒に書かれているサインと一致したとのことで、昨年2月に京都新聞に発表したことで、それまでの謎が判明したのでした。
それによって、今年の夏は、ニューオータニ美術館で「謎のデザイナー小林かいちの世界」展も開催、「小林かいち」は一躍時の人となったのですよ。
今回の展示会には、「小林かいち」の絵封筒が約100点展示しております。他にも「小林かいち」絵葉書も所蔵しておりますが、今回は展示しておりません。そのうちに、「小林かいち」の作品を集めた展示会も企画しましょうかね。
今朝の日の出は、午前5時49分。ちょうど雷門前到着時間だったので、東の空に朝焼けを見ることができました。

朝焼けの写真を撮って、雷門などいつもの場所を撮って再び東の空を見ると、

もう朝焼けが消えてましたよ。その間、わずか2〜3分だったんですけどね。

『東京スカイツリー』
紅い朝焼けに浮かぶスカイツリー。

日増しに高さを増していきますね。

散歩の帰りです。

「和みのぽち袋と絵封筒」展
遊び心たっぷりの「ぽち袋」の世界です。
これっぽちの小ふくろの中に凝らされ、思いもつかない粋なおもしろさに出会えるでしょう。 ぽち袋は小さいので、当然、中い入れるお金もちっちゃいのです。
誰が名付けたのかは知れませんが、「これっぽち」の「ぽち」から派生した言葉じゃ無いのでしょうか。
冠婚葬祭で使われる熨斗袋と違い、非公式の場所での使用に限られているため、めちゃくちゃ粋に洒落た小袋は子どもたちへのお年玉、またお使いのお駄賃など、立場が上の者から下の者にしか使うことが出来ないのが「ぽち袋」なのです。
それまでの心付けは、懐紙に包んだお捻りだったのですが、このぽち袋に変わっていった背景には、郵便制度の導入が大きく関わっているのです。我が国では古来から文章の秘密を保持する手段として紙で包んだ手紙を封紙などで封じて渡していたのでしたが、明治四年に郵便業務開始に伴って郵便局が開設、切手と共に封筒も売られたのです。
ぽち袋が始めて市販されたのは、明治15年、日本橋の和紙店「金華堂」で、それまで和紙の包みであった大入り袋の封筒版でした。その後、東京の和紙屋の「開運堂」、「榛原」、京都の「さくら井屋」などからも次々と洒落た袋が売り出され、全国に普及していきました。それに端を発したのが千社札の交換会から派生した、ぽち袋交換会でした。大正8年5月、浅草仲見世中正倶楽部開催の「江戸会」にて、始めて開催され、凝った意匠のぽち袋が登場したのも、その頃からではないでしょうか。
これっぽちの気になる小ぶくろをお楽しみください。

会場:テプコ浅草館 協力:江戸ネット
会期:2009年9月15日(火)〜11月15日(日)
休館:毎週月曜日(月曜日が休日の場合は翌日)
電話:03(5827)3800
入場無料 |