『つくづくと』
秋晴れの朝ですが、肌寒い散歩でした。このところ、朝晩がどんどん冷え込んでいきますね。早いもので、もうすぐ今年の酉の市も始まるんですからね・・・。
あほまろが千代田区一番町から、ここ台東区雷門に越して来たのが、平成11年11月27日のことでした。あの頃のモモちゃんはまだ若くて元気いっぱいで、毎朝、東京の中心でありながらも自然がいっぱいの皇居周辺から千鳥ヶ淵を散歩していたのですが、浅草に来ると自然の少なさに戸惑っていました。なにしろ、日本犬は草むらが無ければ用を足せない性格なんです。あちこち探し回ってもなかなか草むらなんてのが見付かりません。しかたなく、沿道の植木の下の小さな草むらで用を足していたんです。
あれからもうすぐ満10年が過ぎようとしています。すっかり浅草に慣れ親しんだモモちゃんも他界し、今は、3年前に浅草で飼ったナナちゃんと一緒に、同じコースで散歩を続けているのです。ナナちゃんは最初から浅草だったことで、たとえコンクリートやアスファルトの上でも用が足せるようには仕付けたのですが、犬にとっては、やはり自然の中が好きなんですよね。時々、隅田公園に連れて行くと、草むらが嬉しいのか、何度も何度も用を足そうとするのです。ナナちゃんにも、いつかどこかの大草原で、思う存分走らせてあげたいですね。

浅草の毎日の様子を記録しながら散歩をして満10年になります。いったい今まで何枚の写真を撮ったことでしょう。最初の頃はフイルムで撮っていたので、毎朝フイルム一本程度で済ませていたのでしたが、2001年キャノンから小型のデジタル一眼レフカメラ、EOS-D30(330万画素)が出た頃から枚数が増え始めたのでしたが、容量が小さかったので、一年分のデータがCD-R(650Mb)で4〜5枚に収まるほどでした。
その後、EOS-D60(650万画素)、EOS-30D(820万画素)、EOS-40D(1010万画素)、EOS-50D(1510万画素)、と、新製品が出るたびに取り替えていましたが、途中から軽いオリンパスに変更し、今年の夏までOLYMPAS E-401。E-501、E-30などを持ち歩いていたのですが、やはり、仕事でも使っているので慣れ親しんだキャノンへの未練から、現在は、EOS-5D MarkII(2110万画素)に変えたのですが、バッテリーとレンズを着けると重量が1.3kg、交換レンズだって一本、1kgはあるのですよ。それよりも、データが大きくなりすぎて、たとえば、昨年一年間の写真データだけでも、DVD-R(4.7Gb)で100枚を超えているのですよ。弟子の古麻呂が、毎日せっせとコピーをしているのです。しかし、たとえDVD-Rにバックアップはとったとしても、やはりデータは心配なので、元のハードディスクもそのまま。過去のハードディスクは容量が少なかったこともあって、もう、10台以上になっているでしょうね。
あほまろも、そろそろ総ての写真の総整理を行わなければいけないようです。今までは、様々なところからあほまろの日記で紹介する写真と文章の出版提案を頂いていますが、朝の散歩を仕事にしたくないと、断り続けてきたのです。しかし、十年一昔とは良く言ったもので、既に十年前の記憶なんてすっかりぶっ飛んでいるのですよ。しかし、かすかでも記憶が残っているうちに、頭と写真の整理だけはしておかなければいけないのでしょうね。
毎朝、カメラとカメラバッグを提げ、両手が使えるようにと、ナナちゃんのリードはベルトにはさんで出かけてくるのです。恥ずかしいけど下の写真のような、みっともない格好なんですよ、腹出てるし・・・(笑)。

今朝の日の出は午前5時47分。

今朝は、ちょっと寝坊をしてしまったので、雷門前がちょうど日の出時間でした。

とはいっても、まだまだ暗かったですけどね。

『東京スカイツリー』
昨日は朝靄で良く見えなかったので、何処が変化したのか判りませんね。

左側が多少変わったかな。

散歩帰り。

「和みのぽち袋と絵封筒」展
遊び心たっぷりの「ぽち袋」の世界です。
これっぽちの小ふくろの中に凝らされ、思いもつかない粋なおもしろさに出会えるでしょう。 ぽち袋は小さいので、当然、中い入れるお金もちっちゃいのです。
誰が名付けたのかは知れませんが、「これっぽち」の「ぽち」から派生した言葉じゃ無いのでしょうか。
冠婚葬祭で使われる熨斗袋と違い、非公式の場所での使用に限られているため、めちゃくちゃ粋に洒落た小袋は子どもたちへのお年玉、またお使いのお駄賃など、立場が上の者から下の者にしか使うことが出来ないのが「ぽち袋」なのです。
それまでの心付けは、懐紙に包んだお捻りだったのですが、このぽち袋に変わっていった背景には、郵便制度の導入が大きく関わっているのです。我が国では古来から文章の秘密を保持する手段として紙で包んだ手紙を封紙などで封じて渡していたのでしたが、明治四年に郵便業務開始に伴って郵便局が開設、切手と共に封筒も売られたのです。
ぽち袋が始めて市販されたのは、明治15年、日本橋の和紙店「金華堂」で、それまで和紙の包みであった大入り袋の封筒版でした。その後、東京の和紙屋の「開運堂」、「榛原」、京都の「さくら井屋」などからも次々と洒落た袋が売り出され、全国に普及していきました。それに端を発したのが千社札の交換会から派生した、ぽち袋交換会でした。大正8年5月、浅草仲見世中正倶楽部開催の「江戸会」にて、始めて開催され、凝った意匠のぽち袋が登場したのも、その頃からではないでしょうか。
これっぽちの気になる小ぶくろをお楽しみください。

会場:テプコ浅草館 協力:江戸ネット
会期:2009年9月15日(火)〜11月15日(日)
休館:毎週月曜日(月曜日が休日の場合は翌日)
電話:03(5827)3800
入場無料 |