『つくづくと』
忍者雲だ!低くて暗い雲が東の空に広がっています。これから冬にかけて、時々怪しい雲が出現するんです。そんな神出鬼没に突然現れる雲なので、誰が名付けたのか忍者雲って呼んでいるようですね。時々天気予報でも言っているので、きっと正式名称なのかもね。これが現れると、突然、雪や雨を降らせる悪い奴なんだよ。でもご安心、早朝だけの出現で、散歩の途中からどっかに消えてしまいました。おかげで、今日は予報り日差しが届いて気持ちいい陽気になってくれることでしょう。
さて、今日は「体育の日」と、言われてもピンと来ないですよね。あほまろが慣れ親しんだ「体育の日」は、東京オリンピックの開会式が行われた10月10日と決まっていたのに、いつの間にか祝日法改正とかで、10月第2月曜日に変更されてしまったんですよね。本来、暦と人間の成長記憶には、切っても切れない縁があるんだよ。たとえば、成人式は1月15日と相場が決まっていたように、政府の都合で勝手に変更してしまう。
そんなことが許されても良いんでしょうか。それよりも古来から開催日にはそれなりの理由が有って続いて来た全国の「おまつり」ほとんどが、その日に近い週末開催と変更されてしまいましたよね。浅草の三社祭だって、本来は休日に関係無く、5月18日と決まっていたのです。それで、子どもの頃は、お祭りと日曜日が重なってしまう年が恨めしかったんだよね。なんたって、地域のお祭りには、学校がお休みだったんですからね・・・。あほまろは、年、新しいカレンダーをめくりながら、お祭りや縁日を楽しみにしていたんです。暦と生活のリズム、今の子どもたちには、理解出来ない世の中になってしまったんですよね。
この調子でどんどん祝日を変えてしまうと、正月は1月1日に近い日曜日とかになってしまったら、もう、日本じゃ無くなってしまかも。いつか、そんな日もやって来るのかも。

これが忍者雲ですよ。

ちょうど浅草上空から東に伸びていました。

でも、雨にはなりませんでしたね。

『浅草奥山阿波踊り』
昨日は、二回目の浅草奥山阿波踊り、「江戸粋連」が、奥山おまいりまち「奥山門」より「奥山大木戸」までを練り歩きました。

子どもたちも参加した江戸粋連、女の子たちの雀踊が可愛かったね・・・。

豪快な男踊りは粋なおねえさんたち。

昨日は強い日差しで、立っていても汗が出るほど、踊り子さんも汗で苦しそうでしたよ。

おまいりまちシラクラさん前と、さくら堂さん前で組み踊りが披露されました。

昨日の様子は、特集ページで紹介いたします。

写真の整理が終わるまで、もう少々お待ちください。

『東京スカイツリー』
手前は、河川敷に船着き場設置工事のクレーンです。

残念ながら、タワーを隠してますね。

散歩の帰り、角度を変えると邪魔者は消えますが、肝心要のタワーが隠れてしまうんだよ。

「和みのぽち袋と絵封筒」展
遊び心たっぷりの「ぽち袋」の世界です。
これっぽちの小ふくろの中に凝らされ、思いもつかない粋なおもしろさに出会えるでしょう。 ぽち袋は小さいので、当然、中い入れるお金もちっちゃいのです。
誰が名付けたのかは知れませんが、「これっぽち」の「ぽち」から派生した言葉じゃ無いのでしょうか。
冠婚葬祭で使われる熨斗袋と違い、非公式の場所での使用に限られているため、めちゃくちゃ粋に洒落た小袋は子どもたちへのお年玉、またお使いのお駄賃など、立場が上の者から下の者にしか使うことが出来ないのが「ぽち袋」なのです。
それまでの心付けは、懐紙に包んだお捻りだったのですが、このぽち袋に変わっていった背景には、郵便制度の導入が大きく関わっているのです。我が国では古来から文章の秘密を保持する手段として紙で包んだ手紙を封紙などで封じて渡していたのでしたが、明治四年に郵便業務開始に伴って郵便局が開設、切手と共に封筒も売られたのです。
ぽち袋が始めて市販されたのは、明治15年、日本橋の和紙店「金華堂」で、それまで和紙の包みであった大入り袋の封筒版でした。その後、東京の和紙屋の「開運堂」、「榛原」、京都の「さくら井屋」などからも次々と洒落た袋が売り出され、全国に普及していきました。それに端を発したのが千社札の交換会から派生した、ぽち袋交換会でした。大正8年5月、浅草仲見世中正倶楽部開催の「江戸会」にて、始めて開催され、凝った意匠のぽち袋が登場したのも、その頃からではないでしょうか。
これっぽちの気になる小ぶくろをお楽しみください。

会場:テプコ浅草館 協力:江戸ネット
会期:2009年9月15日(火)〜11月15日(日)
休館:毎週月曜日(月曜日が休日の場合は翌日)
電話:03(5827)3800
入場無料 |