『つくづくと』
雨の一日になりそうですね。しかし、散歩の時間はまだ大丈夫なようですね。邪魔な傘を持って出かけるか否か悩んだのは確かですが持たずに出発、結果オーライでしたよ。帰って食事をしながら日記の整理をしている最中に雨の音が、やっぱり今朝は予報通りでしたね・・・。
秋も深まり、浅草は「秋の観光祭」が始まりました。昨日は浅草寺境内で、浅草奥山こども歌舞伎と観光物産市まつりが開催されたようですが、あほまろは諸般の事情で記録を撮りに行くことができませんでしたが、友人が運営するサイト「浅草の風」に詳細が紹介されておりますのでご覧ください。

あほまろの映画「ゆめまち観音」が完成し、昨年の浅草コメディ映画祭で浅草の方々にご覧頂いてから、ほぼ1年が経とうとしております。その後、英語字幕と多少の手直しを行いながら、広告代理店によって一般公開に向けての準備を進めておりました。それと平行して劇場公開とは別の動きを行ってきた結果もぼつぼつ実ってきましたよ。
先日の京都精華大学での打ち合わせでは、来月中旬に映像を勉強する学生達に向けての公開と、映像の新たな挑戦に関してシンポジウムを、学長主催で開催してくれることが決定。また、12月6日には、大分合同新聞主催で大分県民ホールでも公開されます。大分は、活弁師麻生八咫氏の出身地とあって地元では大いに盛り上がることでしょうね。
劇場公開は、来年一月の第三週以降となるようですが、有楽町のシネカノンにて上映されることが決定しました。公開が決まったことで、これからは様々な宣伝活動を行わなければいけないようですね。今までは広告代理店に任せっぱなしでしたが、面倒くさいけど、あほまろも映画のタメに動かなければいけないようですね・・・。それよりも、あほまろは次回作品の企画の方を急がなくちゃいけない時期でもあるんですけどね・・・。
「自主映画」と「商業映画」の違いは、スポンサーが付いているか、いないかの違いと答えられる方が多いと思います。現在の「商業映画」は、スポンサーが付いていることに加え、システマチックに量産されている意味合いが付加されてしまったようなのが嫌いなのです。
あほまろが「自主映画」を作るようになってから、改めてエンターテイメントについて考えるようになり、「商業映画」をよく見るようになりました。といっても、最近は、わざわざ劇場に出向かなくても、公開から2〜3ヶ月経った映画は、衛星放送やDVDとなって観ることが出来るようになったのです。気になった作品は繰り返し観ることも可能ですが、ほとんどの作品は一度観るだけで結構。果たしてこれらが「商業映画」として成り立ったのか疑問も沸いて来るようなのも多いようです。だた単に、現在活躍する俳優の魅力だけを売りにしている作品、豪華俳優陣を揃えて自慢したり、TV局が製作主導となる利益最優先の作品。一般の目線から見て「面白い」という評価が得られるものがエンターテイメント映画とすれば、それらの「商業映画」もは間違いなくエンターテイメントではあるのでしょうけど、見終わった後には何も残らない。いつもそんな気持ちにさせられてしまうンですよね。
映画を作るには大変な労力と、大勢の人の力を借りなければなりません。そのためにはお金も掛かります。そんなリスクを恐れ、定石通りの作品をシステマチックに氾濫してしまう現在の映画業界を許しているのは、リスクの少ないエンターテイメントであっても、安易に評価してしまう観客もまた、利益最優先の映画業界に荷担しているのかも知れませんね。
あほまろの映画は「自主映画」です。そのため利益優先で出資する者の意見を聞かずにといっても、もちろん、製作にあたっては多くの方々の意見やアドバイスを取り入れてはいますが、それらを参考にしながらも自分で表現したいことを主張しながら独断で創ることが出来る。これが本来の映画監督ではないのでしょうか。そんなことで、自分の作品には自信があります。今回の映画「ゆめまち観音」は、昨年の浅草公会堂で約1000名のみなさんに観て頂いただけですが、多くの方々から「もう一度観たい」との感想を寄せていただいているのです。
まだ観ていない方は、一般公開された時には、ぜひご覧になってください。木戸銭返せ!なんてことは絶対に無い作品ですから。

満月の翌日のお月さんです。なんとなく故モモちゃんと故ハニーちゃんを思い出し、手を合わせてしまいましたよ。ハニーちゃんが若い頃、大きな十五夜の月を見て吠えてたのを思い出しながらね。

今朝の日の出は午前5時39分、雷門前に着いたのはその20分前でした。

それでまだ暗いんだよ。

『東京スカイツリー』
日曜日は作業がお休みなので、変化無し。


散歩の帰りは2時間後。

「和みのぽち袋と絵封筒」展
遊び心たっぷりの「ぽち袋」の世界です。
これっぽちの小ふくろの中に凝らされ、思いもつかない粋なおもしろさに出会えるでしょう。 ぽち袋は小さいので、当然、中い入れるお金もちっちゃいのです。
誰が名付けたのかは知れませんが、「これっぽち」の「ぽち」から派生した言葉じゃ無いのでしょうか。
冠婚葬祭で使われる熨斗袋と違い、非公式の場所での使用に限られているため、めちゃくちゃ粋に洒落た小袋は子どもたちへのお年玉、またお使いのお駄賃など、立場が上の者から下の者にしか使うことが出来ないのが「ぽち袋」なのです。
それまでの心付けは、懐紙に包んだお捻りだったのですが、このぽち袋に変わっていった背景には、郵便制度の導入が大きく関わっているのです。我が国では古来から文章の秘密を保持する手段として紙で包んだ手紙を封紙などで封じて渡していたのでしたが、明治四年に郵便業務開始に伴って郵便局が開設、切手と共に封筒も売られたのです。
ぽち袋が始めて市販されたのは、明治15年、日本橋の和紙店「金華堂」で、それまで和紙の包みであった大入り袋の封筒版でした。その後、東京の和紙屋の「開運堂」、「榛原」、京都の「さくら井屋」などからも次々と洒落た袋が売り出され、全国に普及していきました。それに端を発したのが千社札の交換会から派生した、ぽち袋交換会でした。大正8年5月、浅草仲見世中正倶楽部開催の「江戸会」にて、始めて開催され、凝った意匠のぽち袋が登場したのも、その頃からではないでしょうか。
これっぽちの気になる小ぶくろをお楽しみください。

会場:テプコ浅草館 協力:江戸ネット
会期:2009年9月15日(火)〜11月15日(日)
休館:毎週月曜日(月曜日が休日の場合は翌日)
電話:03(5827)3800
入場無料 |