『つくづくと』
そうだ、30分遅くても良かったんだ。結局いつもの癖で午前5時半に起きてしまいましたよ・・・。しかし、ナナちゃんはまだ熟睡中ですね。もうちょっと寝ようかななんてことやってしまったらまたまた寝坊しそうなので、早くても起きるとしましょうね。
さて、今日から衣更えですね。平安時代から始った習慣で、当時は中国の風習にならって4月1日および10月1日に夏服と冬服を着替えると定めたのを「更衣」と言ったのですが・・・、それは旧暦でのことなのでこの時期としてはまだ早いようですね。ちなみに今年の旧暦10月1日は、本当に寒さが厳しくなりかけた11月17日になるのですが、公務員と学生たちは定め通りに冬服になってしまうんでしょうね。毎日の散歩で最初に衣替えに出会うのは、いつもお巡りさんの制服です。とはいっても、今朝は昨夜からの夜勤だったので、まだ夏服のままでしたけどね。
衣替えといっても、あほまろには関係ありません。寒くなれば長袖を着、更に寒くなると上着着用。この数年下はGパン2着を取っ替えひっかえ過ごしているので経済的なんです。もっとも、衣類を自分で買ったことは無く、女房が用意したものを文句も言わずに着るだけ。おしゃれ感覚なんてみじんも持ち合わせない男なンですから。更にハゲ隠しの帽子に至っては、もう何年も同じの被っているんだよ。同じといっても、型崩れするので年に一度は新仲見世のトラヤで新調するんだけど、先日もあれこれ迷ったあげく、気付いたら結局同じ形と色の帽子を買っるんだよね。おかげで、我が家の帽子掛けには同じ帽子がずらっと並んでしまうんだよ。
「そうだ京都へ行こう」
あほまろは普段の出張は日帰りを心がけているのですが、今日は会食を伴う京都出張に行かなければなりません。そのため、明日の朝の散歩は女房に任せ、浅草の様子も更新することができません。それはとっても寂しいことですけど、お仕事なのでナナちゃんも我慢してちょうだいね。
それと、先日の「浅草阿波踊り」の写真のアップが遅れ実行委員会のみなさんには申し訳ございません。なにしろ数が多かったため、現像作業に手間取っているのです。出張から帰ってからネットにアップしますので、もう少々お待ちください。ごめんね、スワさん。

普段より30分遅い散歩でしたが、それでも日の出前なので雷門前はこのような状況でした。

今朝の日の出は午前5時35分ですが、その10分前に着いてしまいましたよ。

しかし、徐々に明るくなっていくのが解ります。

『東京スカイツリー』
タワーの高さ、ようやくここから見える墨田区役所の最初の突起箇所と同じ高さになってしまいましたね。

タワーが完成すると、ここからの眺めも一変してしまうのでしょう。

散歩の帰りです。


「和みのぽち袋と絵封筒」展
遊び心たっぷりの「ぽち袋」の世界です。
これっぽちの小ふくろの中に凝らされ、思いもつかない粋なおもしろさに出会えるでしょう。 ぽち袋は小さいので、当然、中い入れるお金もちっちゃいのです。
誰が名付けたのかは知れませんが、「これっぽち」の「ぽち」から派生した言葉じゃ無いのでしょうか。
冠婚葬祭で使われる熨斗袋と違い、非公式の場所での使用に限られているため、めちゃくちゃ粋に洒落た小袋は子どもたちへのお年玉、またお使いのお駄賃など、立場が上の者から下の者にしか使うことが出来ないのが「ぽち袋」なのです。
それまでの心付けは、懐紙に包んだお捻りだったのですが、このぽち袋に変わっていった背景には、郵便制度の導入が大きく関わっているのです。我が国では古来から文章の秘密を保持する手段として紙で包んだ手紙を封紙などで封じて渡していたのでしたが、明治四年に郵便業務開始に伴って郵便局が開設、切手と共に封筒も売られたのです。
ぽち袋が始めて市販されたのは、明治15年、日本橋の和紙店「金華堂」で、それまで和紙の包みであった大入り袋の封筒版でした。その後、東京の和紙屋の「開運堂」、「榛原」、京都の「さくら井屋」などからも次々と洒落た袋が売り出され、全国に普及していきました。それに端を発したのが千社札の交換会から派生した、ぽち袋交換会でした。大正8年5月、浅草仲見世中正倶楽部開催の「江戸会」にて、始めて開催され、凝った意匠のぽち袋が登場したのも、その頃からではないでしょうか。
これっぽちの気になる小ぶくろをお楽しみください。

会場:テプコ浅草館 協力:江戸ネット
会期:2009年9月15日(火)〜11月15日(日)
休館:毎週月曜日(月曜日が休日の場合は翌日)
電話:03(5827)3800
入場無料 |