『つくづくと』
最近はいくら寝ても眠気が取れないですね・・・。たして疲れていた訳でも無いのに、昨夜は午後9時にナナちゃんとベッドに入り午前4時半まで熟睡してしまいましたよ。それでもまだ寝不足感、お天気までがスッキリしない朝ですよね・・・。
あほまろには、写真と原稿の整理などやらなければいけないことが山ほど溜まっているのです。また昨日は浅草神社で開催された「らいす・ヌーボーin浅草」の記録を撮らなければいけないとは思いつつも、久しぶりに仕事を忘れてのんびりしていたい気持ちが勝ってしまったのですよ。とりあえず日記を書き終え、カメラを用意し、さて出かける前にトイレで用を足し、手を洗いながら普段は見ることの無い鏡に写った自分の老けた顔とボサボサ頭。そうだ、もう二月も床屋に行ってなかったんだよ・・・。
撮影を早めに済ませて行かなくちゃ。近所の床屋に電話を入れてみると、今からなら大丈夫だよとの一言で、予定変更となってしまったンですよね・・・。すっきり頭になると、どっかに出かけてみたい。そうだ、銀座に行こう。とはいっても、女性にもてたいとか還暦を過ぎたあほまろがそんなこと考える訳無いでしょ。数日前に中古カメラ屋さんに探して貰っていたレンズが入ったとの連絡を貰って、早めに行ってみなくちゃと気に掛かっていたので電話を入れると、中古カメラフェアをやっているので会場の方に来てくれとのことだったの。
最近のあほまろ、フイルムはほとんど使うことが無くなってしまいましたが、いざという時のために冷蔵庫の中には常にフイルムが保存されています。久しぶりにクラシックライカをドライボックスの中から取りだしてお供に連れていったのです。ナナちゃんはもちろん秘密基地でお留守番でしたよ。
有楽町交通会館で開催された「世界の中古カメラフェア2009」、最終日とあって会場は混雑しています。会場内を一通り歩いたのですが、特に付き合いたいガールフレンドとの出会いも無く、そう、クラシックカメラファンにとって、カメラは女房よりも大切な恋人。たまには扱いが悪いとむくれることもありますが、ブランド物を欲しがることも酒を飲みたがることもなく、ただひたすらご主人さまの意のままに従ってくれる恋人なのです。会場内で逢った友人との会話だって、あの子は良いけど、この子は傷物だよとか、まるでマガキ女郎の品定めみたいなンだよ。
会場内と小一時間ほど見て回っていると、顔見知りのカメラ屋のご主人が、あほまろさん面白いモノ見せてあげるよと、奥から出して来たのがこれ。これが何であるかお判りになる方は、40代以降の方でしょうね。
まだ日本に「パソコン」どころか「マイコン」という
言葉さえあったかなかった1976(昭和51)年、NECから日本初の市販向けワンボードマイクロコンピュータキット「TK−80」の新品箱入りです。これはハンダ付けからしなくちゃいけない組み立てキットなので、失敗は許されません。それにも関わらずお値段は88、500円と、当時の一眼レフよりも高かったんだよ。何で、中古カメラ屋さんがこんなもの持ってるのよ。中古ライカと交換したんだよ。幾らのライカ?20万ちょっと。こ。これが20万円!安いだろ、新品箱入り、今じゃプレミアが付いて30万でも買いたいって奴がいるんだよ。どう、1割プラスで良いから買わないか?

買わない。だって、あほまろは当時自作したの、まだ持ってるから。でも、未だに新品が存在していたってことは驚きですよね。当初NECでは数千台程度しか売れないと思われたTK80でしたが、結果はなんと6万6,000台も売れてしまった名器なのです。とはいっても、プログラムを組んでも電卓よりも劣る代物でしたね。しかし、日本でのマイコンの普及はこのTK80に始まったと言っても過言では無いでしょう。写真を見て懐かしく思う技術者も多いでしょうね。今朝になって考えると、やっぱ新品で持ってても良かったのかな・・・。だって、これによってソフト会社を起業した、あほまろの原点なんだからね。
そんな出会いが有った翌日の今日は、いみじくも「パソコン記念日」なんですね。とはいっても、「TK80」じゃ無く、その3年後の1979(昭和54)年に、同じく日本電気(NEC)より発売されたパーソナルコンピュータ「PC-8000シリーズ」が発売された日です。パソコンといっても、ネットなんてまだ無い時代、自分でプログラムを書けない人は、ブロック崩しや数あてゲームなど単純なゲームで遊んでいただけでしたが、25万台の大ヒットになったことで、記念日になったのでしょう。わずか30年前のこと、今のパソコンとは比べものにならない「おもちゃ」だったんですよ。

ナナちゃんには、何いってるかさっぱりわかんないよ。

今朝の日の出は午前5時33分。雷門前到着は午前5時15分だったので、まだ真っ暗ですね。

それでも根性で撮ってやる。

夜明け前の雰囲気が好きなんだよ。

『東京スカイツリー』
東の空が、うっすら赤くなってきましたね。

午前6時50分、散歩の帰りです。

明日も雲が主役の空ですね。午後からは雨が降りだすようです。

「和みのぽち袋と絵封筒」展
遊び心たっぷりの「ぽち袋」の世界です。
これっぽちの小ふくろの中に凝らされ、思いもつかない粋なおもしろさに出会えるでしょう。 ぽち袋は小さいので、当然、中い入れるお金もちっちゃいのです。
誰が名付けたのかは知れませんが、「これっぽち」の「ぽち」から派生した言葉じゃ無いのでしょうか。
冠婚葬祭で使われる熨斗袋と違い、非公式の場所での使用に限られているため、めちゃくちゃ粋に洒落た小袋は子どもたちへのお年玉、またお使いのお駄賃など、立場が上の者から下の者にしか使うことが出来ないのが「ぽち袋」なのです。
それまでの心付けは、懐紙に包んだお捻りだったのですが、このぽち袋に変わっていった背景には、郵便制度の導入が大きく関わっているのです。我が国では古来から文章の秘密を保持する手段として紙で包んだ手紙を封紙などで封じて渡していたのでしたが、明治四年に郵便業務開始に伴って郵便局が開設、切手と共に封筒も売られたのです。
ぽち袋が始めて市販されたのは、明治15年、日本橋の和紙店「金華堂」で、それまで和紙の包みであった大入り袋の封筒版でした。その後、東京の和紙屋の「開運堂」、「榛原」、京都の「さくら井屋」などからも次々と洒落た袋が売り出され、全国に普及していきました。それに端を発したのが千社札の交換会から派生した、ぽち袋交換会でした。大正8年5月、浅草仲見世中正倶楽部開催の「江戸会」にて、始めて開催され、凝った意匠のぽち袋が登場したのも、その頃からではないでしょうか。
これっぽちの気になる小ぶくろをお楽しみください。

会場:テプコ浅草館 協力:江戸ネット
会期:2009年9月15日(火)〜11月15日(日)
休館:毎週月曜日(月曜日が休日の場合は翌日)
電話:03(5827)3800
入場無料 |