『つくづくと』
おはようございます。といっても、今朝はもう眠くて眠くてたまりません。昨夜、阿波踊りの撮影を終えたのが午後8時、秘密基地に帰って写真の整理をして帰宅し、食事をしてベッドに入ったのが午後9時半頃で、起きたのがいつもの午前4時30分。もちろんその間いちども起きることなく7時間も熟睡したっていうのに、歩きながらもウトウト状態になってしまうんだよね・・・。この眠気、やっぱ酒を断ったことが起因してるのかな・・・。
それをこらえ、なんとか散歩を済ませ、写真の整理をしながらウトウト、ハッと目覚めること何度もあったんだよね・・・。
あほまろは毎朝、午前7時頃に散歩を終えると、我が家で今朝撮ってきた写真の現像と整理を行いながら、「赤いきつね」(時々「緑のたぬき」、たま〜に「チキンラーメン」に生卵になることもあるよ。そう、あのイチローが毎朝奥さん手作りのカレーライスかライスカレーを食べているのと同じことを繰り返しているって訳。あほまろの「赤いきつね」だって、女房が丹精込めて作ってくれる手作りなんだよ)を食べるんです。ネット用に写真の加工が終わるのがだいたい午前8時半、それをUSBメモリーに保存し、再びナナちゃんを連れて秘密基地に入って日記を書いているのです。
日記用のネタが有る時は結構早く書き終えることが出来るのですが、通常はほとんどネタなんてありません。新聞を読んだり、ネットであちこち巡りなが何を書こうかな・・・。悩むこと1時間以上ってこともザラなんだよね。しかし、今朝はただ眠たいだけ、パソコンに向かっても思考能力はゼロ。そんな状況で文章なんか書ける訳無いよね。とりあえずソファーに横になると、ナナちゃんも一緒に寝たいと飛び乗って来るんだよね・・・。しかたがないので、一緒に熟睡してしまったのですよね・・・。
はっ、と目覚めたのは、な、なんと午前11時じゃないですか。いつもは、ソファーで横になってもせいぜい30分くらいで目覚めるのですが、今日は2時間以上も寝てしまったんですよ。おかげで、眠気も覚め、頭がもすっきりしたのは良いけれど、相変わらず、ネタは思いつかないし、いつも見てくれている方々には申し訳無いけど、朝からの行動だけで埋めただけ、おまけにアップも遅れてしまって、ごめんなさいね。
写真は今朝の散歩に出かける時のナナちゃん。ナナちゃんも眠たいそうでしょ。元気なかったよ。

雷門前到着は午前5時15分。日の出17分前なので、まだ真っ暗でしたよ。

それでも明るく撮れるデジカメって凄いね・・・。

こちらは雷門通りの西側です。真っ暗で見えないけど右奥が雷門だよ。

『スカイツリー舟上見学会』
昨日は、スカイツリースカイツリー沿いの北十間川の水辺から工事現場の視察に招かれました。

狭い運河なので、大型船が入れないのでこんな小舟、安全のため、みなさんライフジャケット着用で乗り込まなければいけません。

隅田川から枕橋を潜って一路工事現場に向かいます。

北十間川には、屋形船が係留されていますが、もちろんこれは違法のようです。タワー完成時には、水路を整備し観光用として利用するようになるかも知れませんね。

現在156.6メートル。毎日2000名が従事し、この連休中も休まず作業は続いていたようです。作業員のお休みは日曜日だけ。

来年の花火大会の頃には600メートルの全貌が見られるようです。完成が楽しみですね。

『第1回浅草阿波踊り』
「第一回浅草阿波おどり」が、浅草商店連合会、浅草観光連盟の協力で、将来は浅草の風物詩にしようと始めたのです。第1回とあって、参加は4団体約120名ほどでしたが、みなさんそろいの法被姿で笛太鼓のおはやしに合わせ、息のあった踊りを披露してくれました。
先頭を飾ったのは、小金井の「さくら連」

2番目は、埼玉から参加の「みほの連」

鳥打ち帽を被ると、美人の方もそうでない方も、それなりの美人になってしまうんだよね・・・。

3番目に登場したのは、「ほおずき連」のみなさんです。どこから来たのか忘れてしまいましたが、雰囲気から見てたぶん国内でしょう。

こんなちっちゃな子も、慣れた手つきで踊ってましたよ。

そして最後は地元浅草の「写楽連」です。

「浅草すしや通り」から「新仲見世」を抜けるまではアーケードの照明で明るいパレードでしたが、「伝法院」通りに入ると真っ暗になったしまうんですよね・・・。踊り子さんのお顔を写したいので、あほまろらしからぬ、ストロボ撮影に切り替えてしまいました。みなさん、めんこいでしょ。
「第一回浅草阿波おどり」写真の整理を終え次第、あほまろ写真館にて、アルバムとして掲載いたします。それまで、少々お時間を。

『東京スカイツリー』


「和みのぽち袋と絵封筒」展
遊び心たっぷりの「ぽち袋」の世界です。
これっぽちの小ふくろの中に凝らされ、思いもつかない粋なおもしろさに出会えるでしょう。 ぽち袋は小さいので、当然、中い入れるお金もちっちゃいのです。
誰が名付けたのかは知れませんが、「これっぽち」の「ぽち」から派生した言葉じゃ無いのでしょうか。
冠婚葬祭で使われる熨斗袋と違い、非公式の場所での使用に限られているため、めちゃくちゃ粋に洒落た小袋は子どもたちへのお年玉、またお使いのお駄賃など、立場が上の者から下の者にしか使うことが出来ないのが「ぽち袋」なのです。
それまでの心付けは、懐紙に包んだお捻りだったのですが、このぽち袋に変わっていった背景には、郵便制度の導入が大きく関わっているのです。我が国では古来から文章の秘密を保持する手段として紙で包んだ手紙を封紙などで封じて渡していたのでしたが、明治四年に郵便業務開始に伴って郵便局が開設、切手と共に封筒も売られたのです。
ぽち袋が始めて市販されたのは、明治15年、日本橋の和紙店「金華堂」で、それまで和紙の包みであった大入り袋の封筒版でした。その後、東京の和紙屋の「開運堂」、「榛原」、京都の「さくら井屋」などからも次々と洒落た袋が売り出され、全国に普及していきました。それに端を発したのが千社札の交換会から派生した、ぽち袋交換会でした。大正8年5月、浅草仲見世中正倶楽部開催の「江戸会」にて、始めて開催され、凝った意匠のぽち袋が登場したのも、その頃からではないでしょうか。
これっぽちの気になる小ぶくろをお楽しみください。

会場:テプコ浅草館 協力:江戸ネット
会期:2009年9月15日(火)〜11月15日(日)
休館:毎週月曜日(月曜日が休日の場合は翌日)
電話:03(5827)3800
入場無料 |