『つくづくと』
ちょっと暖かい朝になりました。とはいっても、もうすぐ10月になってしまうんですよね。10月といえば衣替えですが、なぜか毎年この時期になると今朝のように半袖が必要と思う日も多くなってくるんですよね。
現在、西浅草に建設予定の高層マンションをめぐって、浅草寺と地元住民5人が東京都に対し、高層建築を可能にする総合設計制度の許可を取り消すよう、行政訴訟を起こしたことが報じられています。
このビルに関する浅草寺の見解では、「浅草地域・本寺境内周辺の特徴ある景観・町の構成は大きく損なわれ、ひいては、わが国・東京のまちづくり・観光にも悪影響を及ぼすこと大であることが容易に想起できますことから、司直の手に委ねて、その当否を問うに至りました」とのことです。確かに建設予定の高層マンションは、高さ133メートル、地上37階建てで、町の景観が大きく損なわれるのは確かですが、既に同所には高層の浅草ビューホテルが建っており、確かに見栄えは悪いのですが、慣れとは恐ろしいもので、今では浅草寺から望む景観の一部となってしまったんですよね。今回問題になっている新しいビルは、そのすぐ裏側、浅草寺本堂から見ると重なって見えるのでしょう。大規模な建築計画だって、無計画に行わている訳じゃなく、予定が明らかになった時点で国と行政との認可を受け、規定の数値を満たしさえすれば建設の許可が出されて着工したのです。行政もそれが計画された時点で、住人に情報公開し、高層建築の認可の是非を問う、そんな話し合いは持てなかったのでしょうかね・・・。
既にマンションの建築は始まっており、2012年に完成を予定しております。計画から3年、着工からそろそろ1年経つとか。今になってその計画にストップをかけること、できるのでしょうかね・・・。
2010年には対岸の墨田区に約610メートルの東京スカイツリーも完成します。また、雷門の真ん前には、新しい浅草文化観光センターのまか不思議な建物(下の写真)も完成します。これらの施設だって、当然浅草寺の景観に影響を与えるのでは。それらには問題無いのでしょうかね。
(写真:台東区ホームページより拝借 隈研吾建築都市設計事務所・提案作品)

あほまろの学生時代には、浅草寺裏に全高110メートルの「東京スペースタワー」(後にポニータワーに改称)も問題になったんだよ。あの頃、友人がもぎり(受付)をやっていたので、しょっちゅうただで入れてもらったの、懐かしく思い出すよ。

実は、今朝も寝坊してまった。

今朝の日の出が午前6時31分、雷門前に着いたのはその5分前だったんだよ。

『東京スカイツリー』
写真では見えないけど、昨日もクレーンが動いていたので、どこかが増えたのでしょう。

散歩を終えて。

「和みのぽち袋と絵封筒」展
遊び心たっぷりの「ぽち袋」の世界です。
これっぽちの小ふくろの中に凝らされ、思いもつかない粋なおもしろさに出会えるでしょう。 ぽち袋は小さいので、当然、中い入れるお金もちっちゃいのです。
誰が名付けたのかは知れませんが、「これっぽち」の「ぽち」から派生した言葉じゃ無いのでしょうか。
冠婚葬祭で使われる熨斗袋と違い、非公式の場所での使用に限られているため、めちゃくちゃ粋に洒落た小袋は子どもたちへのお年玉、またお使いのお駄賃など、立場が上の者から下の者にしか使うことが出来ないのが「ぽち袋」なのです。
それまでの心付けは、懐紙に包んだお捻りだったのですが、このぽち袋に変わっていった背景には、郵便制度の導入が大きく関わっているのです。我が国では古来から文章の秘密を保持する手段として紙で包んだ手紙を封紙などで封じて渡していたのでしたが、明治四年に郵便業務開始に伴って郵便局が開設、切手と共に封筒も売られたのです。
ぽち袋が始めて市販されたのは、明治15年、日本橋の和紙店「金華堂」で、それまで和紙の包みであった大入り袋の封筒版でした。その後、東京の和紙屋の「開運堂」、「榛原」、京都の「さくら井屋」などからも次々と洒落た袋が売り出され、全国に普及していきました。それに端を発したのが千社札の交換会から派生した、ぽち袋交換会でした。大正8年5月、浅草仲見世中正倶楽部開催の「江戸会」にて、始めて開催され、凝った意匠のぽち袋が登場したのも、その頃からではないでしょうか。
これっぽちの気になる小ぶくろをお楽しみください。

会場:テプコ浅草館 協力:江戸ネット
会期:2009年9月15日(火)〜11月15日(日)
休館:毎週月曜日(月曜日が休日の場合は翌日)
電話:03(5827)3800
入場無料 |