『つくづくと』
ナナちゃんが寝坊になりました。この数日は寒かったためか、あほまろの足元で毛布にくるまって寝ているのんですよ。それもきっと毛が抜けきってしまったのが寒いのでしょうかね。雪の中でも平気で寝ていられる北海道犬の遺伝子はいったいどこに行ってしまったのやら、これからどんどん寒くなっていくに従ってナナちゃんの毛もそれに合わせて生えてくると良いのですが、なにしろ、今の状態じゃ裸同然なんだから。
ナナちゃんの寝坊のおかげで今朝の出発も10分遅れになってしまいました。しかし、5時10分というと外はまだ真っ暗なんですよ。かすかに明るくなっている東の空も薄い雲がかかっているようなので、今日はあまり良いお天気にはなってくれないようですね。おまけに、冷たい北風で、歩きながら寒さも感じてしまいました。
さて、今日からテプコ浅草館3階ギャラリーに於いて「デジタルポンチin浅草」が始まります。この展示会は、パソコンを使って絵を描いている方々の勉強会「J-Mac」に参加している作家のグループ展で、今回で4回目となるのです。初回からあほまろも参加してはいるのですが、暇が有るのに暇の無いふりしているためか、今回も、作品創りに励む時間がとれなかったのです。しかし、無情な時間が勝手に流れてしまったために、時間切れというか初日を迎えてしまったんですよね・・・。
会場の準備をする漫画家のウノ・カマキリ先生と、漫画家協会事務局長の渡辺さん。

今回のテーマは「はな・花・華」、さてハナと名が付くと、あほまろには「花街」が想い浮かぶんだよね・・・。とりあえず、昔の作品の中から花街の女性たちをテーマとした作品を適当に並べることで、勘弁してもらいす。
なにしろ1997年、マックがまだ200メガで動いていた頃、フォトショップV4を駆使して制作した思い出の戯絵作品なのです。

一年ぶりにお逢いするポンチな連中。

こちらはイラストレータの上村さんの作品。新旧ごちゃまぜの浅草を「立版古(たてばんこ)」風に仕上げた素晴らしい作品です。

上村さんが、どこかにあほまろもさんも居るんだよ。探してみました。なんと、踊り子さんの後ろで、圓歌師匠と並んでカメラを持って、にやけてましたよ。他にも、お馴染みの芸人さんたちもいっぱい。どんな人が並んでいるか、みなさんも探してみると楽しいでしょう。

「デジタル・ポンチin浅草2009」、ポスターをクリックすると紹介ページをご覧になれますよ。

それにしても、現在、あほまろは「和みのぽち袋と絵封筒展」の真っ最中ですが、幸い、同じ会場のフロア違いなので、行ったり来たり出来るから楽だよね。

午前5時16分の雷門前。とっても暗かったんだよ。

こんな様子で東京スカイツリーがちゃんと撮れるのかな・・・。

『東京スカイツリー』
とりあえず、いつもの調子で撮ってみました。でも、ここからはかなり難しくなってきましたね・・・。

その2時間後、散歩の帰りです。でも、ここからじゃ良く見えないよね。

ついでに、尻隠して頭隠さぬウンちびる。

「和みのぽち袋と絵封筒」展
遊び心たっぷりの「ぽち袋」の世界です。
これっぽちの小ふくろの中に凝らされ、思いもつかない粋なおもしろさに出会えるでしょう。 ぽち袋は小さいので、当然、中い入れるお金もちっちゃいのです。
誰が名付けたのかは知れませんが、「これっぽち」の「ぽち」から派生した言葉じゃ無いのでしょうか。
冠婚葬祭で使われる熨斗袋と違い、非公式の場所での使用に限られているため、めちゃくちゃ粋に洒落た小袋は子どもたちへのお年玉、またお使いのお駄賃など、立場が上の者から下の者にしか使うことが出来ないのが「ぽち袋」なのです。
それまでの心付けは、懐紙に包んだお捻りだったのですが、このぽち袋に変わっていった背景には、郵便制度の導入が大きく関わっているのです。我が国では古来から文章の秘密を保持する手段として紙で包んだ手紙を封紙などで封じて渡していたのでしたが、明治四年に郵便業務開始に伴って郵便局が開設、切手と共に封筒も売られたのです。
ぽち袋が始めて市販されたのは、明治15年、日本橋の和紙店「金華堂」で、それまで和紙の包みであった大入り袋の封筒版でした。その後、東京の和紙屋の「開運堂」、「榛原」、京都の「さくら井屋」などからも次々と洒落た袋が売り出され、全国に普及していきました。それに端を発したのが千社札の交換会から派生した、ぽち袋交換会でした。大正8年5月、浅草仲見世中正倶楽部開催の「江戸会」にて、始めて開催され、凝った意匠のぽち袋が登場したのも、その頃からではないでしょうか。
これっぽちの気になる小ぶくろをお楽しみください。

会場:テプコ浅草館 協力:江戸ネット
会期:2009年9月15日(火)〜11月15日(日)
休館:毎週月曜日(月曜日が休日の場合は翌日)
電話:03(5827)3800
入場無料 |