『今朝の浅草』
クリスマスも終わり、いよいよ年末が押し迫ってきました。今朝もとっても寒いんですよ。そんな寒さの中でも、みなさん何かそわそわしているようにも見えてますよ。それもそのはず、陰暦12月の異称を師走と称されているように、師までが忙しそうに走り回る月なのです。この語源は、師匠の僧がお経をあげるために馳せる月の「師馳月(しはせづき)」に由来しているとか。盆と正月前には必ず檀家を廻るお坊さんが、この時期は凄く、忙しく駆けずりまわっているというの、とっても理解できますよね。
さて、年末は忘年会が目白押しでみんさんも走り回っていることでしょう。でも、あほまろは隠居生活なので、お付き合いはほどほど、いわゆる忘年会は、先日の「あほまろ一門会」と、昨日は我が師匠の「三遊亭圓歌師を囲む会」と、僅かに2回だけです。それ以外は総て断り通して来たこともあって、今年は全くお誘いがきませんでした。それはそれでちょっと寂しい気もしますけど、お酒を止めようと努力をしているあほまろにとっては、良いことと割り切ってるのかもね、
あほまろは、パソコンを使うようになって失ったものに万年筆があります。先日、何年も前からいつか整理をしようと段ボールに詰め込んでおいた机の中身を開いてみて気付いたのが、あほまろは万年筆を愛用していた時期が有ったってことなんです。その頃は、海外出張が多かった頃、時間が有ると有名店や免税店で万年筆の衝動買いをしてましたよ。
あほまろのお気に入りはカートリッジの関係から、「モンブラン」と「ウォーターマン」に限られているのです。中には、ドストエフスキーなどの歴史的作家をイメージしたものや、エドガー・アラン・ポー愛用の復刻品なども有りますよ。当時はまるで洋服や帽子を選ぶような感覚で毎日万年筆を持ち歩いていたのです。
それが使われなくなってしまったのは、いったい何時頃からなのでしょう。たぶん、当時勤務していた会社の書類が総てパソコンになったのがウインドウズ98の頃だったので、まだ10年も経っていないのです。それ以来、いつの間にか万年筆が忘れ去られ、メモや連絡を書くのもボールペンを使用するようになってしまったんのです。
元々字を書くのが下手だったこともあって、文章を書くにはパソコンがとっても便利ですよね。手書きで原稿を書いている頃、あほまろの字を読みやすくリライトをしてくれる方を通してでなければ、どこにも受け付けて貰えなかったのですよ。今回見付かったのは、その頃の懐かしい万年筆たちですが、インクを入れたままで放っておいたので、どれもすぐには使えない状態に固まっているのです。文字を創り出す道具といえば、想い出もいっぱい詰まっているっていうのに、そんな状態じゃいけませんよね。そんなバチが当たったのか、万年筆を使わなくなった弊害も有るのです。そう、今では漢字が全く書けなくなってしまったってことですよ。きっと、万年筆の神様の仕業なのでしょう。
毛筆の文化であった日本に急激に浸透していった万年筆、あほまろの手元には、夏目漱石や北原白秋といった当時の文人らが、「万年筆」をテーマに寄稿した一冊の本があります。それによると、万年筆のもつ利便性と時代の必然性を説く文章、今のパソコン時代と同じような文化の流れを感じてしまうようです。
お正月の休みを利用して、使えなくなっている万年筆たちの掃除をしてあげましょう。そして昔のように、お気に入りの万年筆にブルーブラックのインクを入れ、メモ用紙と一緒に持ち歩くようにしようかな。そのためには・・・・。あぁ、ダメダメ、毎年、この時期になると書店に平積みされている日記と手帳、ついつい毎年買ってしまうのですが、正月から数日使うだけ。今年こそは買わないようにしよう、そう心に決めたばかり、万年筆を持ち歩いても出番は無いかもね。ま、ファッションの一部として、誰かに見せびらかしてあげましょうかね。
『今朝の雷門』
お坊さんは檀家周りに忙しい師走ですが、あほまろにとっては何ら変わった月では無いのです。いつものようにモモちゃんと浅草寺境内を散歩し、ワンちゃんたちの写真を撮って帰る。普段と全く一緒ですよね。もちろん今日12月26日も、大晦日も元旦もその次の日も、またまたその次の日も、2月3日も4月6日も8月12日でさえ、同じ行動をしたいるのですからね。これが生き甲斐で、これっきゃない生活を飽きないで続けている、それだけで幸せを感じている極々普通のおっさんなんですからね。

『今朝の宝蔵門』

『今朝の本堂』
『本堂から宝蔵門』
『本堂から宝蔵門の大提灯』

『今朝の二天門』
ようやく顔を見せてくれた朝日。こんな光景にも手を合わせてしまうのが、日本人なのでしょうね。
『今朝の境内』
もちろん浅草寺さんには、毎日お詣りをしています。お賽銭は時々だけど・・・。
月が出ています。昨日は、いざよいの月(十六夜月)で、今日17日は、立待月(たちまちづき)ですね。

日没後、立って待っているうちに月が昇ることからそう呼ばれているそうです。何で立って待たなければいけないのかは、知らないよね。
「ガサ市」も終わりに近くなって、お店の商品もどんどん無くなってしまいました。
雷門から仲見世の入口にも、注連飾りを売る屋台ができましたよ。
『今朝の浅草神社』
浅草神社です

『今朝の一写』
新門の鳶さんたちが門松を運んでいます。こんなに大きな門松、きっと花やしきに飾られるのでしょうね。
『浅草な人』
浅草の街のあちこちには、ご覧のような松飾りが並びました。今日、午後2時半から、この先の伝法院通りでお正月飾りの繭玉に付けるお餅突きが行われるそうです。昨日、「浅草な人」から情報をいただきましたよ。写真を撮りにいかなくっちゃね。
『今朝のワンちゃん』
ちょっとだけ先に出たというのに、ナナちゃんはもうお帰りです。女房がに何か叫んでいる? おや、モモちゃん、こんなところでウンチ。

おめでとう〜!
ココアちゃん、今日が満1才のお誕生日なのです。

おばあちゃんがプレゼントしてくれた手編みのセーターを着て、今日は犬用のケーキも注文しているんだって。幸せなココアちゃんだね・・・。あほまろ家では、犬の誕生パーティなんてやったこと無いよ。でも、モモちゃんは元旦生まれなので、お正月のついでに祝ってあげてるのかも。おまけに、他の犬たちは誕生日を知らないんですよ。
ランディ君にボビちゃんが吠えて飛びかかろうとしてますよ。気の強いボビちゃんにさすがのランディも及び腰でした。
気の強いボビちゃんですね。
今朝は大きなワンちゃんが居なかったのでランディ君、運動にならなかったようですね。
アックス君です。真っ黒い顔なので、なかなか表情を撮れないのが残念です。とっても味の有るお顔なんですよ。
メグちゃん、歩きたがらないのかな。今朝はとっても寒いですからね。
チコちゃんも歩きたがらないのでしょうね。大きいので重いでしょう。
ボブちゃんも座ったままで動こうとしません。
モモちゃんが近づくと、喜んで走ってきましたよ。
二匹はとっても仲良しですね。
『今朝の街並』
ひさご通りを歩いてみました。
こんも奥に浅草十二階がそびえていたのですよ。明治から大正時代のことですけどね。
こちらがいわゆる十二階下の「銘酒屋」街だったんでしょうね。
ここが十二階の建っていた場所です。
ひさご通りとは関係無いのですが、公会堂前は昨日から「浅草歌舞伎」の幟が並びました。
『昨夜は忘年会』
我が師匠、三遊亭圓歌師、上野公園内の「伊豆栄梅川亭」にて、今年最後の独演会と忘年会が開催されました。演目はお馴染み「中沢家の人々」ですが、この話を聞くたびに内容が変わっているのです。世相に遭わせて内容を変えているのです。さすがです。
師匠と一緒に写っている方は、前岐阜知事の梶原拓氏です。4期16年にわたって岐阜県の知事を務め、全国知事会長も歴任するなど、国から地方への政治の流れを変えた方、ソフトピアジャパンを立ち上げたことでも有名な方ですよね。
『心ふれあう憩いの広場―下町と銭湯の物語』
江戸時代から現代まで、銭湯は町内の情報交換の場として、
また、親子、隣人たちとの世代を超えたコミュニケーションの場として 大変効果的な役割を担ってきましたが、最近はお客さまの銭湯離れにより
廃業する銭湯の数は少なくありません。
今回の展示では、銭湯の魅力を掘り起こし、 銭湯を知らない方々にも銭湯の魅力を知っていただくために、 銭湯の形を見える形でご紹介します。 昭和40年代のなつかしい銭湯や町空間を思い起こさせる品々の展示です。
あほまろコレクションは、置き薬の箱とホーロー看板です。このように並べてみると迫力ありますね。
展示内容
・江戸時代の「湯屋」の模型展示
・現代の銭湯の模型展示
・台東区内「銭湯めぐり」写真展
・銭湯の歴史・地図で見る銭湯数の変遷・入浴料金の変遷 等
開催期間 平成19年11月14日(水)〜平成20年1月30日(水)
※休館日を除く
今回の展示会にも、あほまろのコレクションがいっぱい展示されますよ。ポスターをクリックすると大きな画面でご覧になれます。
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