『今朝の浅草』
大型で非常に強い台風4号は紀伊半島付近を通り、その後東日本の太平洋沿岸を進んで、今日の午後から関東の東へ進むと予報が出されています。これから関東地方では250ミリの雨が降るとのことですが、午前6時過ぎの雨は小康状態、今がチャンスとモモちゃんを連れて出かけたのでした。
いつものコースの半分ほどまでは時々霧雨のようなのが舞ってくるだけでまだ傘の必要はありません。そんなわけで、のんびりと境内を歩きながら写真を撮っている途中に女房とナナちゃんもやってきました。女房はまだ大丈夫だろうと傘を持ってこなかったようです。でもね、台風が接近しているので、いつ降り出すか解らないですよね。女房と別れ、花やしき通りに入った時に突然激しい雨が振り出してきました。慌てて傘を差したのですが、横殴りの雨は容赦なく前身を襲ってくるのです、おかげで前身ずぶ濡れになってしまいました。
初代中村中蔵が「仮名手本忠臣蔵・五段目」の定九郎の役作りで悩み、この上は神仏の御利益にすがるよりしかたがないと。柳島の妙見様に日参し、突然の雨でそば屋に飛び込み、食いたくもない蕎麦をあつらえて、工夫をあれこれ考えているところに、“ゆるせッ”と、年頃三十四,五。
月代(さかやき)を伸ばした浪人風、背は高く抜けるように白い顔肌、黒羽二重のひきときというあわせの裏をとったものに茶献上の帯、茶の鼻緒の雪駄を腰へはさんで、尻をはしょり、黒色の大小を落とし差しにして飛び込んで来たのです。そして、破れた蛇の目の傘をぽーんとそこへ放り出す。月代をぐっと手で押さえると、たらたらっとしずくが流れようという。濡れた着物の袂をこうてしづくを切っている浪人がひと言、“傘をたよるから濡れるんだ”。
“うんッ、これだ
!いいこしらえだ、これこそ自分が思っていた斧定九郎・・・”。と、芝居を成功に導いたのでした。彼は、生涯この仲蔵を名乗り一代で大名跡として人気をはくしたのです。
散歩とは全く関係の無い話、激しい雨で無用の長物となった傘を見ながら、中村中蔵の噺を思い出しながら濡れて帰ってきたのでした。いったい何が言いたかったのかといえば、ヤクザ映画を見終わっての帰りすがら、まるで自分が高倉健になったかのような。そんな気分、解るかな・・・。
雨の日は、楽しいことを考えながらの散歩って絶対に楽しいですよね。台風以外の話題が無かったもので、ごめんね。
