『今朝の浅草』
みなさん、三連休は楽しめましたか。あほまろはこの日記でご存じの通り、3日の文化の日は「東京時代祭」の撮影、翌4日は女房と池袋のサンシャインで開催されていた「第41回全国切手展」、友人で郵便研究家の丹下氏が「確立・発展期の近代日本」の題材でみごと金賞受賞です。もっとゆっくり見学をしたかったのですが、女房が販売コーナーに行きたいというので断念、入賞作品が出版されてからゆっくりと拝見させていただきましょう。
併設されている販売コーナーで、女房は相変わらずアラビア語の切手漁りに夢中です。いつも出展している怪しい外人のお店で延々アラビア語圏の切手を捜しているのでした。あほまろはというと、手彩色絵葉書が数枚と書籍を買っただけでしたよ。池袋から帰って、息子夫婦とお酉さま。参拝もそこそこにいつものお寿司屋さんで晩酌でした。
そして連休の最終日は、先月開催されたデジタル・ポンチの仲間と文化交流です。午前10時に上野公園の西郷像の前で待ち合わせ、まずは助手の古麻呂が学芸員の資格を得た「下町風俗資料館」の見学です。総勢21名にもなってしまった今回の文化体験会に古麻呂が用意した入場券は僅か5枚、彼の力ではそれが限界だったのでしょうね。「下町の寄席」と題した特別展が開催されており、名人と称された懐かしい面々の在りし日の姿を堪能したのでした。
今回のために弥生美術館の学芸員さんにお願いをしていた午前11時半が迫っているというのに、やれ、古い漫画が、小さな置物が、あれが、これが・・・。資料館の前に並んだ骨董市にハマってしまった我が文化人たちは動こうとはしないんですよ。とはいえ、強引にその場から身体を剥がして次なる目的地へと急いだのです。
弥生美術館では、二人の学芸員がお出迎えです。現在開催中の展覧会は、「竹中英太郎と妖しの挿し絵展」です。竹中英太郎の絵は、昭和エロ・グロ・ナンセンスという時代の人々に熱烈に受け入れられた挿絵なのです。彼を一躍有名にしたのは探偵小説の挿絵でした。原画を始め、当時の「新青年」「文芸倶楽部」「主婦の友」等の掲載雑誌や装幀本、戦後の肉筆作品などの資料の迫力、目を見張るものがありましたよ。
同じ時代に活躍した橘小夢、水島爾保布、月岡夕美、内藤良治等の作品を見ながら、弥生美術館の目玉でもある高畠華宵のコレクションです。昨年、なんでも探偵団に登場した館長がモデルとなった「新さらば故郷」などの名作を堪能し、お隣の竹久夢二館です。
「待てど 暮らせど 来ぬ人を・・・」の歌、「宵待草」ご存じですよね。この作品を始め、竹久夢二は数々の曲も手がけていたのです。今回の企画展は、「セノオ楽譜シリーズ」を中心とした「抒情のリズム、大正ロマンの調べ展」です。学芸員の石川さんの解説付きとあって、漫画家・イラストレーターのご一行様の満足度は120%でした。
詳細と写真は「今朝の余談」をご覧ください。
あほまろの三連休、とっても文化的で有意義な日を過ごしたのでした。とはいえ、毎日が同じような日々を過ごしているっていっても過言では無いのです。今日は、溜まってしまった原稿を一気に書き上げてから歌舞伎座で「吉例顔見世大歌舞伎」の観劇です。仁左衛門の「良弁杉由来」、30年ぶりの母子の再会に涙し、団十郎と三津五郎の「河内山」では、太々しいが憎めないワルの河内山の悪態で憂さ晴らしをしたいですね。
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『今朝の雷門』
連休も終わってしまったので、今朝の雷門は静かだろうと思ったのですが大違い。この写真の左右には大勢の団体客が待機しているのです。そんな中を堂々と自転車で雷門を通過して行く若者、オイオイオイオイ・・・。

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『今朝の一写』
雷門前のからくり時計でお馴染みの観光センターに設置された照明器具の取り替えが行われておりました。今の時刻は午前7時ちょうど、作業は6時頃から行われていたのでしょうね。日中の浅草は観光客でごった返しているので、このような作業はいつも夜明けを待って始めるのです。ご苦労様です。

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『今朝の境内』
超広角で仲見世と新仲見世の交差点を狙ってみました。肉眼では見られない光景になってしまいましたね。

宝蔵門前の「菊花展」のテーマ展示場、色とりどりの菊が見事ですね。
浅草寺本堂内です。カメラのレンズを交換するのが面倒くさいので、雷門前からず〜っと超広角のままで撮り続けていますよ。

広い境内と堂内では、毎朝清掃作業が行われているのです。

浅草神社も超広角で撮るといつもと社殿の大きさが違ってみえるでしょう。昨日の写真と比べて見てください。

本殿の正面です。

定点観測の懸崖は特に変わったところ無し。

二天門前のスーツ屋さん、とうとう閉めてしまうのですね。でしょうね、いつもお客が入って無かったっけ・・・。閉店セールを開催中です。

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浅草に直接関係の無いお話も多いですが。ここは、あほまろの呟きですかね。
『今朝の余談』
竹久夢二美術館の前の石碑です。

弥生美術館の前で記念撮影する、文化体験会ご一行様。

1884(明治17)年、東京市本郷向ヶ岡弥生町(現東京都文京区弥生町)の貝塚から従来から知られていた縄文式土器とは違う土器が発見されたことによって、弥生式土器が創られた時代を弥生時代と称することになったのです。
弥生美術館のすぐ側に建っているゆかりの石碑です。とはいえ、本当に土器が発見された場所は、この石碑の真ん前に有る東京大学農学部の敷地と根津小学校の敷地内だったのですけどね。
食事の後は根津・谷中の散策です。“もぉ歩きたくないよ〜”、誰かが弱音を吐いてますよ。なんたって駅まで2分でも歩きたく無いので自転車で行ってしまうって、偉いお方が・・・。

山坂の多い場所、あほまろも息が切れてしまいましたよ。

おやお嬢ちゃん、そんな所に座っていると危険ですよ。
なんちゃって、これはだまし絵でした。博物館の見物も忘れて夢中になっているのは、柳生先生じゃありませんか。

この後、上野公園まで歩きお開きです。みなさんまだ元気いっぱい、パンダを見て帰ろうなんて騒いでいましたが、あほまろと古麻呂はここで文化人達とのお別れでした。みなさまご苦労さまでした。今回の遠足、良い思い出になりましたか。 |