ナナちゃんは居ませんが、いつもの時間にお目覚めしてしまったので、道頓堀を散策。

月曜日なので酔っ払いはいつもより少なめでしたよ。

大阪に来たら朝食はここ、金龍ラーメンと決めているのです。

久しぶりのラーメン600円。何十年も変わらない味に満足。さて、これから俗界を離れた高野山にて、厳しい修行を行うのであります。

ホテルに戻って、女房を連れて難波駅に向かう途中、綺麗になった道頓堀で大阪の記念写真。

高野山には、なんば駅より南海電車で向かうのです。

大阪はG20の警戒が始まっているようで、至る所に警察官の姿が多かったですよ。

珍しい回送電車が入って来ました。

泉北高速鉄道線の泉北ライナーです。 たぶん初めて見る電車ですが、南海12000系電車の色違いでしょうね。

この電車は、落ち着いた車内空間にするため、客窓ラッピングシールが貼られているので、外から見たら、窓が埋まっているようなのです。

泉北ライナーが出た後に、9:00初の快速急行高野山・極楽橋行が入ってまいりました。

新今宮まで関空行のラピートと同時進行でした。

南海電車に乗る機会が少ないので、すれ違う列車総てが目新しく見えてしまいますね。

あれは近鉄電車ですね。


橋本で下車。
このまま乗っていても高野山には先に着くのですが、

更に、510円余計にかかるのですが、 「天空」に乗るために降りたのでありました。

「天空」には車内販売もあるようですね。

高野山行が出ると、「天空」が入線してきました。

「天空」に乗るために、10日前に予約をして、
先頭車両の最前列の席を確保しました。

車体は高野山の森林をイメージした緑色と、高野山の根本大塔を連想させる朱色の帯を配し、ほかの南海電車とは一線を画す特別感があります。

でも、通勤仕様の電車を改造した車両なので、外観は塗装を変更しただけに見えますが、車内に入れば木の温もりを感じる和モダンな空間なのです。

山岳区間は傾斜地に沿って走るため、西側の窓を拡大し、窓に面したカウンター席を配置しています。

東側の座席も西側に向き、東側の景色は見えなくても、座面を高くして西側の景色を見えるように配慮しているので、谷を見下ろす良い眺望になってますよ。


運転室の後ろは2人掛けシートで、今回、我々はそこを確保したのですよ。億右側に女房が座ってるでしょ。


ここはイベントスペースで、後ほど車内販売が行われるのです。

同じく木材を多用した水戸岡列車に見慣れた者にとって、大胆な座席配置は新鮮に感じてしまいました。

これから高野山に向かう意欲をかき立ててくれる、そんな車内でしたよ。
極楽橋からの2300系が入ってきました。


高野線の山岳区間である橋本 - 極楽橋間を走行可能な車体長17mの2扉車「ズームカー」です。

現在は4編成で、それぞれに花の愛称(コスモス・シャクナゲ・サクラ・ハナミズキ)を付けられております。

「天空」は、眺望の良い西側面には、ワイドな眺めが楽しめる固定の大型窓が採用されております。

ドア付近は、広々とした車内となって、景観を楽しむ方々が移動しやすくなっているのです。


運転席の真後ろ。

反対側はこのようjになってますよ。


いよいよ出発。

これから、橋本から極楽橋まで19.8qの急勾配、443メートルの山岳地帯をゆっくり駆け上がって行くのです。

「天空」グッズの車内販売も始まりました。




急勾配に車体をきしませながら24個のトンネルを通り抜けて行くのです。


極楽橋まで学文路(かむろ)学文路駅、九度山(くどやま)駅、二つの駅に停車する特急なので、他の駅は通過しますよ。




停車駅では無いけど、列車交換で停車する駅もありましたよ。



「天空」グッズ販売が行われてましたが、あまり人気は無し。



終点の極楽橋に到着です。

極楽橋駅の開業は1929年。木造の駅舎や連絡橋のデザインなどに風情ある情景を残しています。

極楽橋駅から、ケーブルカーに乗り換えて高野山に向かいます。

極楽橋駅から高野山駅まで約330メートルの標高差があり、日本有数の急勾配を約5分で一気に昇ります。

約30度の急勾配に合わせた車体。

途中634メートル地点に、東京スカイツリー
と同じ高さを示す看板が設置されておりました。

5分足らずで、高野山駅に到着。

この階段、高齢者には厳しいので、エレベーターも設置されておりました。

高野山駅からバスにて宿坊、「福智院」に荷物を預けて、山内散策です。

高野山は、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置し、100か寺以上の寺院が密集する、日本では他に例を見ない宗教都市なのであります。

そんな宗教都市であっても、郵便局や警察車もちゃんと有りましたよ。

高野山のゆるキャラは、
「こうやくん」です。好きな食べ物は、「高野どうふ」に「ごまどうふ」だって。

高野山で有名な胃腸薬は「陀羅尼助(だらにすけ)」ですね。さっそく一個仕入れておきました。

まずは金剛峯寺からと、延々歩きながら途中で全く反対の道を歩いていることに気付いてしまったのでした。

場所は奥の院の近くで、そのまま奥の院を詣でても良かったのですが、ご本尊の金剛峯寺から詣でなければご利益が授からないように思ったもので、引き返すことにいたしました。

この時点で、延々2qほど歩いてしまったので、お腹は空くし足は痛いし、「陀羅尼助」を舐めながらガンバしましたよ。


ご本尊の金剛峯寺手前の食堂で一休み。食堂内には、西洋人の観光脚で満席でした。さすが、世界遺産だけありますよね。

こちらがご本尊の金剛峯寺であります。

昔から、生きている間に伊勢神宮と高野山を詣でなければいけない教えが有りますが、あほまろは初めて詣でることになるのです。

世界遺産の金剛峯寺であります。


玄関を入ると、こうやくんのお出迎え。

ありがたい品々が並んでましたが、これ以上は撮影禁止でありました。



本堂を詣で、お庭を拝見いたしました。



誰も居ない信徒集会場で弘法大師さまを詣でて、一休み。

奥の廊下が気になったので、入ってみると物置で、机に足を引っかけ転けてしまいました。名誉の負傷はまだ手のひらに残っているのです。

良い天気です。

綺麗に整ったお庭、日本一広い枯山水のお庭が続いております。


台所でありますが、現在は使われておりません。

本堂を出ると、空に神々しい光が見えておりました。

何か良いことが起こりそうな予感がしましたよ。

本堂前の丸いポスト。葉書でも出せば良かったかも。



中門を通り、根本大塔まで行ってみました。


こちらが有名な根本大塔であります。目の当たりにすると、その大きさと朱色の鮮やかさに圧倒されました。

靴を脱いで、参観できます。中には、大日如来などの仏像の他、各柱に描かれている菩薩像もありがたかったので、お賽銭を奮発してしまいました。

こちらは西塔。

高野山は、何所に行ってもありがたい建物がいっぱいですね。

お天気が良かったので、周りの木々までが神々しく見えておりましたよ。


素晴らしい自然の色合いに暫し見とれてしまいました。


どのお寺も歴史有りそうで、ありがたい佇まいでした。

路傍のお地蔵さんにも手を合わせましょう。

高野山警察署までが神々しく見えてしまいますね。

あほまろは、赤い丸ポストには反応してしますのであります。

民家も多いけど、お坊さんのお家なのでしょうかね。

道路にはみ出した木の根にも歴史を感じますね。



ちょっと急な上り坂をハアハア言いながら上って行くと、

ここが高野山の入り口であります。
その横には女人堂。江戸時代、女性は高野山内には入れなかったので、女性はここまで。
女性にとって、良い時代になったものです。

ここより女人道を通って上から金剛峯寺を参拝をしなくちゃいけなかったそうです。

歩き疲れたので、女人堂よりバスで、奥の院入り口に行きましたが、ここから再び徒歩になるのですが、この日は全く参拝客は居ませんでしたよ。

奥の院に向かう途中は、様々な企業の物故者慰霊碑が並んでおりました。
これはロケットを製造する企業ですね。


福助足袋の慰霊碑も有りましたが、確かこの会社は倒産してますよね。あほまろは福助足袋のホーロー看板を持ってますよ。
たとえ倒産しても、綺麗に掃除をしに来る人も居るようで、綺麗に整備されておりました。

日産自動車の慰霊碑。

企業の慰霊碑を進み、奥の院はこの先を左折します。

高野山と言えば奥の院、必ず行かなければいけないと死んだ婆さんが言ってたので、辛くても延々歩き続けるのでありました。

落書塚には、花菱あちゃこの碑。

写真業界物故者慰霊碑。

奥に行くにしたがって、道がどんどん狭くなっていきます。

どんどん霊気が漂って来るようです。

それもそのはず、奥の院七不思議ならぬ、十二不思議なる伝説が有り、参拝者は奇妙な出来事に遭遇することも多いとか。

誰も居ない道をたった一人で歩いていると、霊気が漂うというより、喉が渇いてしまいましたが、当然自販機なんか有りませんので、ガマンです。

そんな時、向かいからやって来たお遍路さんに挨拶され、もう少しですので、頑張ってくださいとのお声がけに一安心。

この右側にお堂とトイレが有りましたが、とりあえず真っ直ぐ奥の院を目指しました。

陽もどんどん傾いて来たので急がなくちゃいけません。

そしてこちらが目的地の奥の院でございます。

写真撮影禁止なので、離れた所より望遠レンズで失礼いたしました。

奥の院は、高野山の信仰の中心であり、弘法大師さまが御入定されている聖地です。一の橋から約2キロメートルの道のりを歩きながら、おおよそ20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑と樹齢千年に及ぶ杉木立に心を清らかにされて、ようやくお参りが叶うのであります。

タダ一人の為のご祈祷とお守りを授与され、午後5時30分の閉扉ギリギリで戻ってまいりました。


本来は、更に奥の「弘法大師御廟」にも行かなくちゃいけないのですが、
夕暮れも迫って来たので今回はパスしてしまいましたが、次回、訪れることがありましたら、ちゃんと詣でますので、今回はこちらでお救いくださいませ。

帰りは、御廟橋袂の燈籠堂を詣でてきました。

玉川の清流を背にして金仏の地藏菩薩や不動明王、観音菩薩が並んでいらっしゃいます。

御廟橋の下を流れる川は、奥の院裏山、霊峰楊柳山より流れ出る清水でございます。奥の院に参詣する者は、御供所で水向塔婆を求めて、このお地蔵さんに納め、水を手向けてご先祖の冥福を祈るのです。ようやく喉の渇きも潤いました。


燈籠堂の正面には、千年近く燃え続けていると言われる二つの「消えずの火」がありましたが、こちらも撮影が禁止されておりました。

宝井其角の句碑。

松尾芭蕉の句碑。

今夜のお宿は宿坊「福智院」。


先に、奥の院をパスした女房がチェックインしているのですが、せっかく高野山に居るのに、奥の院を詣でないとは、帰ってから非国民呼ばわれしないかな。
この宿坊には温泉も湧いているのであります。

そして夕食は身も心も清めてくれる精進料理。
酒なんて絶対に有るわけ無いけど、一応係のお坊さんに伺うと、アルコールのメニューを持って来てくれたので、生ビールの中ジョッキーと般若湯を少々頂いてしまいましたが、これでも修行になるのでしょうかね・・・。

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