今日は秋の彼岸入りです。
秋分の日を中日として、その前後三日間を合わせた七日間がお彼岸。今年は今日から9月26日(土)の彼岸明けまで、ご先祖さまや亡くなった大切な方々に、静かに思いを寄せる一週間となります。
お彼岸になると、「此岸(しがん)」と「彼岸(ひがん)」という言葉を思い出しますね。
私たちが暮らしている、迷いや煩悩に満ちたこちら側の世界が「此岸」、そして悟りの世界が「彼岸」です。春分と秋分には太陽がほぼ真西に沈むことから、西方にあるとされた極楽浄土へ思いを寄せる習慣と、日本古来の祖先供養が結びついて、お彼岸という行事が育まれてきたとされています。
ですから、あほまろもこの七日間は、亡くなったご先祖さまはもちろん、かつて一緒に暮らした犬や猫たちのことも思い出しながら、心の中で手を合わせたいと思っております。
人間だけが彼岸へ行くわけじゃありませんからね。あほまろにとっては、長い年月を一緒に暮らしたペットたちだって、大切な家族なのです。
そして、お彼岸になると決まって思い出すのが、
「暑さ寒さも彼岸まで」
という昔からの言葉です。
暦というものは実によくできたもので、あれほど威張っていた夏の暑さも、秋分の頃になると少しずつ勢いを失い、朝晩の空気には秋らしさが混じるようになります。
もっとも、近年の夏は往生際が悪いですね。
「彼岸だから、そろそろお帰りください」とお願いしても、「いやいや、まだ居座りますよ」とでも言わんばかりに残暑を引っ張るのですから、昔のことわざも近年の気候には少々困惑していることでしょう。
それでも今朝の外気温は21℃。数字だけを見ればずいぶん涼しくなったようですが、雨のため湿度が高く、歩いていると意外に蒸し暑いのです。
しかも今日は雨。短縮散歩にしたにもかかわらず、帰る頃には雨なのか汗なのか分からないほど、ズブ濡れになってしまいましたよ。
そんな秋のお彼岸を知らせてくれる花といえば、やはり彼岸花でしょう。境内でも朱色の彼岸花が見事に咲き揃いました。
彼岸花には「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」という、なんとも美しい別名があります。「曼珠沙華」は仏教経典に登場する天上の花に由来する名前で、めでたい兆しに天から降る花として語られています。
ところが日本では、お墓の近くや田畑の畦などに咲く姿から、「幽霊花」「死人花」などという、少々恐ろしい名前まで付けられてきました。
天上の花だったり、幽霊の花だったり。本人ならぬ本花にしてみれば、
「いったい、どっちなんだ」と困っているかもしれませんね。
しかし、薄暗い境内で燃えるように咲く彼岸花を眺めていると、そんな相反する名前を持つ理由も、何となく分かるような気がします。
葉もない地面から細い茎だけがすっと伸び、その先に真っ赤な花を咲かせる。花びらの間から長い雄しべが弧を描いて飛び出す姿は、炎が舞っているようでもあり、赤い蜘蛛が脚を広げているようでもあります。
彼岸花の暮らし方も変わっています。秋に花を咲かせた後、しばらくすると葉を伸ばし、冬の間にたっぷりと光を受けます。そして春になると葉を枯らし、夏には地上からほとんど姿を消してしまう。それが秋の気配を感じる頃になると、何もなかった地面から突然、花茎を伸ばしてくるのです。
昨日まで何もなかったところに、気が付けば赤い花。
毎年見ているはずなのに、
「おや、いつの間に」と驚かされてしまいますよ。
今朝も雨に濡れた彼岸花は、いつも以上に朱色を濃くして咲いていました。
濡れた土、黒々とした木の幹、まだ薄暗い境内。その中に浮かび上がる真っ赤な曼珠沙華は、まるで小さな灯明が並んでいるようでしたよ。
そんな雨に濡れた彼岸花を、あほまろがしゃがみ込んで撮っていると、後ろから、
「すみません」
と声をかけられました。
振り返ると、傘を差した若い女性が三人立っておりました。
「この彼岸花と一緒に、私たちの写真を撮ってもらえますか」
とのこと。
もちろん、写真を撮ることならお安い御用です。浅草寺の境内では、外国人観光客をはじめ、毎朝のように「写真を撮ってください」と頼まれておりますからね。
ところが、今朝のお三方はいつもとはちょっと違いました。
「私たちは彼岸花の後ろにしゃがみますので、花を主役にしてください。私たちをボカしてもかまいません」
なるほど。
ただの記念写真ではなく、最初から頭の中に完成した写真のイメージがあるようなのです。
そして、「これでお願いします」と差し出されたスマートフォンを見て、あほまろはちょっと驚きましたよ。
ライカと共同開発したカメラシステムを搭載するXiaomi 17 Ultraだったのですよ。
さすが写真にこだわる方々だけあって、持っているスマホまで普通ではありません。
確かにこのスマホなら撮影機能も充実しているので、彼岸花にピントを合わせ、後ろの人物をぼかすような表現もできます。
そこで、雨の中、片手で傘を差しながら、もう片方の手でスマホを構え、
「はい、撮りますよ」
パシャリ。
これで一件落着……と思ったのですが、そう簡単には終わりませんでした。
撮った写真を確認すると、
「うーん、こうじゃなくて……」
「もう少し花を大きくしてください」
「私たちはもっと後ろで……」
などなど。
次から次へと注文が出てくるではありませんか。
こちらは雨の中、傘を差しながらの即席撮影会です。しかも被写体は人間ではなく、あくまでも彼岸花が主役。三人は脇役で、しかも「ボケてもかまわない」という、なかなか高度な撮影依頼なのであります。
結局、構図を変えたり、距離を変えたり、彼岸花をもっと大きく入れたりしながら、何枚も撮り直すことになってしまいましたよ。
毎朝のように観光客から「写真を撮ってください」と頼まれるあほまろですが、ここまで細かな注文を付けられたのは初めてでした。
後でお話を伺うと、三人ともファッション関係の雑誌社の方々とのことでした。
なるほど、それなら納得です。
写真というものを単なる記念としてではなく、画面全体の構成として見ているのでしょう。雨の彼岸花を主役にして、自分たちはその世界の中へ溶け込むように写りたい。その完成図が、最初から頭の中にあったのでしょうね。
それなら注文が多いのも仕方ありませんね。
もっとも、あほまろとしては、
「そこまで注文するなら、せめて雨が止んでからにしてくださいよ」
と言いたいところでしたが、目的は雨の中だったようで、雨に濡れていっそう赤く輝く彼岸花と、若くてかわいい女性たちとの組み合わせは、なかなか絵になる光景でした。
お彼岸というと、どうしてもご先祖さまや亡くなった人を偲ぶ、静かで少し寂しい季節を思い浮かべます。
しかし、その同じ彼岸花を見て、「きれいだから一緒に写真を撮りたい」と思う若い人たちもいるのです。
花は同じでも、見る人によって物語は違う。
あほまろは彼岸花を眺めながら過ぎていった年月を思い、若い彼女たちは彼岸花と一緒に「今」を残そうとしている。
昨日までここにいた人がいなくなり、また新しい人がやって来る。
毎朝同じように見える浅草寺の境内でも、同じ朝は二度とありません。
雨の浅草寺で、過ぎていった時間と、今を生きる時間とが、ほんの一瞬だけ同じ曼珠沙華の前で交差したのでした。
そう考えると、此岸と彼岸も案外そんなところでつながっているのかもしれませんね。
今朝のような雨の日には、そんなことまで考えてしまう、あほまろなのでした。
これから明日にかけても関東では雨が続き、場所によっては雨脚の強まる可能性があります。せっかくの彼岸入りですが、今年は青空ではなく、雨音を聞きながらご先祖さまを偲ぶ一日になりそうですね。
雨に濡れた曼珠沙華を眺めていると、華やかなのに、どこか寂しい。
けれど、その寂しさもまた秋なのでしょう。そして十日ほどもすれば、あれほど鮮やかだった花は静かに姿を消し、代わって朝の空気が一段と冷たくなっていきます。
季節は、人間が気付こうが気付くまいが、黙って先へ進んでいるのです。
「曼珠沙華 此岸に赤く 火を灯し 雨の向こうに 彼岸を想う」
……もっとも、あほまろは、まだ彼岸へ行く予定はありませんよ。
こちらの世界には、毎朝撮らなくてはいけない浅草の景色がありますし、雨が上がればビクトリー君たちも待っていますからね。
まだまだ此岸で忙しい、あほまろなのでございます。
今朝の日の出は午前5時27分。平成中村座の小屋がけ工事が行われております。
ハナカイドウの実。
子育地蔵さま、わが家の子どもたちと猫の安全をお守りください。
日本のナイチンゲールと称される瓜生岩子像。
令和の大改修を終え、広々とした境内西広場。以前とはまったく違う景色になりましたが、開放感あふれる新しい浅草寺の表情が雨の中に広がっておりました。
お店の取り壊し作業が終わった伝法院通りでは、これから石垣や塀の補修工事が始まるのです。
あほまろは今日も秘密基地にて、「浅草は、朝が深い」の原稿書きに勤しみますよ。
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夕べの睡眠は86%でした。
おはようヒロちゃん。
今朝の朝の朝食は、肉炒めとゆで卵にクロワッサン。デザートは、牛乳かんてん。
妻のコレクションは、瘋癲のリリーさんとグレースさん。
昨日の東京スカイツリー。
あほまろお帰りなさい。
夕べの夜の夕食の晩ご飯は、久しぶりに近所の寿司屋さんから出前一丁。
妻のコレクションは、カサンドラさんとビビアンさん。
MemoiPhone 17 ProMAX