令和8年(2026)4月7日(火) 旧暦2月20日 先負
今朝の撮影 Data SONY α1 II Sigma 20-200mm F3.5-6.3 DG iPhone 17ProMAX 現像 Adobe PhotoshopLightroomCC 撮影枚数704枚
- 藤の芽に 望み託して網越しに 咲けば都合で散れば忘るる -
境内のソメイヨシノが、はらはらと舞い散りはじめたその足元で、あほまろはふと、季節の“次の主役”の気配に気づいたのでございます。藤棚の枝先に、まだ頼りなげながらも確かな命の兆し――小さな芽が顔をのぞかせておりましたよ。 昨年、この藤棚はほとんど花を咲かせませんでした。見上げる者の期待を、どこか肩透かしのように裏切った、静かな春でございました。しかしその後、美しい藤を取り戻すため、思い切った手入れが施され、二本あった木は一本に整理されたのでございます。余分を削ぎ落とすことで、残された一本に養分が行き渡る――人の世でもよくある話でございますね。欲張りすぎると、どれも中途半端になるという、なんとも耳の痛い教訓でございます。 藤の花は、例年4月中旬からゴールデンウィークにかけて、その最盛期を迎えます。紫や白の花房がしだれ、ほのかに甘い香りを漂わせるその光景は、まさに春の締めくくりにふさわしい絶景。 しかし、今年はその美しさを守るため、芽の段階から鳥避けのネットが張られておりました。ヒヨドリやハトたちも、花や蜜を楽しみにしているのでしょうが、ここはひとまず人間の都合を優先させていただきましょう。 そのため、今朝の写真は網の目越しという、いささか風情に欠けるものとなってしまいましたが、花が見事に育つ頃には、このネットも取り払われるとのこと。いわば今は、舞台裏をのぞいているようなもの。主役が現れるその日を、静かに待つ時間でございます。 桜が去れば藤が咲く――季節は律儀に巡り、あほまろに休む暇を与えてはくれません。嬉しい悲鳴と申しましょうか、いや、写真を撮る身としては、これはもう“労働”に近いものかもしれませんね。 もっとも、藤という花は見た目の優雅さとは裏腹に、なかなかの曲者でもございます。成長が早く、その強靭な根やツルは、家の基礎や配管、塀までも傷める恐れがあるため、「植えてはいけない植物」などと物騒な言われ方もされております。しかしそれは、あくまで手入れを怠った場合の話。きちんと向き合い、手をかけてやれば、その美しさは何物にも代えがたいものとなるのです。浅草寺の境内では、その点も抜かりなく、見事に管理されておりますよ。 さらに申せば、藤の花には「レクチン」という毒性が含まれており、誤って口にすれば嘔吐や下痢、胃腸炎を引き起こし、稀には命に関わることもあるとか。甘い香りに誘われてうっかり――などということは、どうかお控えいただきたいものです。 一方で、「藤」は「不治」に通じるなどという、なんとも縁起の悪い迷信もあるようでございますが、さて、こういう話は信じるべきかどうか。あほまろに言わせれば、花はただ咲き、ただ散るのみ。人間の勝手な言葉遊びに振り回される筋合いは無いのでございましょう。 それでもなお、あほまろはこの小さな芽に、今年の春の続きを見ております。桜が終わりではなく、次の美しさへの“序章”であったことを、静かに教えてくれているのですからね。 「藤の芽に 望み託して網越しに 咲けば都合で散れば忘るる」(阿呆人也) まことに人の心とは、花よりも移ろいやすいものでございますね。 今朝の外気温は15℃。まるで春本番を思わせるやわらかな陽気で、あほまろも思わず歩みをゆるめたくなるほどでございました。もっとも、この穏やかさも長続きはしないようで、予報によれば曇りや雨の、いささか気まぐれな空模様が続くとのこと。 ひと足早く訪れた暖かさも、どうやら一旦は腰を落ち着ける様子で、夜には朝よりも冷え込むところが多くなる見込みでございます。 春という季節は、まことに気分屋でございますね。こちらが油断した頃に、ひんやりとした風を送り込んでくるのですから、なかなか侮れませんよね。 とはいえ、明日――お釈迦さまのご誕生日「花まつり」には、ありがたいことにお天気も持ち直し、穏やかな一日となりそうでございます。 くるくると表情を変える春の空ではございますが、どうか皆さまも、朝晩と昼間の気温差にお気をつけてお過ごしくださいませ。 境内では、明日のお釈迦さまのご誕生日――「花まつり」を前に、訪れる方々に少しでも気持ちよくお祝いしていただこうと、清掃係の平氏が、なんと夜中の二時から作業を始めておられましたよ。 本堂前から手水舎にかけて、高圧洗浄機の水音が静かな夜気に響き、まだ眠りの中にある浅草寺が、ゆっくりと目を覚ましていくようでもございました。 あほまろがのんきに夢の中をさまよっている頃、こうして誰かが黙々と境内を整えてくださっている――まことに頭の下がる思いでございます。 作業の合間に平氏がぽつりと、「ほら、沙竭羅龍王様も、きれいになると少し優しい顔に見えるでしょう」とおっしゃるのです。いつもは手水舎の上から、いかにも厳しい面持ちで睨みを利かせているあのお方も、誇りを落とされてすっきりすると、どこか微笑んでいるようにも見えてくるから不思議なものですね。 もしかするとそれは、夜通しで境内を磨き上げた人々の労を、静かに讃えてくださっているのかもしれませんよ。 毎日、大勢の参拝客で賑わう浅草寺ではございますが、その賑わいの裏側には、このように人知れず境内を守り、整えてくださる方々のご尽力があるからです。 あほまろは、つい華やかな風景や行き交う人々に目を奪われがちではございますが、本当の美しさというものは、こうした静かな働きの積み重ねによって支えられているのだと、あらためて感じ入るのでございます。 誰にも気づかれぬ早朝や深夜のひとときに、黙々と手を動かし、境内を磨き上げる人々――そのおかげで、あほまろたちは、何事もなかったかのように清らかな空間に足を踏み入れることができるのですね。 まことに、見えぬところにこそ、真の功徳が宿るものでございます。 誰にも気づかれず、ただそこに在り続けるこの風景。早朝散歩の中で、こうした場所にこそ、何より深い魅力を感じているのでございます。 まだ人の気配が届かぬ時間、空は夜の名残をたたえながらも、わずかに朝の気配を孕んでおります。照らし出された若葉は、まるで自ら光を放っているかのように瑞々しく、その静けさの中で、確かな生命の息吹を感じさせてくれるのです。 誰かに見せるためでもなく、称えられるためでもなく、ただ黙ってそこに在り続ける木々や小径。人の世がどれほど騒がしく移ろおうとも、この場所は変わらぬ顔で朝を迎えるのです。 今朝の日の出は午前5時20分。 ハナカイドウも、いよいよ散り始めてまいりました。 あれほど華やかに咲き誇っていた花びらが、今は静かに地へと舞い落ち、その役目を終えようとしているのです。 しかしながら、花が終わることは決して“終わり”ではございません。あほまろは、その後に続く変化こそ、見逃してはならぬものだと思っているのですよ。 やがてハナカイドウは、小さなサクランボのような実を結びはじめます。 可憐な花の面影を残しつつ、少しずつ形を変えていくその姿は、まるで季節が次の物語を紡ぎ出しているかのようでございます。 花の美しさに目を奪われるのは人の常でございますが、散った後の姿にこそ、その木の“本当の時間”が流れているのかもしれませんね。 あほまろは、咲く姿だけでなく、実を結び、やがてまた次の季節へと繋がっていくその一連の営みを、これからも静かに見守っていきたいと思っております。 ボケの花は、まだまだ満開を保っておりますよ。桜やハナカイドウが潔く散りゆく中にあって、このボケの花は、まるで「まだ終わりませんよ」とでも言いたげに、しっかりとその場に踏みとどまっているのでございます。 赤や朱の花が枝いっぱいに咲き続ける様子は、どこか頑固で、しかし頼もしくもあり――春の移ろいの中で、ひとり時間の流れに抗っているかのようにも見えてまいりますね。 あほまろは思うのです。散ることも美しければ、咲き続けることにもまた、別の美しさがあるのだと。 季節が次へと進もうとするその狭間で、静かに、そして力強く咲き続けるボケの花――その姿に、あほまろは今日も小さな勇気をもらっているのでございます。 河津桜はすでにその役目を終え、花の賑わいはすっかり過去のものとなってしまいました。 しかしながら、あほまろにとっては、ここからがまた別の楽しみの始まりなのでございます。 ご覧のように、枝先には小さなサクランボのような実が顔をのぞかせております。まだ淡い色合いではございますが、これから日ごとに赤みを増し、やがては艶やかな姿へと変わっていくのでしょうね。 花の時期には、多くの人々が足を止め、その美しさに歓声を上げておりましたが、この実の姿に気づく方は、そう多くはございません。まるで、舞台が終わったあとの静かな後片付けのように、ひっそりと進んでいく時間でございます。 あほまろは、この“誰にも見向きされない時間”が好きなのですよ。 華やかさの陰で、次の命が着実に育っていく――その過程こそが、自然の本当の姿なのかもしれません。これから色づき、やがて熟していくその日まで、あほまろは毎朝の散歩の中で、この小さな実の変化を見逃さぬよう、静かに観察を続けてまいります。 奥山のつつじはすでに撤去され、かつての景色を知る者にとっては、どこかぽっかりと空白が生まれたような寂しさも感じられるこの頃でございます。 その一方で――このキリシマツツジは、まるで失われた色を取り戻すかのように、鮮やかな真紅の花を見事に咲かせておりました。 ご覧の通り、その赤は遠慮というものを知らず、朝の光を受けてなお一層強く、見る者の目をぐっと引き寄せて離しません。まるで「ここに在る」と声を上げているかのようでございますね。 あほまろは思うのです。景色というものは、何かが失われれば終わりではなく、別の何かが、その場所を埋めるように現れてくるものだと。 静かに消えていったつつじの記憶と、今まさに燃えるように咲き誇るこの花―― その両方を見つめてこそ、浅草という場所の“時間の重なり”が見えてくるのではないでしょうか。 変わることを惜しむ心と、変わるからこそ生まれる新たな美しさ。そのはざまで、今日もあほまろは、ただ静かにシャッターを切るのでございます。 今年は少し開花が遅れていた浅草神社のソメイヨシノも、いよいよその役目を終えようとしてきました。 花びらは静かに散り始め、枝先には新しい葉が顔をのぞかせてまいりましたよ。 満開の頃の華やかさは、確かに人の心を惹きつけてやみませんが、あほまろはこの「散り際」にこそ、桜の本当の美しさがあるように思うのですよ。 ご覧ください。淡い花びらの間から、みずみずしい新葉が顔を出し、やわらかな緑と残り花が織りなすこの一瞬の景色――それは満開の豪華さとはまた異なる、どこか儚く、それでいて確かな“次の季節”を感じさせてくれますよね。 花が主役の時代から、葉が主役の時代へ。その引き継ぎは、誰に知られるでもなく、ただ静かに行われているのです。 散りゆく花と、芽吹く葉。そのわずかな重なりの中に、今年の春の余韻が、そっと閉じ込められているのでしょうね。 おはようございます。今朝は開門3分前にやって来たので、正面での記念撮影。 守護さん、五味さん、梶原さん、野崎さんと高橋さん。 子育地蔵さま、わが家の子どもたちと猫の安全をお守りください。 奥山の奥に移動された「日本のナイチンゲール」と称される瓜生岩子像。 春の境内をご覧下さい。 今朝の浅草寺には、遠くアメリカの首都ワシントンから、十名ほどの団体が早朝の参拝に訪れましたよ。 みなさん、ワシントンで満開の桜を堪能したあと、日本の桜を見にやって来られたとのこと。桜を追いかけて海を渡るとは、なんとも風流な旅でございますね。もっとも、あほまろなどは電車を乗り継ぐだけで満足してしまうのですから、スケールの違いに少々たじろいでしまいますよ。 ひとりの少女が、ぽつりとこう語ってくれました。 「ワシントンの桜はピンク。でも、日本の桜は真っ白で新鮮に見える」と。 なるほど、同じ“桜”という名のもとにありながら、その印象は国によってこうも違って映るものなのですね。あほまろたちにとっては見慣れたこの淡い白も、異国の目にはまるで別の花のように映るのでしょう。 日本の桜は、散っても綺麗――。石段の片隅に、そっと降り積もる花びらを見ながら、少女が呟いてました。 咲くことに歓声があり、散ることに静寂がある。そのどちらもが揃ってこそ、日本の桜なのかもしれませんね。 今朝の浅草は、散りゆく花びらに包まれて、ひときわ静かな春を見せてくれておりました。 イロハモミジもまた、静かに季節の歩みを進めておりますよ。 ご覧の通り、やわらかな若葉が枝いっぱいに広がりはじめ、その一枚一枚が、まるで光を透かしているかのように繊細でございます。まだ頼りなげにも見えるその姿ですが、どこか初々しく、春の息吹そのものを感じさせてくれるのでございます。 同じモミジでも、こちらはほんのりと赤みを帯びた若葉もあり、緑との対比がなんとも美しい。まるで「これから色づいていきますよ」と、先の季節を予告しているかのようでございました。 秋には燃えるように色づき、人々の目を奪うモミジも、春にはこうして、誰にも気づかれぬまま、静かに命を広げているのです。 あほまろが定点観察している桜の木も、花びらの舞いがひと段落すると、いつしか若葉がその場の主役になってまいりました。 朝の散歩で見上げるその枝には、新緑が光を透かしながら伸び広がり、風に揺れるたびに柔らかな緑の波を描いておりました。ひらひらと舞っていた花の面影は薄れつつも、その代わりに生命力に満ちた若葉が、次の季節の息吹を教えてくれるのです。 定点観察といえば、同じ場所に通い続けることでこそ見えてくるものがある、ということをあほまろは知っております。 これから葉はさらに色濃くなり、やがて夏の日差しを受け止める緑陰となることでしょう。その一つひとつの変化を見逃さないように、あほまろはこれからも静かにこの木を見守り続けていくつもりでございます。 昨年から落ちずに、いまだに枝にしがみついているソメイヨシノの四枚の葉も、花に覆われてしまいましたが、まだしっかり残っておりますよ。 「散りそびれ 時の流れに 抗(あらが)いて 幹しがみつく 意地の四枚葉」(阿呆人也) 境内の木々はすべて伐採され、いまは一帯を平らに整える整地工事が進められております。かつては木々に包まれたつつじのあの場所も、いまやその面影はすっかり消え失せ、広々とした空だけが静かに広がっているのでございます。 帰り道で、菖蒲の花が帰り道に咲いているのを見つけました。季節の移り変わりの早さに驚かされますね。写真の菖蒲は黄色と紫のコントラストが印象的で、細かな模様が春から初夏へと向かう空気を感じさせてくれます。こうして毎日散歩の中でさりげない変化を見つけることが、季節の息づかいを感じる楽しみなのかもしれませんね。 雨が降りそうなので、あほまろは秘密基地でダラダラ過ごしますよ。 ------------------------------------------------------- おはようヒロちゃん。 今朝の朝の朝食は、ハムと野菜とタマゴ焼きにゆで卵。デザートはデコポンとイチゴ。 妻のコレクションは、八千代さんと利子さん。 昨日の東京スカイツリー。 しゅと犬くん。 あほまろお帰りなさい。 夕べの夜の夕食の晩ご飯は、春雨トムヤンクンなどのタイ料理とトウモロコシコロッケ。デザートは無し。 妻のコレクションは、さくらさんとウメちゃん。 Memo iPhone 16 ProMAX