今日は一の酉です。毎年、お酉さまの日は寒くなるんだけど、今年は暖かくて爽やかないちにちになるようです。あほまろは、夕方から三十坪のみんなとお参りに行きますよ。

ところで、お酉さまを詣でるとどんな御利益があるのかは知れませんが、時期限定のご利益はとりあえず受けておかなくちゃ。

日本には数多くの神仏が有って能書きによると、それぞれ授かる御利益は違っているようにも思われるけど、「家内安全」「商売繁盛」「無病息災」「心願成就」と決まっているんだよね。

それと、この時期の受験生に欠かせないのが「入試合格」かな。神仏に詣でると合格出来るのなら、塾とか予備校でも、受験生のために八百万の神を設置してあげたら、一挙両得、一石二鳥ってことには・・・、ならないか。

あほまろも神仏を詣でて何の意味があるのと思いつつも、毎朝、浅草神社と浅草寺を詣でているよ。科学的にご利益を考えなが参拝する人は皆無だと思うんだけど、誰もが、「もしも」、って気持だね。たとえば、あほまろは、もしも、もしも禁酒ができたらとか、そんな希望を胸に、参拝の日々を14年間も続けているんだけど、いっこうに叶わないでいるのさ。

もしかして、神仏詣でも収集癖といえるのかも。といっても別に、御朱印を集めている訳じゃ無いけど、コレクターの心理とは、「レア物を欲しがる」という以外に、「コンプリートする」って目的意識もあるんだよ。それで、過去14年間も写真を撮り続けてしまったのだから、人生のコンプリートを目指して継続させなくちゃいけない。ここまで集めたら、もう集めきるしかない、そんな潜在意識が、コレクター精神の源になっているように思うんだね。

「コレクターという人種は精神的に満たされない部分があり、物を収集する行為によってその隙間を埋めようとしている」と言った人がいましたが、物だけを収集するのがコレクターでは無いってことなんだよ。それで、お酉さまだって、この20年間、欠かさず参拝しているって訳なのさ。だからと言って、御利益なんて欲しがりません勝つまでは。

「コレクターは、見せびらかしたい願望を持っている」と言う人も多いけど、それって、まるであほまろに向かって言われてるようですね。その証拠が「三十坪の秘密基地」だね。あほまろのコレクションを見せびらかす訳じゃ無いけど、集まってしまったモノを展示という手段によって、整理することが出来るってのが本音かな。

あほまろはコレクターと言っても、何でもかんでも集めている訳じゃ無いですよ。好きなジャンルに拘って集めていると、それに付随するモノも一緒に着いて来てしまう。そんなモノにも興味を持ってしまうと、まるで鼠算のように増殖してしまった結果、他人から見ると「何でもかんでも」に見えてしまうんだね。でも、集めている本人から見ると、総てが関連しているんだから。

あほまろのコレクションの始まりは、小学生なら誰もが一度は興味を示す切手だったよ。切手に夢中になると、切手が貼られた郵便物にも興味が湧いて来るでしょ。偶然、明治時代の絵葉書なんかを入手してしまうと、そこに描かれている絵とか写真にも興味を持ってしまうし、当時に使っていたお金も気になって、現物を見たくて古銭商に足を運ぶようになるでしょ。そんな時、知り合いが珍しい古銭等を見せてくれるといったら、写真に残したくなったらカメラの知識も必要になって写真屋に通うようになると、そこで可愛い店員と知り合ったら、いかに相手に自分を売りこむか、なんてことも真剣に考えてしまう人も多いよね。

もし、その店員がティーカップを集めていたら、マイセンとかのレア物探しに骨董屋を巡るお手伝いなんかするかも知れないでしょ。そんな時に古いそば猪口なんか目に入ったら、磁器の知識も欲しくなるでしょ。知識を付けるため、暇を見付けて美術館巡りに精を出し、一段落すると、焼き物の産地巡りもしたくなるのは常識だね。そして、時刻表方手に、日本中の焼き物の産地をを回っているうちに、知らず知らず鉄道の知識も身について、国鉄全線制覇なんてことにも挑戦したくなるでしょ。実は、それ、昭和43〜45年間でやっちゃったけど。鉄道に興味を持つと、乗るだけじゃ無く、撮るだけでも無く、模型でも遊びたくなるよね。それで、鉄道写真や関連グッズ、模型なども自然と集まってしまったってワケ。
取り留めの無いこと書き連ねてしまって、いったい何が言いたいかと言えば、あほまろのコレクションは、何でもかんでも集めている訳じゃ無いし、総て関連していたってことが理解できたと思うんだけど、解るかな・・・。

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夕べもふたりはあほまろのお腹の上で抱っこしたまま寝ていたんだよ。さあ、そろそろ起きましょうね。

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