今朝は冷たい強風の朝になりました。いったいいつになったら、春の暖かさを感じることができるのでしょうね。

昨年は東日本大震災の影響で「示現会」も「三社祭」も開催出来なくて残念でしたが、今年は明るく派手にやりましょう!と意気込みも感じられた「舟渡御」、昨日、無事に終了いたしました。

「舟渡御」は、三社祭700年を記念して、昭和33年に再現されて以来、54年ぶりに行われたのです。
午後から、雨が降ったり止んだりのお天気で辛かったけど、なんとか抑えることが出来ましたよ。

これで、1400年続く浅草の歴史にまた新たな一行が刻まれることになるのでしょうね。次に「舟渡御」が開催されるのは、いったい何時になるのでしょうね。もし54年後なら生きてないよ。

人影が消えた朝焼けの雷門前。昨日はこの周辺に約60万人の人が出ていたのですよ。まさに、兵どもが夢の跡って感じですね・・・。

「夏草や 兵(つはもの)どもが夢のあと」
三代の栄華を誇った藤原が蝦夷の攻撃を受けた古戦場に立っ芭蕉、戦で一時の夢と消えた人々と栄華を誇った藤原氏の滅亡を詠んだ芭蕉の句ですね。と、浅草とは関係無いことを考えてしまったよ。

今朝の参道のあちこちに祭りの跡も残っているのですから、ついついそんなことも思ってしまったのでしょう。祭りの跡とは、お神輿を担ぐ人たちが履く草鞋のことですよ。こんなところに落ちているってことは、担ぎながら脱げてしまったのでしょう。ということは、ここから裸足か抜けたのか。

夢の跡は他にもいっぱいありましたね。あほまろが見付けて写真を撮った草鞋の数は22個でした。と、そんなの撮ってもしょうが無いけど、撮ってしまったし・・・。

特に多かったのが、浅草神社の境内でしたね。

こんなところにも、

あんなところにも。

おまけに、どこも泥だらけ。せっかくのパワースポットもこれじゃ御利益無いね。

そんなことはどうでも良いんだけど、あほまろには、夢の跡の整理が残っているのです。なにしろ、昨日は午前9時から行われた法要、堂下げ、町内の山車移御、乗船、舟渡御から、仲見世渡御等々、あぁ、この作業に暫く時間を取られそう。

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まだ写真の現像整理を終えていませんが、とりあえず昨日の「示現会」「舟渡御」の一部をご覧ください。
午後9時から、三基のお神輿を安置する浅草寺本堂内で行われた法要。

浅草寺住職が見守る中で浅草神社神主さんの祝詞。

続いて、浅草寺一山住職総出による読経。

浅草神社神楽による笙の笛の演奏で儀式を終え、

最初に一之宮から堂下げが行われました。

続いて二之宮。

最後は三之宮。

あほまろが住む南部地区、今年の三社祭で三之宮を渡御します。

今回、始めて登場の四神旗も並びます。四神とは四方の神、なわち東の青龍(せいりゅう)、西の白虎(びゃっこ)、南の朱雀(すざく)、北の玄武(げんぶ)のことです。

しかし、浅草三社祭では三基の神輿が三地区(東・西・南)を巡るので、北はありません。そのため、玄武は三基の神輿の最後を飾って渡御されたのです。

三社祭大権現と記された幟と天狗面を被った猿田彦が隊列の先頭を勉めます。

浅草芸者さんたちも色を添え、山車に乗せられた三基の神輿が、氏子四十四ヶ町を練り歩いたのです。

午後12時半、隊列は東参道桟橋に到着。橋の上と川沿いには、「舟渡御」見物の人で溢れていました。主催者発表は60万人。

小雨の東参道桟橋で台船に乗せられたお神輿。

午後2時の定刻に「舟渡御」が開始されました。

桜橋を折り返して来た「舟渡御」。

東京スカイツリーと一緒に撮ろう狙っていたのでしたが、ちょうど良い位置で撮影船に邪魔されてしまいました。

舟渡御と随行船は、約20隻が長さ約360メートルの船団を組んで進みます。

七福神舞のみなさん。

白鷺の舞いのみなさんも手を振ってますね。

金龍の舞の一行、船の上で金龍を舞っていました。

「舟渡御」は、午後3時半に駒形堂に上陸し、駒形堂での法要を終えたお神輿は、雷門前に整列。その後、仲見世〜浅草寺〜浅草神社まで、担いでの渡御が行われました。
詳細は、写真の整理を終えてから公開したいと思います。

Memo
Canon EOS1DsMk3 / EOS5DMk2
Canon EF14mm F2.8L USM
Canon EF16-35mm F2.8L II USM
Canon EF24-70mm F2.8L USM
Canon EF70-200mm F2.8L IS II USM
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