天気予報では、雨になると言ってましたが、散歩の時間は暖かくて春らしい陽気でしたよ。たぶんこれから雨になるのでしょうね。

3月に入って日の出時間もどんどん早くなり、写真も撮りやすくなってきました。と、いつものところでのんびり撮影をしていると、カメラ上部の液晶表示がチカチカしているのに気付いたのです。

あれ、バッテリー切れなのかな。そんなことを予想して、予備のバッテリーとメモリーカードは、常に散歩バックの中に常備しているのです。なんたって、あほまろは用心深い性格なもので・・・、

さっそく予備のバッテリーを取り替え、撮影を続けたのですが・・・、予備のバッテリーも残量は「バリイチ」じゃ無いかよ!!!

ちょっと注釈。あほまろのカメラ、満タン時が「バリヨン」で、最低容量が「バリイチ」と、勝手に思ってるだけなんだけど、要するに、予備のバッテリーも残量が無いってこと。

そういえば、先週も撮影中に容量が「バリイチ」になって取り替えた時に、充電するのを忘れてそのままになっていたんだよ。こうなったら、いくら困った困ったと思っても、電子機器はどうすることも出来ないのが世の常。こんな時は頻繁にスイッチをオンオフするのは、かえって消耗が激しくなるってことを知りながらも、電源を切って電池を胸に抱いて暖めたり叩いたり、あぁ情けなさ。

あほまろは、常にモバイル電子機器の電池切れを心配しながら予備はもちろん、ソーラー充電器なんかを持ち歩いているというのに、過去にモバイル機器の電池切れなんてことは一度も無かったのです。思い出おこせば、いつも出張中に電池切れで困ったといえば、電池式のひげ剃りですよ。先日の姫路出張ではそんなことが無いようにと、ちゃんと予備の単三乾電池を持って行ったつもりが、ひげ剃りの電池が単四だったってこと忘れてたんだよ。まったくこのところ電池について無いんだよな・・・。

そんなこと愚痴っても緒がないけど、今朝の撮影は慎重だったことこの上無かったんだよ。余計なショットは極力避けようと思っても、こんな情景に出くわすとついつい切ってしまうし、帰ってビックリしたのは、雷門の寄り写真は撮ってなかったんだよな・・・。

それでも何とか、いつもの写真は間に合ったんだけど、ワンちゃんたちの写真はかなりの手抜きでしたよ。

最後の最後、このショットを撮った瞬間にオジャン。これ以降は全く動いてくれなくなってしまったんだよね。明日からこんなことにならないように気をつけなくちゃいけませんね。
それと、あほまろが散歩で使っているキヤノンEOS 5D Mark II の後継機が発表になったようですね。今朝、さっそくプロショップから電話があり、注文を出しておきました。
今のカメラは予備機共々、二度のシャッター交換をしてきましたが、それでもそろそろ限界に来ていたのです。なにしろ、半年で20万回以上シャッターを切っているのですから。発売は今月末とのこと、来月からEOS 5D Mark IIIを持って散歩に出かけているのでしょう。いくら新しくなっても、バッテリー切れには注意しなくちゃね。

------------------------------------
昨夜、今年1月16日に肺炎のため死去したコメディアンの橋達也さんのお別れ会がビューホテルで営まれ、300名を超えるみなさんがお別れにいらっしゃいました。

橋達也さんは、浅草から離れないという信念を持った本物の喜劇人でした。

浅草で、1998年に軽演劇劇団「お笑い浅草21世紀」を旗揚げし。頑張っている最中の訃報でした。

橋達也さんの遺品と写真を見ていると、あほまろの映画にも出演して頂いたの、つい先日のことのように思い出されてなりません。

お別れ会の発起人は、橋達也さんの後任で日本喜劇人協会会長の小松政夫さん。浅草からまたひとつ灯が消えたことを悲しむご挨拶でした。

そしてお別れの献杯。大村崑さんも悲しそうですね。

浅草観光連盟会長の冨士さん、浅草商店連合会会長の丸山さん、捕鯨船の河野さんと、あぁ、イヤになっちゃったの牧伸二さん。

ゲロゲーロの青空球児さんと河野さん。笑ってるばやいじゃ無いでしょ、場所をわきまえなさい。

主賓席には、ご遺族と並んだケーシー高峯さんのお顔も見えていますね。

1998年に旗揚した軽演劇劇団「お笑い浅草21世紀」歴代のポスターが飾られています。旗揚当時は由利徹さんや関敬六さんも一緒でしたね。きっと今頃は、天国に居る仲間と新しいお笑い集団を立ち上げていることでしょう。
あほまろにとっての橋達也さんは、とっても良いお兄さんでした。ご冥福をお祈り申しあげます。

Memo
SONY NEX-7
E3.5-5.6/18-55 OSS
|