気温は低めだけど、朝からとっても良いお天気になりましたね。とはいっても、今朝のあほまろ気分が優れないのですよ。夜中にお腹に激痛が走り、もの凄い下痢でしたよ。おまけに長時間トイレに座っていると、貧血気味で額から脂汗がダラダラ流れて来るのです。いったい何が悪かったのでしょうね・・・。

昨日は、撮影だったので雷門付近のお蕎麦屋さんで「鍋焼きそば」を食べたんだけど、時間が経っているのでそれは関係無いでしょうね。ということは、我が家の夕食がいけなかったのかな・・・。

確か夕食はサバの味醂漬けを焼いたのと、ジャガイモとトウモロコシのサラダ、それとおからだったかな。あほまろは禁酒中なんだけど、女房が仙台藩主伊達家の崇敬が篤かった塩釜神社の御神酒としても有名な地酒「浦霞」なんか買って来るもので、まさか、御神酒を捨てるワケにはいかないでしょ。それで、しかたがないから塩釜神社を参拝した気分になって数合飲んであげただけなんだよね。

御神酒が腐るワケ無いし、たぶんサバの味醂漬けがやばかったようです。まさか、もったいないと、何ヶ月も冷蔵庫で保管していた期限切れじゃないのかな・・・。

何か腹痛に効く薬は無いのかとあちこと探しながら、そういえば、三十坪の秘密基地には薬だらけ・・・とか思ったんだけど、たぶん全部の薬が消費期限切れだよね。なんたって、明治から昭和までの薬じゃね・・・。でも、正露丸なんかは何年経っても匂いが有るので、大丈夫だと聞いたことがあったっけ。でも、そんなの飲んだら更にお腹がひどくなりそう。

夜中にのたうち回って、ようやく見付けた、飲み過ぎ、胃のもたれで胃が弱った時の「太田胃散」を飲んで、なんとか事無きを得たのでしたが、こんな時のために我が家にも胃腸薬をいっぱい集めておかなくちゃね。でも、あほまろの悪い癖、集めた物は使え無い性格なんだよな・・・。

もう二度とこんな辛い思いはしたくない。それには、やっぱり酒を断つしかなさそうですね。よ〜し、あほまろ金輪際酒は飲まないぞと、観音様に誓ったのです。

今年のノーベル医学生理学賞、残念ながら山中教授の受賞はありませんでしたね。受賞したのは、アメリカ人のブルース・ボイトラー博士、ジュール・ホフマン博士、ラルフ・スタインマン教授の三名と決まったようですが、発表後に判ったのが、ラルフ・スタインマン教授は発表の3日前にお亡くなりになっていたようですね。
ロイターニュースによると、ラルフ・スタインマン教授の娘さんは、スタインマン氏が1週間前に入院した際、ノーベル賞について話したところ、スタインマン氏は「それまでに持ちこたえないと。死んでしまったら、賞はもらえないから」と、冗談めかして語っていたそうです。きっと、受賞通知を心待ちにしていたのでしょうね。ご冥福をお祈り申し上げます。

スタインマン教授は、膵臓がんで、自らの受賞理由となった樹状細胞を使った免疫療法を受けていたようですが、これでも治らなかったってことは、発明された免疫機能上の樹状細胞の役割って、本当に効果が有るものなのでしょうかね・・・。
そんな非現実なお薬より、いくら飲んでも二日酔いにならないお薬を創ることが出来る化学者が現れたら、ぜったいにノーベル賞ものなのに、どなたか挑戦してみませんか。もし、完成したら、あほまろが臨床実験台となってあげても良いんだけど・・・。といっても、あほまろは禁酒を決意したので臨床実験は無理か。

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晴天に恵まれた昨日、気分転換に街を歩いてみました。ナナちゃんはお留守番していてくださいね。

毎朝散歩するコースですが、ライカに超広角レンズを付けるとひと味違った雰囲気になるでしょう。

東日本大震災後は旅行客も減ってしまいましたが、最近、ようやく平日も賑わうようになってきましたね。

とはいっても、昨年の今頃の写真と比べると、かなり少ないようですね。

伝法院通り東側。

仲見世伝法院前です。

宝蔵門前も朝とは異なった雰囲気ですね。

宝蔵門の大提灯。

朝は誰も居ないんだけどな・・・、とか思いながらシャッターを切ったんだよ。

本堂前です。

いつもの場所で撮った「慈雲の泉」、レンズを変えると雰囲気も変わってしまうでしょ。

奥山から東京スカイツリーの眺め。

瓜生岩子像。

足を伸ばして観音裏から吉原へ。

吉原にど真ん中に40年以上も続く町工場が有るのですよ。

ここの親方、あほまろの友人なんだけど、逢うのはかなり久しぶりだよね。

京町にそびえる奇妙な模様、いったい何を意味しているのか、どんなお仕事なのか気になった。

吉原神社近くのビルのシャッター絵。良く見ると地図のようで落書きのようで、こちらも意味不明。ただ、左上に東京スカイツリーのようなものが小さく描かれてましたよ。
吉原中之町からも京スカイツリーが望めます。

台東病院前から望む東京スカイツリー。

吉原弁財天は、修復工事中でした。

Memo
LEICA M9-P Hammertone Limited Edition
TRI-ELMAR-M f4/16-18-21mm ASPH
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今日は、あほまろのデジタルライカたちをご紹介しましょう。
ライカ始めてのデジタルカメラ、M8クローム、エルマリートM 28mm F2.8 ASPH付。外観デザインは、M型ライカの形を見事なまでに踏襲し、正面から見たスタイルは、従来のM型ライカそのもののライカに一目惚れの衝動買いでした。といっても、発売前に注文してたのに三ヶ月も待たされましたけど・・・。
2007年3月、TRI-ELMAR-M f4/16-18-21mm ASPHと同時購入。

M8のマイナーチェンジモデルとして登場したM8.2 エルマリートM 28mm F2.8 ASPH付。至極控えめでクラシック、かつ希少なツールを望む写真家をターゲットとした世界500台限定の特別限定品です。
あほまろは、これも衝動買い。しかし、塗装が剥げら大変なので、ほとんどというか全く使わず仕舞ったまま。
2009年2月購入。

「M8.2サファリ」は、トップカバー、ベースプレート、背面、ヴァルカナイトにオリーブグリーンペイントを採用し、操作部はすべてシルバークローム仕上げとした。外観以外の仕様や付属品はM8.2と同じ。オリーブグリーンペイントは、1960年代に軍用などとして使用されたM型カメラや、一眼レフカメラ「R3サファリ」で採用されたものと同様です。ビリンガム製のカメラバッグが付属品です。昨日は、このバッグにレンズや小物を入れて持って行きました。

満を持してライカフルサイズM9の登場です。それにもかかわらず、M8.2外装サイズは同じで重量もわずか40g増し。あほまろは、このカメラの使用頻度が高いのです。
M8がAPS-Hサイズなのに対し、M9はフルサイズの撮像素子。ちなみに我々が普通に呼んでいる「フルサイズ」とは35mm判フィルムカメラの36×24mm画面サイズのことで、ライカサイズと称します。これでほんとうの意味のライカになったワケですね。
2009年12月購入。

世界初のライカカメラ直営店としてオープンしたライカ銀座店5周年記念して「ライカM9 ハンマートーンセット」が発売されました。ハンマートーンセットとは、ボディーにハンマーでたたき出したような模様が美しい「ハンマートーン塗装」が施され、トップカバーにライカのクラシックロゴが刻印されている特別な仕様です。ハンマートーン塗装は金属製レンズフードにも施されているのです。あほまろは、MPハンマートーンも所蔵しているのですが、中古で購入したため、ハンマートーンのレンズフードだけが無かったので、レンズフードが欲しくて、セットで買ってしまったってワケなんだよね。
昨日の散歩、このカメラを始めて使ったテスト撮影も兼ねていたのです。
2011年8月購入。

ライカMシリーズとは異なりますが、ライカが始めて作った単焦点コンパクトデジカメ「 X1・ライカエルマリートf2.8/24mm」です。APS-Cサイズ12.2メガCMOS搭載で、重さは286gときわめて軽量、バルナックライカ風デザインで、手にした感じは往年のライカの雰囲気も楽しめるのです。
今までも、ライカ製のコンパクトデジカメは数種類発売されていましたが、総て、松下電器からのOEMで、 X1がライカが松下電器の力を借りずに独自で真面目に作ったデジカメとなるのです。
あほまろがこのX1購入後に、新宿伊勢丹用に80台だけ限定製作された「オーストリッチ・エディション」のプレミアムも欲しかったんだけど、それを知った時には既に完売だったのに悔いが残っているんだけどね。
ここで紹介するのは、デジタル・ライカだけですが、フイルム・ライカが数十台でレンズに至っては数えたこと無いほど・・・。何はともあれ、30数年前に侵されたライカ熱はあほまろにとって、恐ろしい風土病のようなものなのです。一度発症しようものなら猛威を振るい続ける始末に負えない病気なので、みなさんもご注意ください。
2010年2月購入。

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