今日はお盆、蒸し暑い朝になりました。

みんな天国に行ってしまったけど、このあほまろにだって、かつてお父さんとお母さんが居たんだよ。お墓と位牌は北海道に置いているので、浅草にはお精霊さまが還ってこないんだけど、仏様のてっぺんは大日如来さま、浅草寺を詣でても世界中に繋がっていると信じてお参りを続けているのです。

ただ、浅草の自宅でお精霊さまになった犬たちの霊、今日は戻っているでしょうね。我が家には、まだハニーちゃん、モモちゃん、ポーちゃんの三匹の遺骨を保管しているので、今日くらいは簡易でも仏壇らしき物でも作って、お供え物をしてあげなくちゃいけませんよね。

若い頃から特に信仰する宗教も無く、信仰心の欠片も無かったあほまろですが、毎朝、浅草寺を詣でているので、たぶん仏教に信仰心を持ってしまったようですね。

信仰心を、仏教では信心というようです。一旦信じてしまえば、どんなものでもありがたく思えるということを、「鰯の頭も信心から」と表現されていますよね。鰯の頭のようなつまらないものでも信心する人には尊く思われるってことで、そこに神が存在するかしないか、宗教が良いのか悪いのかという以前に、その崇拝の対象がなんであるのかが重要のようですね。

古来から神の概念がないところから祖霊を礼拝していたように、未開地の人達も、何かの霊的な物を崇拝しているのですが、どれも自分が生きるために必要な物であり、食物であり、子孫繁栄であり、娯楽であり・・・。

様々な宗教や信仰を見て思うもは、たとえあほまろのような無神論者であろうと、人間の欲望がすべてが「神」として扱われているのかも知れません。

あほまろはいったい何に信心をしているの。と、問われても即座に答えはありません。もし、愛の向けられる対象がその人の神と言われたら、絶対にお金ですよ。

「世の中金が全て」。キレイごとでも何でも無く、本当に「世の中お金ではない」と思っている人も多いでしょう。でも、「金」は人間の求める「豊かさ」の象徴になってしまったのです。
お盆のことを考えていながら、結果「金」に結びついてしまう。あほまろってやっぱり、信心とは無縁の人間なのかも・・・。

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お盆の迎え火の昨夜、戦争の犠牲者を悼み平和を祈願する「隅田川とうろう流し」が、吾妻橋親水テラスにて開催されました。

今年は東日本大震災犠牲者の慰霊と復興を願い、浅草寺一山式衆による法要も行われました。

午後6時45分、浅草観光連盟会長の灯籠流し初めです。

今年は2000個の灯籠が用意され、みなさんが思い思いのメッセージを書き込み流されたのです。

東京スカイツリーを背景に、ゆらゆらとゆっくり流れる最初の灯籠。

流される燈籠をには、「東北復興」、「日本がんばれ」などの文字が多かったようです。

あほまろは、流し始めから1時間ほど写真を撮ってきました。まだ写真の整理を終えていませんが、その一部をご覧ください。














東日本大震災犠牲者の慰霊と復興を願います。

Memo
Canon EOS5D Mk2
Canon EF16-35mm F2.8L II USM
Canon EF35-70mm F2.8L USM
Canon EF70-200mm F2.8L IS II USM
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