あの大震災から100日が過ぎてようやく余震も納まったかのように思われたのですが、この数日、福島で地震が相次いで発生しているようです。

今朝、この日記を書いている最中もあほまろの秘密基地で軽い揺れ。ここの地震検知器は、部屋中に張り巡らされた琺瑯看板の揺れる音なのです。
震度1はシャラシャラ、震度2はカシャカシャ、震度3以上になると部屋中の看板がジャラジャラと大音響を奏でてくれるのですからね。

さて、あほまろのぎっくり腰、今朝はだいぶ良くなったようでしたが、まだ、階段だけには気をつけてますよ。なんてってヨウ痛なので、ヨウ注意。

昨日は、友人のお父さんの一周忌に参列してきました。といってもお寺じゃ無く、始めて経験したカトリック教会での儀式だったもので、いったい何が行われているのか判らないうちに終了していました。

カトリックの教えでは、人は死んでも死なない?イエスキリストを信じると、人は死んでも生きるんだって。それよりも、イエスキリストを信じて生きる人は永遠に死ぬ事は無いと言い切ってたんだけど、友人のお父さんは死んでしまったんですけど・・・。

それよりもはたと困ったのは、法事なので香典はいったいどうしたら良いの。そんな時は、ネット検索で調べられる便利な世の中。キリスト教の場合の香典の書き方とか出て来ましたよ。
カトリックでは、一ヶ月目に「追悼ミサ」一年目に「記念ミサ」など仏教と同じ法事が行われ、香典袋の表は「 御ミサ料」と書くんだって、但し、蓮(はす)の花の絵がついているものは、仏教専用ですので使わないようにご注意くださいとか。

何が起こるのかじ〜っと目を瞑って聞いていると、神父さんの言葉の至る所に、聖なる・・・、天の・・・、主は・・・、そんなフレーズが繰り返されているようです。最後に、パンと葡萄酒を供えて、親族が神父さんからカッパえびせんのようなのを貰って食べていますよ。あほまろも食べてみたかったんだけど、あれはイエスキリスト様の洗礼を受けた人だけの特権のようでした。残念。

そして、法事と言えばサスガのイエスキリストさまといえども、宴席は欠かせないようですね。参列者全員と神父様も一緒に我が家の近所の料亭に移動、酒好きだった故人を偲んで楽しく盛り上がったのでした。とはいっても、酒を断っている上にぎっくり腰が治らないあほまろは、よく冷えた麦酒で我慢我慢でした。

浅草神社は夏越の大祓(なごしのおおはらい)の茅の輪が設置されていますよ。これを見ると、昨年は猫たちが遊んでいたことを思い出してしまいますね。

ナナちゃんとの散歩記念植樹、ようやく蘇ったようです。

先週頃から枝の先に新芽が出て来たと思っていたら、

どんどん大きくなってきましたよ。良かった良かった。

後は、あほまろのぎっくり腰が完治することを祈るのみですね。

神様、仏様、イエスキリスト様、アラーの神様等々、八百万の神様、無信仰のあほまろのぎっくり腰を治したまえ、助けたまえ、アーメン、ソーメン、タンタンメン。

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