芸術祭の審査員たすけの奮闘記、新連載です。
◆◆ 大阪とんぼ返り篇・1 ◆◆ 二〇〇二年の春、文化庁から、いきなり職場に電話がかかってきた。もちろん、それ までお付き合いがあったわけではないから、文化庁からの電話はすべて「いきなり」なの であった。面識のない文化庁のスタッフは、淡々とした口調でいきなり「芸術祭の審査員 をやってもらえませんか」と言った。 「どういうことをやるのでしょう?」 「演芸部門の参加公演を選んでいただき、芸術祭期間中の十月から十一月の間に、その 参加公演を見ていただきます」 「ふーん。僕に声がかかったというのは、新聞社の枠ということですか?」 「いえ、そういうわけではありません。他の審査員の方々では現役の記者さんはいない と思います」 「はあ、そうですか。で、大阪にも行くんですか?」 「はい、例年十日間ぐらいは、大阪公演です。あ、もちろん出張経費は出ますよ」 「・・・・・・わかりました。それじゃ、やらせていただきます」 時間にして、五分にも満たないやりとりだった。 会社には、届けさえ出していれば問題はない。「大阪出張アリ」というのがちょっと気 になるが、早めに本業との調整をしておけば、そうつらくはないはずだ・・・・・。数か月後、 これがどんなに甘い見通しだったのか、僕は思い知ることになるのである。 当時、僕の勤めるY新聞では「日曜版の改革」が話し合われており、担当デスクの一人 として会議などに顔を出していた。その改革の規模が知らず知らずのうちに大きくなって いき、気が付くと、編集、広告、販売の各局を巻き込んだ全社的なプロジェクトになって いた。秋になると、頼みの上役たちが次々といなくなり、結局僕が「日曜版のフルカラー 全面刷新」の現場監督のような役回りになってしまった。 連日の会議でようやく新・日曜版の全貌が浮かび上がり、そろそろ具体的な取材スケジ ュールを決めねばならぬという十月の始め、文化庁芸術祭の幕が、華やかに切って落とさ れたのであった。今回、演芸部門に参加するのは、東西あわせて三十二公演。これを一か 月半の期間中に、出来る限り見なければならない。山積する仕事と、見なければならぬ公 演の資料を両手に、スリルとサスペンスにあふれた「芸術の秋」が始まったーー。 十月一日(火) 明日からの大阪行き(芸術祭公演は、大阪からスタートする)を前に、目先の仕事だけ でも片づけねばならない。午前十時(僕にとってはかなりの早朝である午前十時、代々木 の喫茶店で、新・日曜版の外部執筆者と打ち合わせ。午後は、夕刊「旅」の原稿、IT面 「DVDレビュー」の原稿をひたすら書く。夜は桂米朝の「私の履歴書」を斜め読み。今 週末に、米朝師に会う仕事があるので、困ったときの一夜漬けである。ああ。 十月二日(水) 昼前から、日曜版改革会議。ずらり並んだ顔ぶれは、全部僕よりエライ人ばっかしじゃ ないかぁ。胆力のない僕はかなり緊張するが、ここで遠慮なんかすると、あとで自分の仕 事が増えて困るのがアキラカなので、ビビりながらも言いたいことは言う。 もう一つ小さな打ち合わせをこなし、一時二十分東京発「のぞみ」に駆け込む。四時前 に新大阪に着き、最近常宿になってきたワシントンホテルプラザへ直行。別段なんという こともないビジネスホテルなのだが、道頓堀と千日前と日本橋(松竹と文楽劇場と吉本と もいう)に歩いていけて、周囲はけっこう静かであると利点がある。ととと、そんな説明 をしている場合ではなかった。とっととチェックインを済まし、すぐに外に出て、千日前 まで歩く。記念すべき我が芸術祭鑑賞第一日目は、なんばグランド花月、ではなくて、そ の目の前にあるワッハ上方演芸ホールなのであった。さあ、一発目、行ってみようかー。 しかし新幹線の移動は疲れるなあ。 <第二回 笑工房秀作落語会> 漫才 ミヤ蝶美・蝶子 政やんのリストラ 桂三風 子の心 親知らず 桂福車 ストップ・ザ・医療破壊 笑福亭松枝 仲入 虫歯地獄 林家染語楼 不思議の星のアリス 笑福亭鶴笑 おお、これは新作の会ではないか。 会場中程の審査員席に座ったが、大阪方の審査員の姿が見えない。間が持たたいので、 パンフを熟読してしまった。ふむふむ。労働、農業、教育、医療、中小企業問題など、社 会的なテーマを笑いでくるんだ創作落語をつくり、全国各地の自治体、学校、労働組合、 農協等の要請で七百回を超える公演を行い、(中略)人に優しく・人を励ます笑いで芸術 祭に・・・・・。 きゃー、なんと志の高い会ではあーりませんか。新聞記者としては、こういう地道な試 みにもっと光をあてなくては、と思う。だが、「志」と「芸」とはちょっと次元が違うモ ノである。どんなに立派なテーマを持った噺でも、落語として未消化、未完成であれば、 それは単に「面白くない」とだけのこと。逆に、どんなにくっだらない、ダジャレの連発 だけみたいな噺でも、ぶっとぶぐらいの笑いをとることがある。「面白くて、ためになら ない」というのは、落語的に言えば、「あり」なのだ。 ゲストの漫才、蝶美・蝶子が生き生きとしている。十数年前に「ホープ」と言われたが、 二人とも結婚して現役引退。そして数年前に、高座復帰を果たした。その理由は・・・・・・。 「私ら二人ともバツイチなんです〜」 「漫才やらないと、食べていけません〜」 「この人の亭主なんか、今行方不明なんですよ〜」 「これ、ホンマです。あんた〜!どこにいるの〜!出てきて子供の養育費払ってや〜!」 ものすごくリアルな窮状を訴えているにもかかわらず、二人の顔が生き生きとみえるの はなぜだろう。やっぱり芸が好きなんだよねー。 桂三風の骨太な芸には将来性のようなモノを感じる。 「昔、『三枝と枝雀』いう番組がありましてな、そこの打ち上げで自作披露したら、三 枝師匠が色紙に『夢から始まる』て書いてくれたんです。これ、ワシをスカウトしてるん かなと思うて、勢いで入門してしもた。後でわかったんですが、ウチの師匠、色紙を頼ま れると、誰にでも『夢から始まる』て書いてるんですわ〜」 本題は、労組に長いことかかわってきた笑工房の代表が書き下ろした作品。 「話がどうにもカタイんで・・・・・・。ほとんど原型とどめてまへん」と、三風自身が言い 訳しているが、それでもまだ話がカタイ。 「それって、お前、リストラか?」 「うう、ウサギ年」 「ネ、ウシ、リストラ・・・・・・、ちゃうちゃう」 随所にベタベタなギャグを入れて、労働者の権利やら何やら、積極くささを必死で和ら げようとしているのがありあり。苦労しているワリには効果がでないんだよなあ。語り口 はいいんだから。この人の、フツーのネタを聴いてみたい。 眼鏡が大きく見える、ちんまりした桂福車。教師同士の飲み屋の会話から、今の学校の 諸問題を浮かび上がらそうとしたホンが、理に走りすぎて笑いに結びつかない。ただ、福 車本人には不思議な個性があって、捨てがたい。やはりこの人も、フツーのネタで会いた かったぞ。 「今、落語家は大阪に百九十八人、東京に四百十人。それに比べて、東大の教授は千三 百人もいる。どちらが狭き門か!」 「シロナガスクジラは一万頭の生息が確認されている。噺家は六百十人。どちらを保護 すべきか!」 ちょいと引き気味の呼吸で、畳み込んでいくのが、この人の個性なのだろう。 笑福亭松枝の名は、笑福亭松鶴とその周辺を描いた「ためいき坂くちぶえ坂」の著者と して、強く印象に残っていた。はじめてみる高座は、意外や元気がない。小さく細い声と、 白髪の目立つ短髪が、本人を必要以上に老けてみせているのだろう。ナショナル・ジ・オ リエンタル病院(略して「ナオランド病院」)のめちゃくちゃな経営を風刺する、医療批 判がテーマなのだが、展開が単調で、聴いていて疲れた。もうちょっとヒネリがあれば、 地味だが知的という芸風の松枝が生きるのだが。 仲入を挟んで、後半一番手は、染語楼。 「大阪の喧嘩は、まず値段を大きく言うんですね。『なんぼのもんじゃい』」 「また、自分のことを、人ごとのように言います。駐車中の車にタクシーの運チャンが 『にいちゃん、どいたりーな』『まっとりーな』『はよしたりーな』・・・・・・。大阪人はイタ リア人か?」 よく聴く枕も、真っ黒い顔のいドングリ眼のこの人がいうと、妙にオカシイ。「虫歯の 治療」という、今夜の落語会では最も軽いテーマ」なのだが、この日一番ウケていたよう な気がするが・・・・・・。 トリは「シンガポールに住んでもぅ二年」(知らなかった!)という、鶴笑の「ヒザ人 形落語」。森の自然を守るアリスちゃんと闇の女王の戦いという設定は、一昔前のロール プレイングゲームのようだが、鶴笑は、テーマも何もお構いなしに、いつもの「一人立体 紙芝居」を全力で演じるばかり。鶴笑のテンションとパワーに圧倒されながら、「でも彼 は何を言いたいのか」と考え込んでしまった。鶴笑がトリのために、今夜の会の「テーマ 性」が吹っ飛んでしまったと思うのは僕だけだろうか。一人一人は面白いのだが、会とし てはウーム・・・・・・。のっけから評価の難しい会に当たってしまった。 十月三日は、会社の休みをとって、大阪に居残り。天気が悪いので、昼間は南海電車の 駅のそばの映画館で一休み。話題のメル・ギブゾン主演の「サイン」。ありとあらゆる思 わせぶりなテクニックを駆使して「もうすぐエイリアンが攻めて来るぞー」と引っ張りな がら、最後の最後に姿を見せたセコイ異星人はなんなんだ!ラスト十五分がなければ、け っこう楽しめる映画である。 夜の芸術祭公演は、桂米朝門下の正統派、千朝の独演会。場所は、またワッハ上方であ る。 <桂千朝独演会> 時うどん あさ吉 まんじゅうこわい 千朝 うなぎや 喜丸 百年目 千朝 仲入 鹿政談 千朝 芸術祭二日目にして、イスの背中に「審査員席」と書かれた専用席に、大阪方の審査 員の姿が見えないわけが判明した。審査員の皆様は来ていた上手通路わきに一人、下手最 後尾にまた一人。どうやら大阪の先生方は、それぞれお気に入りの席があるらしい。それ なら僕も端っこに移動しようっと。ということで、本日の審査員席には、目印の白い布だ けがむなしく並んでいるだけなのであった。一般の入場者の皆様、審査員席が空っぽでも、 審査員は密かに業務を遂行しているんですからねー。さぼってるんじゃないぞー。と、一 応ことわっておいた方がいいな、これは。 さて、落語だ落語だ上方落語だ。 前座のあさ吉、なかなかの二枚目だが、惜しいかな表情に乏しい。陽気な噺をやってい るのに顔がニコリともしないのでは、客が付いて来まへんで(って、大阪弁はこれでいい のだろうか? 「時うどん」は、東京の「時そば」とは似て非なる噺なのね。 「(かまぼこを月にかざしながら)かまぼこ、薄く切ったなー。なんでこの技術をうど んに生かさんねん!」がオカシイ。 千朝を生でみるのは、おそらく初めてだ。めくりの「千朝」が、寄席文字の加減で「か んちょう」に読めてしまうのは僕だけだろうか? 声は高くて、細い。テクニックは十分なのに、今ひとつ笑いがはじけないのは、地味で やや重めな口調のせいかもしれない。ネタの「まんじゅうこわい」もまた、東京の同名の それとは大違いで、立派なトリネタだったりするから面白い。 ゲストの喜丸は、出てくるなりの言い訳モード。 「八月初めに、ヒザ、やってしまいましてな。今日は『あいびき』(義太夫語りなどが 尻に当てる小さなイスのようなもの)使うてます。あたしぐらい太っていると、ちょっと 長いこと座ると、ヒザが『堪忍してくれ〜!』と騒ぐんですわ」 ガラガラ声の早口はパワー十分。客をぐいぐい引っ張るクソ力は大きな武器だろう。だ がしかし、ちょっとせわしなさ過ぎである。もうちょっと落ち着いて、緩急をつければ、 噺にもっと深みが出るだろうに。 「(うなぎを見立てながら)この青みがかったのは?」 「これ、専門用語で青バイ、紺屋の浜でとれたん」 「この赤みがかったのは?」 「赤バイ赤バイ赤バイ。紅屋の浜でとれた」 「ほんなら、この白いのはケイサツの浜でとれた白バイか?」 「あんたのがオモロイな」 トントントーンと、弾むような「うなぎや」である。 千朝の二席目は上方落語を代表する大ネタであり、彼の師匠・米朝の十八番でもある「百 年目」。いきおい、聴く方も肩に力が入る。 似ている。口調も呼吸も内容も、米朝にそっくりである。米朝の品の良さまで似ている のに、米朝のあの貫録だけがないのだ。 この噺には、貫録を見せる必要がある登場人物が二人いる。大店の旦那と番頭。この演 じ分けが、ちょっと苦しい。特に前半、番頭が店のものにいう小言が持って回りすぎたた めに、番頭ではなく旦那が言っているように聞こえてしまう。きつい言い方になるが、僕 らフツーの客にとっては、米朝そっくりの落語より、米朝の落語の方がありがたいに決ま っている。米朝のコピーともいっていい語り口の千朝が、米朝の十八番をそっくりそのま ま演じて、それを芸術祭の「勝負ネタ」にすることが徳か損か、わからぬ人ではないと思 うのだが。 仲入を挟んだ「鹿政談」も、「百年目」と並び賞される米朝十八番だ。 着物を替え、膝かくしを片づけて気分一新の千朝だが、この噺も、「百年目」と同じな のだ。悪役・塚原出雲のくささまで米朝の生き写しなのに、奉行の貫録がない。 聴く客の頭の中に、米朝の本物に対する明確なイメージ、その噺のあるべき理想型があ るのに、米朝十八番を、そのままの演出でかける。これは、明らかに千朝の作戦ミスであ る。それでもやりたいというなら、米朝十八番を自分がどう受け止め、自分のものにした か、あるいは自分のものにするつもりかを、目の前の僕たちに明確な形で見せてほしいと、 あえて言っておきたい。その芸を受け継ぎ、自分のものにし、新しい何かを加えて、次代 につないでいくーー。これが芸の継承と言うことだと、僕は思うし、今回の芸術祭は、そ の視点で見せてもらい、評価させてもらおうとおもっているのだ。千朝さん、がんばって ね。 十月四日(金) 朝八時二十七分発の「のぞみ」で東京へ。十一時についてそのまま会社で一仕事片づけ る。忘れないうちに、明日の「のぞみ」のチケットは確保してあるので、その次のを予約。 その次の大阪行き(七日〜八日)のホテルと新幹線の予約をする。 午後二時、神保町の某出版社で、桂米朝を囲む座談会のようなものに立ち会う。落語界 唯一の人間国宝は、すこぶる元気。昔の芸人の高座を実に細かく覚えている。話ながら、 切れ目なくすっているスリムで短いタバコが気になった。 「師匠、その煙草、なんですか」 「あ、これ、知りまへんか?ミニスターいうてな、東京じゃみまへんなー。あっちじゃ、 岡山あたりでよく見ます」 「それ、どこで買うんですか?」 「タバコセンターでまとめ買い」 せっかくの機会なのに、しょーもない質問しか思いつかない自分が歯がゆい。 座談終了後、近所の割烹で国宝を囲む小宴。酒が入ると、国宝の舌はみるみる滑らかに なり、やおら立ち上がって「バンツマの立ち回りのマネをする三亀松のマネ」を始めた。 その場の一同、「しまった! ビデオ持ってくるんだった!」 明日は九時五十三分に東京発。土日、大阪で、四公演を見なければならないのか〜。始 まったばかりの芸術祭、道は遠く、先は見えない。 (つづく) |
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