寄席さんぽ2002年五月中席

 十一日、土曜日。昼前、循環器病院へ薬をもらいに行く。二年前に心筋梗塞をやって以来、二週間おきに通院して薬をもらい、二ヶ月に一度血液検査を続けている。薬は、主治医のS医師が「最低セット」と呼ぶ、血管の収縮を防ぐもの、コレステロールを抑えるもの、血液をさらさらに保つものの三種類。薬が効きすぎてコレステロール値が急降下、会社の健康診断で「低過ぎ」とチェックが入った。S医師は「う~ん。血糖値、コレステロール値等、重要な数値は、すべてながいさんに負けた」と頭を抱えている。そういわれてもあんまりうれしくはない。病院はあいかわらずの繁盛ぶりで、たった五分の診察なのに、二時間半待たされた。私の貴重な週末がぁ・・。

 

十二日、日曜日。夜、マンションの自治会の役員会。去年一年副会長をやったので、今年はお役御免かと思ったら、前任の会長、副会長は顧問として役員会にはでなければならないのだそーな。私の貴重な日曜日がぁ・・。と、これはさっき書いたか。ともあれ議決権のないオブザーバーなので、だいぶ気楽だ。町内のクーリン運動やらなにやら、議事がなかなか進まないので、「去年はどうたらこうたら」と偉そーにアドバイスする。

 

十三日、月曜日。会社関連のCS放送で放映する「寄席色物特集」の解説者を頼まれた。CS出演はこれで二本目。手間ヒマ金をかけずに作ろうとしているので、僕のような社員キャスターにお鉢が回ってくるのである。噂に聞くと、開局数ヶ月ですでに極度のコンテンツ不足。「何かネタはないか」と聞かれたスタッフが「たとえばですねえ」と思い付きを喋っていると、それがそのままワープロで打たれて予定表に記入されてしまうとか。まさかなー。収録日は月末だが、モノがテレビなので、いろいろ映像資料が必要だ。収録の前に、「林家正楽、江戸家小猫、ペペ桜井、ボンボンブラザース、東京ボーイズの高座風景を撮ってきてね。あと末広亭前の看板もいるなあ」と、担当のMディレクターに撮影の指示を出す。夕方からは別件で編集会議。あらら、打ち合わせだけで日が暮れてしまった。

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五月十三日(月)

 <池袋・夜席>

  仲入 権太楼:不動坊 さん喬:幾代餅

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 池袋の「さん喬・権太楼が仲入後の一時間半でバトルやる興行」(これではタイトルにならんが、特に名前が付いているわけではないのであしからず)に、三日目でやっと辿り着く。それでも仲入後がやっとだもんなー。勤め人はつらいぜ。

 世界一周の豪華客船「飛鳥」に乗って一ヶ月間三回落語をやるだけ、という夢のような仕事から久しぶりに寄席復帰した権太楼。さぞやいい思いをしたのだろうと思っていたら、意外や、ご本人は不満がたまりまくっていたようで、「落語が思うように出来なかった憤懣」と「豪華客船の居心地の悪さ」を並べ立てるマクラが怒りのパワーにあふれていて面白い。「オプションの無人島ツアーに参加したら、現地で『ようこそ無人島ツアーの皆様』という歓迎会があった」とか「イルカが船を追ってくるのはいいが、ずーっと追って来るとうんざりする」なんてね。ま、しっかりマクラで元をとってるんだからいいじゃないの。噺も快調だし。むしろ心配なのは、相方(?)のさん喬の方で、喉の調子が悪いらしく、恐る恐る声を出しているのがはっきりわかってしまう。寄席の中核として頑張ってもらわねばならぬ二人である、体だけは大事にしてください。おれも気をつけようっと。

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五月十四日(火)

 <池袋・夜席>

 扇治:寿限無の稽古(しん平代演) 仲入 さん喬:井戸の茶碗 権太楼:青菜

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 翌十四日も池袋通い。といっても、今日も仲入前到着がやっとなのだった。

 両巨頭のハードバトルの前の露払いで、連日しん平が奮闘していると聞いて楽しみにしていたのだが、今日は扇治が代演だ。この人、真面目一方、手堅い芸風、でもちょっとジミーという印象があったが、最近、端正な芸風の中に、チラチラとヘンテコなくすぐりをはさみこまれるなど、見た目とは違う素顔が覗くような気がして、ちょっと目が離せない存在になりつつあったりするのだが。この日もマクラから“怪調”である。

 「楽屋で、師匠たちにお出しする飲み物もいろいろあるんですよね。先代の馬生師匠はお酒好きで有名でしたが、楽屋では缶ビールを半分。半分ってのが面白いですよね。あと、変わってるのが小三治師匠で、不二家のネクターなんです。ピーチ専門なんですよ。『唾液の出がいい』ってんですが」

 楽屋話のマクラから、本題に入る。

 「おい、稽古してやるよ」

 「えっ、落語の?剣道じゃなくって?」

 落語家が主人公の新作かな?聴いたことないぞ。

 「いやあ、こないだ真打になってからヒマでヒマで。『芝浜』ですか?『らくだ』?『文七』?」

 「いきなりそんな大ネタはやらないよ。お前には前座のうちに『寿限無』教えてなかったから、今日は『寿限無』をつけましょう」

 「これが師匠のテープレコーダー?古そうだなあ。ガイガー・カウンターじゃないんですか?」

 「アタシが初給金で秋葉のマコト電気(げ、小袁治の実家じゃん)で買ったんだ」

 「僕のは再生専用MDプレーヤーです。馬券を買ってないときの競馬中継のようなものです。聴くだけで取れない。面白いでしょ?」

 てな感じで淡々と噺が進み、最後は意外なサゲが待っている。

 「師匠、このテープもらっていきますよ」

 「いろいろ邪魔が入ったから、少ししか『寿限無』入ってないよ」

 「これを新作にして、明日さっそく池袋でやります」

 あとで消息筋に聞いたら、これは扇治の自作落語で、二ツ目時代から時々高座にかけてたらしい。そのときは「二ツ目になって以来、ヒマでヒマで」とやってたのだが、自分の境遇に合わせて「真打になって以来」に変えたらしい。なるほどねー。

 休憩を挟んで、お待ちかねのバトルだ。

 得意ネタ「井戸茶」を出してきたさん喬。昨日よりはずっといいが、まだ本調子じゃないのだろう。探り探りの高座である。なんだか盛り上がらないなあ。

 権太楼の「青菜」も、なんだかたどたどしい感じ。一か月も寄席から遠ざかっていたので、調子が戻らないのだろうか。柳影をゴチになる主人の名前が「イナバの旦那」というお遊びもあったが、「菜のおひたし」が出て来なかったり。連日盛況の池袋。客席は盛り上がっているのだが、肝心のバトルがどうも…。

 終演後、疲れ気味の権太楼と二言三言。

 「あのねえ、アタシは毎日落語喋ってるんだよ。多い年は一年に二百回以上やってる。それが一か月に三席しかできなかったんだもんねー」

 「『井戸の茶碗』やったというのは高座で聴きましたが、後の二席は?」

 「『壷算』と『らくだ』だよ。客がああわかんないと何やってもおなじだもん。あー疲れた。んじゃ、おつかれさんでした~」

 帰り道、なぜかK之助と一緒になったので、近くの「酒菜亭」に誘って、楽屋話を聞かせてもらう。

 「○○が好きなN喬さん」

 「シャワーでじゃれあってるK師匠とS師匠」

 「末広亭近くのS橋師のお気に入りは、そばの末広と、寄席のまん前の路地を入った喫茶店」

 「K助師の噺に出てくる子供は、はじめに『てーん』という。習った弟子もみんなそう」

 「鈴本では前座の時にマイクを出さない。Sん朝師が決めた」

 などなど。いえない話の方が多かった。

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五月十五日(木)

 <さの字の会リターンズ>(内幸町ホール)

 前説:三人 佐助:青菜 三三:反対車 仲入 三太楼:錦の袈裟

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 夕刊に隔週で書かせてもらっているDVDレビュー用に、東芝から出ている「枝雀落語大全」を見る。落語を映像で見ることについてはいろいろ議論のあるところだが、枝雀落語ばかりは「見た目」を無視してはハナシにならない。全十巻二十席から選んだのは「八五郎坊主」。僕が一番初めに枝雀落語のとりこになったネタだ。「つまらん奴は坊主になれといいますな」「なに当座の融通坊主で」「いんまの今までチンチンさわって」「がらがら格子をガラガラガラガラガラ」「アホが高い高いの稽古をしてるみたい」「だれが付き添いのものはおらんのかな」「そりゃお前のスカタンか」…。題名を聞いただけでフレーズが今も次々に出てくる。噺の楽しさはもちろんだが、DVD特典映像として入っている弟子の雀々のインタビューが感動的だ。家庭の味を知らず学校もろくに行かず、十六歳での運命的な出会いと入門。枝雀は、彼にとって師匠であり父親であった…。枝雀落語の登場人物そのままのせわしない口調で、汗だくになってしゃべりまくる雀々が、楽しく、哀しい。数ある弟子の中でも、確実に枝雀落語の一面を継承している雀々の今後に注目していきたい。それにしても、やっとフツーの客として枝雀の残した噺を聴けるようになった。志ん朝は…、まだ無理だなあ。

 夜は、さの字の会。上り調子の三人、いきのいい噺を堪能する。噺はいいが、前説の佐助のたどたどしさはどうにかならないものか。三三の鋭い突っ込みにオロオロするばかりの佐助。見ていてはらはらするぞ。

 終演後は、日比谷コリドー街に出て、銭湯の洗い場をヒントにした内装の変な居酒屋「ゆのじ」でお刺身を。

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十六日、木曜日。夕刊早版の締め切り直前に「柳家小さん死去」の一報が入る。いつか来るだろうとは思っていたが、まさか日来ようとは、が関係者全員の気持ちではないだろうか。編集部総出で、取材、出稿、原稿チェック。何とか早版に原稿を突っ込んだが、すぐに中版の締め切りだ。てんやわんやの二時間あまり。最終版ギッリギリに通夜と告別式の日取りを挿入して、なんとか恥ずかしくない原稿に仕上がった、と思う。毎度の事だが、こういう場合、僕ら新聞社で仕事をしているものは、とにかく目の前で起こっている事態を文章にしなければならない。作業の間は、人間国宝の死を悼んだり、思い出や感傷に浸ることはまったくない。小さんの死はあくまでも「ニュース」なのである。

小さんについて、なんらかの感情が浮かび上がってくるのは、もっとずっと後、その日の夜に床に入ってからのことである。目白は死んでしまった。わかくして「名人」の仲間入りをし、人間国宝になり、長く落語界をひっぱり、みんなに愛され、最愛の孫に婚約者が出来た。何の不足もない大往生ではないかと思うのだが、それだけでは割り切れない感情が残る。「かぼちゃ屋」「時そば」「粗忽の使者」「天災」「長屋の花見」。ホールではなく、寄席で聴いたベストファイブを並べておく。

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 五月十七日(金)

 <末広亭・夜席>

 元九郎 志ん駒:たいこ腹 仲入 才賀 正楽:花嫁さん・鍾馗さま・モーニング娘。・潮来の花菖蒲・日光陽明門 川柳:映画やぶにらみ 今松:はなむけ 和楽社中 主任=志ん五:柳田格之進

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 冷たい雨。末広亭のテケツの横で、席亭と話す。

 「トリの志ん五さん、頑張ってるよ。今まで出たのが『錦の袈裟』『井戸の茶碗』『抜け雀』に『素人義太夫』。今日は『柳田』だな(なぜか、きっぱり)」

 「ほいこれ、新松戸に出来た集古庵のパンフレット。橘右近さんのコレクションがいっぱいあるよ。だいたいウチよりも末広亭のビラがいっぱいあるもんねー。俺が末広亭に入った時さあ、父親に聞いたんだよ。『古いビラある?』『ない!』『去年のネタ帖は?』『ない!』もう、なーんにもないの。鈴本も先代はそんな感じだったみたいだよ」

 「小さん師匠の話? そうだなあ、権太楼は物まねやってたけど、さほど出てないね。中には繊細な人もいるからなあ。俺? 俺はねえ、人の死については達観している。なついたネコが死んだのと、先代馬生師匠の時はこたえたけど、それを乗り越えたから、もう大丈夫」

 何が大丈夫だかわからないが、話しているうちに、笑組、小金馬(「親子酒」だったらしい)、志ん馬(「紙入れ」だったらしい)が終わってしまった。あんまり店先で営業妨害もできないので、そろそろ中に入ろうか。

 「あたしは少数精鋭主義が好きでして。これだけ入ってくれれば大喜びですよ」

 志ん駒の高座はいつも明るい。そしてダジャレが多い。

 「寄席というのは一月を十日ずつわけて、上、中、下で営業します。その中で、中席というのは雨が多いんですよ。中席は今日も雨だった…」

 お、きょうはネタをやるのか。「たいこ腹」、この人のためにあるような噺だよね。本題に入ると、駄洒落ベタベタノリはさらに加速する。

 「何か変わったもの食いてえなあ。アジの干物にブルーベリージャムをつけて…」

 「何か鼻から息をするものが…。『ミャオ』お、来たな、ミャオとくればミャオたかし」

 「若旦那が杯に金貨をザラザラ入れるんで、一気に飲み干して中を見たら、足袋のこはぜ!大野屋の十三文半って書いてあるの」

 「アタシとあーたは、命令形でつながってるの!一八、ああしろ、こうしろって言ってくれなきゃ」

 「玉突き、玉突き、あれ、突く時ななめになるからハスラーっての?」

 「ゆんべの夢見が悪かったよ。ナポレオンが花笠音頭を踊ってんだから」

 この発想、この若さ。志ん駒侮りがたし、である。

 あっという間に仲入休憩。雨はますます強くなり、まったりとした空気が流れる末広亭の客席に、才賀が喝を入れる。

 「お後をお目当てに、どうぞ(思い切りドスを効かせて)うすぼんやり!過ごしていただきたい」

 あーびっくりした。本日は、いつものマクラ「私のネタ場」のパワーアップバージョンである。

 「台東区役所がアタシのネタ場です。高齢者福祉課。そこから少し離れた教育委員会あたりでネタが来るのを待っている。と、じいさんが小さな箱に向かってやたら大きな声で『フエー!』。『どうしたの、おじいさん』『ここに、そうしろと書いてあるんだ』。係員が箱の横を見ると、『あなたの声をお聞かせください』。そんなジジイがいるのかとお疑いの方、いるんです~。どういうわけだか、台東区にはいるんです」

 「こういうジジイばばあの後をつけておけば、ネタはいくらでもあるんです。今度は上野駅で五分も待っていると、ネタがやってきました。券売機の先頭で、おばあさんがアカンベーみたいな顔をいつまでもやってる。さんざん待たされた後ろの人が『なにやってるの?キップいれなさいよ』というと、『ここにそうしろと書いてある』。券売機の横の張り紙を見ると『しわを伸ばしてから入れてください』。そんなババアいるわけねえじゃねーかと疑う方、いるんです~台東区には。アタシはもう三十年も住んでいるんですから」

 いやはやなんとも。

 正楽の紙切りの見事さをいまさら述べるつもりはない。その見事な紙切りをより面白くするのは、客の注文である。

 「他にご注文は?」

 「モーニング娘。!」

 「しょうき様!」

 「モーニング娘。はちょっとお待ちください。(と、しょうき様を切って)モーニング娘。何人いるんですか?」

 「十三人」

 「とてもそんなには切れません。(パチパチパチと催促の拍手)拍手はしないほうがいいと思います。どうなるかわかりませんから」

 「(なんとかモー娘。を切って)他にご注文…」

 「潮来の花菖蒲!」

 「日光の陽明門!」

 「…それも無理だと思います」

 「(なんとか陽明門を切って)あ、潮来の花菖蒲?」

 「ハイ」

 「いまちょっと他のこと考えてまして」

 とぼけた応酬のうちに、客席がほのぼの温まってくる。

 続く川柳が登場するやひと言。

 「だれですか、込み入った注文をしたのは!あれがなければ、あと三枚は切れたのに。野球のバットとか、サッカーボールとかにしなさい!」

 そのまま「去年は五人も亡くなりまして」ときたから、小さんの話かと思ったら、親交の深かった右朝の話を始めたのであった。

 「(着ている羽織を広げて見せて)これ、右朝の羽織なんですけど。右朝と二人でやってるんだから、笑わないとひどいぞ。化けて出るからな。小さん師匠もだけど、芸人は死ぬと芸も一緒に持っていっちゃうからなあ。だいたい生涯寄席に行かない人がほとんどなんだよ。その辺歩いてる人に聞いてみると、ほとんど寄席なんかしらないもん。あなたがた、日本に生まれた幸せを噛みしめて、もっと笑え!」

 今日は歌は歌わず、懐かしい映画の話だ。

 「覆面てえのは、顔が長くなくちゃだめ。アラカンがそうでしょ。小さん師匠がやると、(ぎゃははと笑う客席に)死んだのに笑うなー。俺も笑ってるけど。でもなんでアラカンは覆面なのに顔出してるのかね?」

 「おじちゃんはね、本当は人を切りたくはないんだよ。日本の夜明けのためにしかたなく、なんていいながら、次のシーンで三十人ぐらい切っちゃうの。殺人鬼だね。逃げるやつまで追いかけて切っちゃうんだから」

 ひさしぶりの今松は「はなむけ」。初めて聴いたぞ。まわりに聞いてもだれも知らない。(後日、Y本進センセイにうかがったら「え、聴いたことないの?小円朝はやってたよ」とびっくりされた。僕が聴いてるわけないじゃないの)

 ひざの和楽社中。和助のチャイナリングが相変わらず不安定で、和楽おじさんの叱責が飛ぶ。

 「お前、自分の頭の上に来るように投げればいいんだよ。(客に向かって)なんか、これからどっか行くみたいなんですよね。だから、あせってやると、あーなります」

 和助、ますます小さくなったりして。

 トリの志ん五は、席亭の言葉どおり、大ネタ「柳田格之進」。そういえば、明日、三平堂落語会で「柳田」やるみたいだから、寄席でおさらいということかもしれない。

 「時代によって人の考え方が変わります。とりわけお侍の世界は…」という語りだしは、師匠の志ん朝そのまま。噺自体に不自然さがあり、演者はサゲを変えたり、演出を工夫するのだが、矢来町はこの語りだしのほかは、そのまま演じて、不自然さを客に意識させなかったよなあ。

 志ん五の「柳田」は、もちろん志ん朝の型。安倍川町の裏長屋、材木町の碁会所、馬道一丁目の萬屋源兵衛、吉原の半蔵松葉と、地名をはっきりさせることで、よりリアルさを出すなど、随所に細かな工夫が見せる。ただ、テンポの良さを気にするあまりか、やや早口になった。トントンとはこぶというより、急ぎすぎの感があり、どっしりとした重み、しみじみ落ち着いた風情に欠けた。志ん五の「柳田」というには、まだまだ工夫の余地がありそうだ。雨は夜通し降り続いた。

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 十八日、土曜日。渋谷で小さんの通夜。大きな寺だったが、焼香の場所と遺影が遠すぎて、その距離が悲しかった。門のところで巨大な黒い塊が二つじゃれあっている。よくみると、松村邦洋と笑組のかずおちゃんだった。

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 五月十九日(日)

 <池袋・夜席>

 三太楼:看板のピン 正楽:影法師・寅さん・たぬき しん平:マゲトラマン 仲入 さん喬:らくだ 権太楼:くしゃみ講釈

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小さんの告別式は遠慮して、歌舞伎座で尾上松緑こと嵐ちゃんの襲名披露興行・昼の部を見る。銀座で少しなごんでから、丸の内線で「さん喬権太楼バトル」の池袋の夜席へ。ロビーで正楽から「たぬき」のカラー紙切りを受け取る。「寄席おもしろ帖」で急遽小さん追悼の小文を書くことにしたため、正楽に差し替えのカットを頼んでいたのだった。

高座は三太楼から見た。三太楼は小さんの命名だという。

「小さんの『さん』と、権太楼の『太楼』を合わせてつけていただいたんです。でも、翌日楽屋でご挨拶したら『あいつ誰だ?』だって。で、小さん師匠は、博打だけはダメで、弟子がはまると怒りましてね、テメエたち寄るとさわるとバクチばっかり…、もう落語に入ったんですよ。絶妙な間ですね…(反応の鈍い客席に)やめようかな、このネタ」

正楽の紙切り、一枚目の「相合傘」の男の顔が小さんではないか。最前列の常連K氏がすぐに気づいてさらって行った。いやあ、油断も隙もない。

「まだ固まってない新作なんですよぉ」としん平が言う。

「喬太郎に話したら、ぜひやれっていうんですけど。八五郎が巨大化するんですよ(笑)。まだサイズは決めてないんですが。で、熊五郎が酒を飲みすぎると巨大なトラになって、この二人が江戸の町で戦うって、だめですか、こんなの?」

固まってないとは言いながら、あらすじのような本筋のような、ビミョーな高座だったが、最後まで話し終えた。マゲトラマン、完成はいつのなるのだろう。

さてさて、久々のバトルである。

さん喬の「らくだ」は、凄みはないが、長屋の人々が生き生きしている。

「らくださんが亡くなりました」

「…つまらねえ世辞いうなよ」

らくだの兄貴分が屑屋を脅す理由もオカシイ。

「出入りの商人だよ。お店の大事に手伝うのはあたりめーじゃねーか!」

この芝居やや不調のさん喬、ようやく調子が上がってきたか。

権太楼は、珍しくネタの注文をとった。

「何やるか、思い浮かばないんです。ネタ、受けましょうか?」

「(間髪おかず)居残り!」

「えーっ!(と、しばし絶句)…今のハナシ、なかったことに…」

やっぱり調子が上がってないのかな。で、結局、今年初めての「くしゃみ講釈」。言い出来だったけどねえ。

終演後は、小雨の中、残っていた客をぜーんぶ引き連れて、権太楼一門と「和民」で懇親会(?)。「(権太楼の前名)ほたるはねー、かわいい弟子がきたらつけようとカミサンと話しているのに…、来ない!」「こんだのおさらい会、『一人酒盛』出してるけど、やんない!『飛鳥』で稽古するつもりだったけど、そんなテンションじゃなかったから」なんてバカ話の夜が更けて行く…。

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五月二十日(月)

 <鈴本・昼席>

 一九:権兵衛狸 市馬:かぼちゃ屋 文楽:看板のピン 仙三郎社中 小袁治:平林 円丈:ランゴランゴ 小満ん:紙屑屋 仲入 元九郎 歌武蔵 さん喬:そば清 とし松 主任=さん生:松山鏡

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 「定点観測」でおなじみ(?)の天一弁当を、伊勢丹ではなく松坂屋で仕込んで、鈴本の昼席に入ったのは、どうしてだったっけ?平日の、それも月曜日の一時過ぎに寄席に行っちゃうには何らかのわけがあったには違いないのだが、手帖にメモはなし、記憶にメモリーもない。ま、覚えてないのだから、たいした理由ではないのだろう。とっとと、場内に入ろうではないか、ご同輩。

 「エー、与太郎の出てくる噺は、学校寄席で一番いいんですな。笑いが多くて、わかりやすいし、罪がない」って言った後に「かぼちゃ屋」をやるこたあないだろう、市馬さん。

 「上を見た」おかげでかぼちゃが売り切れた与太郎が「こんなに売れるならもっと早くやりゃあよかった。おいしいもん、いっぱい食おう。上野の鈴本にも行こう」と満面の笑みで言うのがオカシイ。しかし、市馬の与太郎は堂々としているなあ。

 太神楽の仙三郎社中。今気がついたのだが、仙一、仙三、仙三郎の順で背が小さくなるのね。仙三の傘の芸は、ちょっと窮屈そう。緊張しやすいタイプと聞くが、がんばってね。仙一の五階茶碗も、扇子落としが不安定。再び仙三、バチ三本の取り分けで落としてしまう。「一回落とすごとに慣れていくんですよ」という師匠仙三郎のフォローが優しい。

 小袁治のマクラが相変わらず面白い。

 「こないだ花見の帰りに、ホームレスがいたんですが、これが生ビールのサーバーを持って、マージャンやりながら、ニューズウィーク読んでるやつがいた」

 本題の「平林」も独自なクスグリがいっぱい。

 「これ、読んでください」

 「うーん、なかなか達筆だな」

 「あっ、達筆さんのとこに行くんですか?」

 「ひらりんさんって、どちらですか?」

 「ひらりん?聞いた事ないなあ。アメリカ大統領の奥さんかい?」

 円丈の挨拶はいつも同じ。「えー、そういうことでありまして」というのだが、今日は客席から「どういうこと?」と合いの手が入った。マクラは松島での営業のハナシ。

 「浜辺寄席っていうんですが、やな予感がしたんですよ。案の定、小船の舳先に、夏の夜、百ワットの電球つけて、ユラユラ揺れながら落語をやるんです。客は集まらなかったけど、虫は集まった」

 ネタの「ランゴランゴ」、七千円から来るというアフガニスタン出身の前座がものすごい。

 「現物支給もあり。ソース焼きそば一つで、小噺一つやる」

 「流派は?」「イスラム教スンニ派」「流派じゃねーよ!」

 「ターバン巻いて、ちゃんと着物を着て、コーラン持ってる」

 で、噺の途中で切って、「おなじみのランゴランゴという」って、おなじみなんだろうか、このネタは。

 小満んの「紙屑屋」。新内の喉のいいところ、たまらないんだけど、節回しを書くわけにもいかないので、居候の川柳をいくつか並べて勘弁してもらおう。

 「居候 置いてあわず、居てあわず」

 「居候 しょうことなしの 子煩悩」

 「居候 言い訳ぼしの 用をたし」

 「居候 足袋の上から 爪を切り」

 後半、さん喬の「そば清」に、なんども中手が。ガンガン受けちゃって、そうなると、さん喬の演出がすこ~しクサくなるのね。実は、クサいさん喬、大好きなのだ。このごろ

みんなに言われるせいか、あんまりクサくないんだもんなー。

 トリのさん生は、泥臭いが愛嬌のある顔で、すっとぼけたギャグを飛ばす。師匠の小満んの粋なところなど、少しもないのがサワヤカですらある。

 「こないだ仙台駅で列車をまってたら、目の前を、サラリーマンが息せき切ってやってきた。ズボンの前からワイシャツがとびだしているんですか、気がつかないんですね。駅員さんが親切に『お客さん、前が開いてますよ』って教えてあげたら、『そうですか』って、一番前の車両の方へ走っていきました」

 マクラがウケると、右手をあげてガッツポーズをとるんだよなー、さん生が。

 ネタが「松山鏡」とわかって、正直ちょっとがっかりした。この噺、桂文楽以外で誰のを聴いても面白くない。変に湿っぽくなったり、田舎の人を馬鹿にして感じが強かったりで、どうにも後味が良くないのだ。ところが、さん生は、この中途半端な噺をみごとな爆笑編に仕上げた。奇声を上げ、コミカルなアクションを挟み、噺の荒唐無稽さを強調する事で、ばかばかしい設定の、ばかばかしさそのものを楽しむように仕向けてくる。アバウトに見える演出の影から、時々細かな計算が垣間見えるのだ。「松山鏡」は本来こういうたわいのない噺なんだと、見事に絵解きをしてくれたさん生。見直したぜ、というところで、長くなった五月中席、お開きにしたい。

 

つづく

 

 


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