寄席さんぽ2002年四月中席

 十一日。日曜版「うた物語」の取材で福岡市へ。唱歌童謡愛唱歌のルーツを探る連載で、初めて民謡を取り上げるので、九州地域の民謡の権威にレクチャーを受けるためだ。博多、中州、屋台、イカ刺し、ラーメンと香しい妄想が広がっていくばかりだが、タイトな日程の中、どうひねくりだそうとしても夜の中州散策の時間がとれない。タクシーと地下鉄を乗り継いで何人かにインタビューをしていたら、アッという間に日はどっぷりと暮れた。雨男の本領発揮で、冷たい雨が間断なく降りしきる中、駅前で多少こぎれいな定食屋を選び、地鶏の鉄板焼きをつつく。

十二日。朝から駆けずり回って遅い昼下がり、ぐったり福岡空港にたどり着くとたん、外はあっけらかんと晴れるのである。豚骨こってりの博多ラーメンを食べる元気はなく、空港内の定食屋で「イワシフライ定食」を。せめて機内で落語放送を聴こうと、イヤホンを耳に当てたところまでは覚えているが、そのままあえなく爆睡。一泊二日の旅は、なにごともなく終わったのであった。

十三日。今日は休みだっちゅーのに朝八時半に新三郷を出発して、はるばる横浜は桜木町へ。横浜にぎわい座のオープニング式典に出席するための、延べ三都県を縦断する大遠征なのであった。

玉置<一週間のごぶさた>館長、十七年前から「横浜に寄席を」と陳情を続けた桂歌丸、そういったもろもろの経緯を知り開館にゴーサインを出した前市長を、選挙で破って当選した若き中田現市長らの、肩に力の入った挨拶、美辞麗句、理想開陳、決意表明・・。言いたいことはわかりました。どうぞ二年も三年も二十年も三十年も続く「ちゃんとした寄席」に育つよう、よい番組よい宣伝よい運営をお願いします。僕も出来るだけ見に行くからね。ちょっと遠いけど。

ゲストの芸が楽しかった。松本源之助社中の「翁」、八王子車人形の「三番叟」(初めてみた。ダイナミックな動きが素敵)、江戸あやつりの「獅子舞」。どれも華やかでけっこうだが、コレ全部東京の芸能じゃねーか。一つぐらい「ハマの芸」を入れればいいじゃん。

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四月十三日(土)

 <池袋・昼席>

 正二郎 柳太:船徳 陽子:秋色桜 助六:高砂や Wモアモア 可楽:小言幸兵衛 仲入 小円右:酢豆腐 笑遊:かわり目 玉川スミ 主任=小柳枝:妾馬 <夜席> 神田京子:巴御前 遊馬:反対車 とん馬:犬の目 松鯉:紀伊国屋文左衛門・屏風の蘇生

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 横浜にぎわい座の式典は、昼前に終わったので、ハマからブクロへとんぼ返り、何かと噂の「芸協の昼席」に潜り込んだ。ま、土曜日だから、フツーなんだけどね。

 高座では、正二郎の太神楽曲芸が佳境に入っている。茶碗を傘の上で回しながら、 「今日は大サービス。私も回ります」といいながら、ほんとにクルクル。この人、若手ながら、憎らしいほど落ち着いている。

 若手ながら、わらっちゃうほどあせっていたのが、二ツ目昇進したばかりの柳太。「えー、落語というのは」といいながら、いきなり羽織のひもを解こうとして、ほどけない~。

 「ま、これが生の(高座の)いいところで・・へへ」

 なんだかたどたどしい若旦那のマクラから、ななななななななななーーーーーーんと、「船徳」へ入っちゃったよ。おーい柳太くん、だいじょぶかーと、竹屋のオジサンの心境を思いながら聞いていたのだが、カツゼツが悪い、語尾がはっきりしない、若旦那に「えーとこのぼんぼん」的な品がない・・・・・。細かい指摘はやめませう、きりがないから。よーするに、「船徳」というネタは本を素読みにすると、思ったほど面白くないということだ。二ツ目昇進した若手が、浅い出番でやる噺じゃないんだから、こりゃあしょうがないか。ある種かわいい泥臭さのようなものがあるので、そうした個性を生かす噺をさがすべきだろう。がんばれ、汗だくの柳太くん。

 ナンダカワカラナイ柳太の後は、年齢を感じさせないブリッコ陽子先生。

 「艱難辛苦を乗り越えて、よーっく、おいでくださいました。日本橋茅場町に・・」と、「秋色桜」に入っていく。上野の清水堂に「井の端の 桜あぶなし 酒の酔(えい)」の歌碑がある、少女歌人と父親の人情物語なのだが、この六右衛門オヤジと、可憐な少女の語りわけが、見物ききものなのだ。べらんべらんの江戸弁と、舌足らずの甘ったるい少女言葉、正反対の言語が瞬時に切り替わっていく。で、どっちかというと、オヤジのベランメエの方が切れ味がいいんだよね。いやあ、おもしろいねえさんである。

 「かわるがわる色々な顔をお見せしまして、さぞお力落としでございましょうが、なに二十分も我慢していれば私みたいにスカッとしたのが出てきますので」

これが、助六の決まり文句なのか。ネタの「高砂や」、挟み込むギャグの「とほほ度」がたまらない。

「ご祝儀をやる時は、まず正面をみるな」

「ショーベンを見るって、糖尿病だな、そりゃ」

「た~か~さ~ご~や~、ほれ、やってみろ」

「た、た、たかさごっ、高砂~、高砂~、柴又乗り換え~」

 はいはい。

 最近、Wモアモアが気に入っている。

「日本人の四人に一人がオカシイって・・。寄席で座ったら、まず右見て、左見て、前見て、みんな大丈夫だったら、オカシイのは自分だかんな」

頑固オヤジの小言のような、というのが一番ふさわしいんだろな、可楽の漫談は。

「アルジェで日航寄席ってのをやったんですよ。千代田化工って会社で、三百人が単身赴任してんだ。だから、何やっても笑う。笑ってる間は、こっちはしゃべれないから、十五分の噺が五十分に延びちゃう。(客席を見渡して)今日は笑いを待たなくていいから八分で終わっちゃう。しかし、(可楽の持ち時間である)二十分は我慢してもらわなきゃ。アタシが終わったら、どこへ行ってもいいですから」

さんざぼやいているから、今日は漫談でおしまいかなと思い出したところで、「小言幸兵衛」に入るんだから、驚くよなー。可楽がやると、マクラの小言漫談と本題の「小言幸兵衛」の境があいまいなのが、いとあわれなりけり。

しかしまあ、同じ漫談でもこれだけ違うかと感心するのが、笑遊の漫談。思いつくまま気の向くまま、話の頭としっぽがはっきりしないダラダラ展開。こうなると、可楽が理詰めというか、知的にすら感じちゃうのである。どんな感じったって、中身がないから説明しにくい。ま、こんな感じかなー。

「えー、アタシとカミサンは一回り違うんですよ。アタシが四十二で、カミサンが九十八。本名、スズキムネオ、住まいは船橋市大穴町。夏になると、一本道の両側に枝豆が出来て(手でもぎ取るしぐさ)これだよ。みんなやってるから、犯罪じゃないよ。・・・アタシの持ち時間は二十分。アタシの芸風からして、長いね。僕は十五分がいいとこ。(客席後方の時計を見上げて)もう三分もしゃべっちゃったね」

で、笑遊もまた漫談で終わらず、ネタに入るんだよな~。「かわり目」。

「お前さん、そんなにお酒飲んでちゃ、どっかの小円遊さんになっちゃうよ」

「聴くところによると、笑遊の兄弟子なんだって・・・話がとまっちゃったよ」

「お前さん、もうお寝。お寝お寝お寝」

「山登ってるんじゃねーよ」

「何かツマミ出せよ」

「なに?」

「つまみだせ」

「お前さんをかい?」

「何か出せよ。タクワンでいい。裏の物置からもってこい」

「あれは大家さんのだよ」

「あやまればいいって。タクワンはどーもお騒がせしました」

えーっ、これでサゲなのぉ?

お次はおスミねえさんか。しかし小さいなー、メクリと変わらないじゃん。

「今日は天気がはっきりしないね。ちらんばらんとはいいながら、よくこれだけお出でになりました。では、東京行進曲から、いくよー」

おやおや客席からも歌声が聞こえるよ。そういう客層にはみえないんだけどなあ。もしかして、市馬みたいな懐メロマニア?

トリの小柳枝は、得意の「妾馬」。独特のうたい調子が眠気を~誘わん誘わん。古風な味わいの中で、江戸の時間がゆっくりゆっくり過ぎていく。そういえば、良きにつけあしきにつけ、芸協の寄席にいると、時間の立つのが遅いような気がする。ずいぶんなごんでいるような気がするが、まだ六時前なんだよなあ。

夕飯を食うにはまだ早いので、腹が減るまで夜席を聴いていくことにしよう。

前座は講談の神田京子。

「巴御前」を元気よく読んでいるが、それで調子をとっているのか、セリフのたびに頭が前後に動くのが気になる。軽い、コミカルな味わいはいいのだが。

袴姿の遊馬。声がでかい~。

「オランダからウグイスが二羽、親善大使で日本にやってきたんですよ。一羽は、さすがに「○`ー◆◇■◎~」と外国産らしい鳴き声なんですが、もう一羽は『コケコッコー』と鳴く。『こっちのウグイスは日本のと変わんないですねー』と聞いたら、『あ、こっちのは通訳です』って」

全力投球の「反対車」。前半の「病人の車屋」が出てくる、車屋は元気がないのではなく、ただ口調が遅いだけ。これじゃ「長短」だよ。「あらよっ、あらあらあらあらあらよっ」と、大汗かいて春日部―大磯―上野と走り回った、上野で「最終が出ました」。ごくろうさまっす。

小天華のところで、ロビーに出て休憩。ソファーに座っているのは、旦那の宮田章司ではないか。一緒に若い人は、弟子か息子か?そこへ小円右が出てきて、「仲一也が来るのを待ってるんだけど。一年ぶりなんですよー」。なんのこっちゃ。

若手真打のとん馬は、くりくり回る目がかわいい。

「牛の乳の重さで時間がわかるおじいさんがいるんですよ。『おじいさん、すごいですねえ』と言ったら、『いや、そうではねえ、乳を持ち上げると、向こうに時計があるんだ』」

松鯉の紀伊国屋文左衛門ネタまで聴いて、外に出た。まだお腹が空かないので、歌広でちょっとうたって、最近ずいぶん支店が増えた「大戸屋」で定食をぱくつく。充実はしていると思うのだが、なんだか貧乏学生のような週末ではある。

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四月十五日(月)

 <小朝独演会>(横浜にぎわい座>

 いっ平:強情灸 小朝:宗論 仲入 歌武蔵:胴切り 小朝:越路吹雪物語

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 横浜にぎわい座のこけら落とし公演で、久々に小朝を聴く。

 開口一番、いっ平の「強情灸」は、江戸前の啖呵が切れない。とんとんと調子よくいかないから、思わず知らず声が大きくなってしまうのだろう。力演なのに「うるさくて雑」と聞こえてしまうのはカワイソーではあるけれど。

小朝一席目は「宗論」。最近は釈台を出しての高座がフツーになってるようだ。

「皆さん、寄席はいいですよ。ヒコーキが飛び込んでくることはないし、寄席で誰かが死んだってことは、歴史的に見てもないんですよ。だた、死ぬほど退屈ってのはあるんですが」

相変わらず、口調は柔らかいけど、いってることはシニカルなんだよね。

 「いっ平くんの真打披露興行は、久々のピンです。こういうのはフツー、落語と人気の両方を求められるんですが、いっ平くんは例外です。お母さんの力が大きい! なにしろ理事のほとんどが若い時に香葉子さんにお金を借りてるんで。海老名家の総力を挙げてますから。今から帝国ホテルのフルコースを試食しているぐらい」

 ふふふ。

 本題の「宗論」は、教会通いの若旦那のセリフが、早口なのにモゴモゴと口ごもってしまって、聞き取りにくい。このごろやってないのかな?

 歌武蔵は武蔵丸と間違えられる「ジコ紹介」マクラを振りながら、「こうやって客のレベルを測ってる。昼よりはマシです。バカが少ないのはいいことですから」。これちょっと、きになるよね。歌武蔵独特の愛嬌で、字を見るだけよりソフトは印象なんだけど、中には「バカヤロー、てめーにバカって言われたくねーや」と怒る客がいるかもしれない。配慮のマクラと言われるかどうか、すれすれという感じだ。

 小朝二席目は「越路吹雪物語」だったが、マクラに「会長への道・小朝版」とでもいうようなネタを挟み込んだ。ちょっと個人攻撃の内容がきついので、詳細は書かないが、この辺の小朝の毒気は、ちょっと好きだったりして。この噺の通りに現実が展開すると、かなりあぶらっこい小朝会長の誕生になるんだよな。うーむ。コメントは控えます~。

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四月十七日(水)

 <鈴本・夜席>

 馬遊:饅頭こわい 歌武蔵:たらちね 小里ん:黄金の大黒(さん喬代演) アサダ二世 円蔵:道具屋 小袁治:小言幸兵衛(雲助代演) 仲入 玉の輔:財前五郎 三太楼:電話の遊び 一朝:看板のピン 小雪 主任=喬太郎:転宅

                   ● ▲ ■ ◆

 「平日のみ千二百円」の怪しい割引券で、六時ちょい前に入場したら、なんと十七にんしか客がいない!だいじょうぶか、鈴本と不安になったが、場内真ん中あたりにロープがはってあって、ああ団体さんがくるんだなと胸をなで下ろす。でも、後ろ半分はだーれもいないんだよねー。

 さて高座は馬遊が「まんこわ」に入ったところ。

 「万物の霊長?」

「たとえばここに万物さんがいらあ」

「万物って人間なのか?」

「で、なんかの拍子に霊長すらあ」

意外や、すごーくまとも。馬遊というと、「不思議な個性の持ち主」というイメージが強いのだが、「まんこわ」は体に入っているのだろう。安定している。安定したぶん、意外性が消えて、いまいちはじけない。フツーになってはいかんぞ、馬遊。

歌武蔵はざぶとんにすわるや業務連絡から。

「楽屋にけっこうな差し入れをいただきまして。この場を借りて、御礼を申し上げます。(声を一段張って)他のお客様もお忘れなきよう」

このとき、ロープの席に団体客が入ってきた。制服姿は中学生か。

歌武蔵の落語の特徴に、「くりかえしの多用」がある。

「えっ、言葉がぞんざいならキズだけど、丁寧でキズってのはわかんない」

これを八五郎が三回繰り返すのだが、三回目までには客から笑いを引き出してしまうのが、歌武蔵の底力なのだ。

「大家さん、掃除しとけよーって言ってたからなあ。ふとん、十八年引きっぱなし。(湿り具合で)明日の天気がわかるからなー。(ふとんを上げて)うわっ、キノコがいっぱい。シイタケ、シメジ、エノキにエリンギ!?」

小里んの「黄金の大黒」。テキスト通りに演じて面白い噺とは思えないが、小里んのオーソドックスな演出で聴くと、フツーの場面で「ふふふ」と笑いが出てしまう。

「大家さんが長屋のみんなを集めろって。小言かな?」

「思うに、大家さんとこの猫、食っちゃったことじゃないかと」

「あの三毛猫?」

 

「おめえ、店賃はどんだけ溜まってる?」

「七つですよ」

「ほんとか?もっとあるだろう」

「七つですよ。今年小学校ですから」

 アサダ二世の出番で、トイレに立った。四階で用を済まして戻ろうとしたら、トリの喬太郎が、三太楼を連れて階段を上がってくる。ご両人、着物姿じゃん。

 「あれ、どうしたの?」

 「うん、これから稽古」

 へー。

 客席に戻ると、円蔵が羽織りなしで登場だ。

 「アタシはもう、化けるほどこの商売やってますけどね、変な商売になっちゃたなーと思うんですよ。でも、やめられない。定年はないけど、落ち目があるんです。気がついたときは、もう遅い。上の方をみると、小朝がにっこり手を振ってるん」

 「嫌いな客ってのは、あたしより面白いこという人。こないだ浅草から上野までタクシーに乗ったら、運ちゃんが『お客さん、ここなんて町ですか?』って言うの。『田原町だよ』『あ、そう、アタシたちは信号待ちっていってますよ』だって」

 「道具屋」は、円蔵流のナンセンスギャグの宝庫だ。

 「オジサンの商売は道具屋だ」

「ふーん、じゃ夜遅く出かけるだろ。重い荷物持つだろ。頭に『ど』の字がつくな」

「だから道具屋って言ってんじゃねーか。おれは他の『道具屋』とは演出が違うんだからな。よく聴いてないとわかんなくなっちゃうから」

「この本、あなたには読めません」

「アタシは東京大学新小岩分校の校長だから読める」

「そんな関東一高みたいなこと言って、最近甲子園出ないから寄付金取られないですむ」

 

「この刀に銘はあるか?」

「メイはいません。神田におじさんがいます」

「シャレが三十年変わってないだろ?だから小朝に抜かれるんだ」

「じゃもう一回。『メイはあるか』『西船橋におじさんがいます』」

 

 「何か他に抜けるものはないのか?」

 「お雛様のクビが抜けます」

 「それ、(冒頭で)ふってねえじゃねえか」

 「こういう噺はお客が知ってるから、どんどん省略していいんだ」

 

 途中、戦争当時の「江戸川区民の歌」を一曲うたって、「道具屋という古典落語でございました」。古典落語だったんだー。

 続く小袁治、「何のおかまいもできませんが、落語のことですから、一生懸命きかないよーに」って言いながら、「小言幸兵衛」を一生懸命やっていた。いとおかし。

 仲入休憩をはさんで、玉の輔の「財前五郎」。ガン告知を題材にした重そうで軽い新作落語である。

 「木村さんの胃に小さなクレブスが発見されました」

 「今で言うと午後六時ですか?」

 「それは暮れ六つ」

 三太楼は珍品「電話の遊び」。電話室の中で、受話器を耳に当てて通話していた時代の新作で、どういうわけか三ちゃんが最近マメに高座にかけている。

 芸遊びにいけない旦那が、電話口に芸者、幇間を呼び出して「梅にも春」をうたわせる。電話室で一人、感に堪えて聴き入る旦那の恍惚とした表情がカワイイ。

 で、トリは喬太郎。今回の芝居は古典落語シリーズと脇で聴いたが、この日も「転宅」を丁寧に演じた。

 空き巣に入った先で、食い残しの小鉢に箸をつけ、「はじめての味だ」と感動し、美人のお妾さんに求婚されてカタメの杯、「飲んで夢にならないだろうな」とつぶやく「モグラ小僧の泥之助」がウブでカワイイ。

 「ねえさんの名前は?」

 「あたしゃねえ、高橋お伝の孫なんだよ」

 「名門だねえ。柳家花緑みてえなもんだ」

丁寧かつ自信にあふれていて、この人が古典をやるとき鼻についた分別くささがない。今までで一番いい「転宅」である。喬太郎、やればできるじゃないかーって、それは違う人にいうセリフか。

明日は早いので軽く行きましょうかと、鈴本の脇の高田屋で、つくね、揚げ出し、アスパラ&ホタテ、花巻そばなどを頼んでいると、向こうのテーブルの黄色いシャツの兄さんが挨拶してくる。あ、たい平だ。どーも。連れの、中途半端に若い背広の三人は、同級生というところか。でも何でまた出てもいない鈴本で飲んでるんだろうか?

               ● ▲ ■ ◆

十八日。民謡「おてもやん」の取材で、歌の地元・熊本へ出張。熊本市の真っただ中にある「おてもやんの像」は、やけに肉感的だった。熊本駅の近くに宿をとって大失敗。繁華街から遠すぎて、疲れた体で遠征する気になれない。しかたがないので、駅前の小さな居酒屋で馬刺し&馬レバ刺しを食った。

十九日。民謡「おてもやん」の取材、いい話が見つからず難航。町外れの「黒亭」という小さな店でラーメンを食ったが、あとでけっこうな有名店だと知ってびっくり。だって、かっぽう着のおばさん集団がフツーに作ってるんだぜ。まあ、うまかったけどさ。

               ● ▲ ■ ◆

四月二十日(土)

 <鈴本・夜席>

 かぬう:味噌豆 小太郎:のめる にゃん子金魚 馬遊:よっぱらい 歌武蔵:無精床 菊丸:宗論 アサダ二世 伯楽:宮戸川 雲助:千早ふる 仲入 玉の輔:真田小僧 三太楼:看板のピン 正朝:悋気の独楽 小雪 主任=喬太郎:すみれ荘201号

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 埼玉県八潮市の病院でシマブクロ医師の定期的な診察を受けた後、そのままバスで草加駅に出て、北千住の乗り換えで上野へ。もう一回ぐらい喬太郎のトリを見ておこうという算段である。

 前座のかぬう、いつも高座返しで三木助顔を拝しているが、噺を聴くのは初めて。声が大きく元気があって、いいじゃん。

 「えー、アタシのところは、憩いの時間ということで」と腰の低い小太郎、いつの間にか芸が柔らかく面白くなった。これもいいじゃん。

 新緑の季節を意識したのか、緑のミニドレスが愛らしい(?)にゃん子と金魚。

 「金魚ちゃん、実はハーフなんです。ブタとイノシシの」

 「それよりも、うちのにゃん子ちゃん、一応きれいでしょー、生娘じゃないけど」

 はははは。

 「今、第三次漫才ブームですよねっ!」

 「(明るく)ハイ、乗り遅れました!」

 「・・・私の夢は、愛のスイートホーム、ピンクのバスタブ、踊る虹色の泡・・・」

 「なんか安物のラブホテルじゃん」

 ちょっと髪が伸びた歌武蔵。久々にちょんまげを結うんだろうか?

 「最近ちょっと体重が増えまして、粗食してるんですが、たまには変わったもんを食おうと中華屋に行ったんですよ。『フカヒレの姿煮、ひとつね』『ありません』『じゃ北京ダック、一つね』『ありません』。よく見たらラーメン屋だったんで、ラーメン食いました。味は、カモなくフカもなく」

 これ、北京ダックが先の方がよくないか?

 「無精床」の親方は、無精と言うよりコワイ。

 「頭やってくれ」「どこへ?」「頭こしらえて」「おれんちは久月じゃねえよ」「そうじゃなくて頭切って」「血が出るよ」「いい男にして」「無理だ!」(中略)「床屋に来て無傷でかえろうってのがマチガイなんだ!」

 ものすごくフツーの顔をした菊丸、ものすごくフツーに噺を進めるのだが、いきなり壊れるところが、味というか、ナンダカワカラナイ。今日の「宗論」も若旦那が賛美歌をうたうくだりで、いきなり森進一のものまねになってしまった。歌は「里の秋」、へんだよー、この人。

 アサダ二世のところで、売店で買った「きつね寿司」を開ける。自慢のおあげは、ご飯を二回りするほど大きく、べたつかない。うまいうまいとほおばりながら包装紙を見ると、描かれたキツネの目つきが悪い。なんだか化かされているような気が・・・。

 伯楽の「宮戸川」は、霊岸島のオジサンが、もー、そのままなんだよね。「年を食っても恋心はある」というマクラも面白かった。

 「歌奴さんがね、頭つるつるなんで、いつも鳥打ち帽かぶってるんですよ。ある日電車の中で、目の前のミニスカートで茶パツの女の子とぱっと目があった。・・・そのとたん、女の子が『どーぞ、おじいさん、お座りください』」

 雲助はしゃべりはじめてすぐに羽織を脱ぐのね。「千早」の知ったかぶりの先生がやたらオカシイ。

 「あたしゃあ、なんでも知ってる。森羅万象、神社仏閣、故事来歴、横断歩道・・」

 「そーですか。実はアタシの娘が妙な遊びを始めまして」

 「妙な遊び? 桃色遊戯か?」

 「古いな、どうも」

 

「百人一首にいい男がいるでしょ?」

 「だれだったかな」

 「浅草から東武線で次の駅」

 「業平か?」

 「そうそう業平」

 「不思議な覚え方だなー」

 

「あの歌、なんだっけなー。ここまで出てんだよ。(ノドをさして)のぞけ!」

「冗談じゃない」

「一番最初が・・・何だっけ?」

「千早ふる、でしょ」

「千早ふる・・・何だっけ?」

「神代もきかず」

「神代もきかず・・・・何だっけ?」

 

元大関・竜田川と、元花魁の女乞食・千早の再会。このあたりからセリフがどんどん芝居がかって、最後は浪花節までうなってしまう。雲助の「千早」、芝居ばなしと見つけたり。

後半戦、三太楼の「看板のピン」。

「ピンというのはポルトガル語なんですって。『ピン・スポット』の『ピン』なんですね。それ聞いただけでも入場料の価値があります」って、ホントなの?

ひざ前の正朝は、いつものアレから。

「アタシを含めてあと三つです。みなさん、あと三つ残して、ドロップアウトしないように。アトミッツ・ドロップって・・・・・ごめんなさい」

「悋気は女の慎むところ、せんきは男の苦しむところ、って、悋気もせんきもわからなくなりました」といいながら、得意の「悋気の火の玉」へ、と思ったとたんに脱線だ。

「年とってはまると大変なのは色事ばかりじゃないですよ。たとえばバイク。中年過ぎてはまると、なまじ金もってますからね、1000CCのバイクを二つも三つも買っちゃって、誰とはいいませんが、今日のお客さんは通が多いからわかりますねー。わかんない人のために、名前はいいません。出世の妨げですから。イニシャルで言うと、やなぎや・こさんじだから、K・YですK・Y。もう専用のツナギに『小三治』って書いてあって・・」

おいおいおい。

さていよいよ喬太郎、楽日のトリだ。

「私は今日は勝手にやらして」いただきますっ!今、楽屋で巨人―阪神見てます。日本は終わりですよ、9-1で巨人が買ってます。アタシは運動というか、スポーツというか、あんまりスポーツを運動とはいいませんね。とにかくそういうのが苦手で、三十すぎてから自転車に乗れるようになったぐらい。高校の修学旅行、萩から九州一周、一週間で回ったんです。アタシたちのグループは『小原が自転車乗れないから』って、徒歩で回る計画だったんですが、現地へ着いたらみんな自転車で行っちゃった。しかたなく、アタシは先生と一緒にタクシーで観光ですよ。ま、屈折、屈折を乗り越えて、この商売をえらんだんですよ。『ノッコ、ノッコ、ノッコのカレシ、何やってんの?』『落語。十八番が『看板のピン』(場内大爆笑)『・・・(ノッコの手を握って)きっといいことがあるよ』』

おっと、いつの間にか「すみれ荘」に入ってしまった。このネタ、喬太郎の初期のヒット作品というだけでなく、泣き、笑い、楽屋落ち、壊れたキャラクター、マニアックなギャグなど、喬太郎落語のエッセンスがすべて入った代表作だと思ってる。とにかく、細部が気になり出したら、もー、きりがないのだ。

「ゆみこさんの、ゆみ、って何ですか? 江利チエミのゆみ、ですか?」

「太田裕美の子、です」

「えっ、太田裕美の子供なんですか?」

今日は挿入歌もたっぷりだぞ。

「今日はお見合いだし、ちょっと歌いたい気分なんすよ。千秋楽だし」

「意味わかんないー」

「えーと『東京ホテトル音頭』と、もう一曲いいですか? 『東京イメクラ音頭』を」

きっちり歌って、「お礼だけ言わせてください。(袖に向かって)太鼓と鉦、どうもありがとう」

これでおしまい、かしましむすめ~。と、オレまで歌うことはないか。四月中旬の僕の十日間、一応全部書きました。「中席日記」、これにてお開き~。あ、「日記」じゃなくて「さんぽ」だった。

 

つづく

 

 

 


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