寄席さんぽ2002三月上席
<この芝居の眼目> いきなりガイドブックのようなになってしまったが、もう忘れている人が多いと思うので、復習をしとこうということである。各寄席の番組表を見ると、真っ当なファンがまず考えるのが、鈴本に何度行けるかということだろう。昼の部主任=権太楼、夜の部主任=さん喬という豪華ダブルヘッダー。この並びでは、ビミョーなライバル関係両師は、頑張らざるを得ないだろう。しかし、二人のファンはけっこうかぶるので、「もっとバラしてくれ~」という声も強かった。 僕としては、初日にお仕事関係の落語会が銀座であったりするし、池袋の夜の部も棄てがたいしということで、どれだけ上野通いができるか、まったくおぼつかない状態だった。まずは体が開いた最初の日曜日、鈴本は当然通し見物である。でも、入れ替え制なので、夜の部は、仲入後の割引にしよう。疲れるしね。という感じで、そろそろと三上の幕が開いたのである。 ● ▲ ■ ◆ 三月三日(日) <鈴本・昼席> ごん白:出来心 太助:桃太郎 とし松 さん生:動物園菊丸:人形買い 小せん:町内の若い衆 アサダ二世 円菊:宮戸川 正朝:宗論 雲助:肥瓶 仲入 ニュー・マリオネット 馬風 三太楼:熊の皮 主任=権太楼:井戸の茶碗 <夜席> 小燕枝:人形買い 喬太郎:アテネフランセ 仙三郎・仙一 主任=さん喬:按摩の炬燵 ● ▲ ■ ◆ 昼席をサラから聴くのは久しぶりだ。ひな祭りの日曜日、上野松坂屋で米八の「わくわく弁当」、ちょっと寄り道して湯島「つる瀬」の豆大福を仕込んで、開演時間ぴったりに入場すると、なんと前座のごん白が出て来るではないか。当たり前か。 しばらく高座をみなかったが、あいかわらず若い噺家らしい、落ち着いたハツラツさ(?)を漂わすごん白。「出来心」を丁寧に演じている。 太助の「桃太郎」。 「子供が桃から生まれるわけないでしょ? モモとモモの間だから生まれるんだよ」 ううう、頭がクラクラする。 曲独楽のとし松は、いつも「糸渡りの独楽」で、最前列の客をアシスタントに使う。と、この日指名された男性は、慣れているというかそつがないというか、万事段取りがよく、糸渡りが終わると、自分で糸を巻いて片づけだした。あきれて見ていたとし松が一言。 「明日も待ってるから」 さん生は、「みなさま、自分の意志で入られたんでしょうから、最後まで自分の意志でがんばっていただきたいと」とかなんとかいいながら、時間がないのか、さっさと「動物園」に入る。「向かう方向と逆の肩を落とすのがコツ」というライオンの歩き方、この人がやると、どうしてもクマに見えてしまうのが難である。 かるーいかるい「町内の若い衆」は、小せんの独壇場。亭主がカミサンをこき下ろす時のギャグがトホホである。 「あいつ、オレから離れないから、水銀軟膏でも塗ってみようかな・・・・・・・ギャグが古かったかなあ」 アサダ二世がいつもの挨拶、「アタシはね、今日は大丈夫ですよ。なんたってもう手品日和ですから」なんていってるところに、最前列の客がロビーから戻ってきた。 「どこいってたの?」 「トイレ」 「そーですか。今面白いのやってたんですけど、もう終わっちゃった」 おいおい。 正朝はニコニコ笑いながら、きわどいことを言う。 「えー、寄席は後になるほど面白くなるんです。(力を入れて)これからが面白い。今までは屁みたいなもの。(楽屋の方を振り返って)おこられちゃうかな?(と、扇子で額をパチンとたたく)」 ネタは、権太楼師に「あっちの方が面白い」と言わせた「宗論」。 「えー、三大宗教というのは、オ○ム、統○教会、落語協会。コホン。とにかく、宗教問題にメスを入れる、この春の問題作です。(がらり口調を変えて)番頭さ~ん!」 この呼吸がたまんないよね。
仲入前は雲助の漫画チックな「肥瓶」。 「(道具屋に買い物に来た若い衆二人が)ごめんよ~」 「いらっしゃい、今日は何売りに来たの?」 がははははは。なさけねー。 若い衆はそれでも気を取り直して、兄貴分の家見舞い買おうとするが、何しろ二人そろって、有り金五十銭なので、買えるモノがない。 「おやじ、なんとかしてくれよ~。まけてくれねえと、こっちの男がたたねえ」 「五十銭で男を立てようてえのがマチガイだよ」 肥瓶の後の休憩で弁当をぱくつくってのも、考えてみたら、ナンダカナーだよね。 くいつきニューマリオネットは、いつから民謡専門になったのか?花笠音頭、秋田音頭、会津磐梯山に安来節。ううう、まぶたがおもい~。 「ええ、最後に権太楼がたっぷりやるてえから、前で先輩が一生懸命やってもしょうがない。今日は六分の力で」といいながら、馬風は「ひばりメドレー」を力演。あやつりで民謡、落語で歌謡曲。鈴本ミュージックホールだな、こりゃ。 お次の三太楼「熊の皮」で、場内はようやく落語モードに切り替わった。 その一 「水なんてお前がくめばいいだろ」 「何言ってんだよー、アタシ今起きたとこなんだから。お前さんの方が井戸に近いよ」 その二 「うけたまわりますればって、フランス語見たいでしょ」 「ううん」 その三 「先生はご在宅ですか?」 「お前、そういうことは面と向かって言わない方がいいよ」 その四 「いいよいいよ甚兵衛さん、おかみさんには良くできたと報告しておくから」 いいなあ、アタシこういうの好きなんだよ、と思わず先生の口調が移ったりして。 さてお目当て、トリの権太楼は、最近やたらと高座にかけている「井戸の茶碗」である。 この人、このごろライバルさん喬のネタを手がけることが多いよね。「幾代餅」に「たちきり」に「井戸茶」。どれも、権太楼流のフィルターを通しているから、聴いた感じ、さん喬落語とはまるで違う印象になる。さん喬で聴くとソフトな人情噺風になるのに、権太楼はリアルリアル。「ほろり涙」が「涙ボロボロ」に、「おもわずこぼれる笑顔」が「顔面くしゃくしゃ大笑い」になってしまうのだ。 「井戸の茶碗」は、なんとテンポのいい滑稽噺になっていた。 とにかく屑屋がスゴイ。正直で人がよいのは他の演者と同じだが、そのうえに、パワフルでアグレッシブで本音で生きているのである。千代田朴斎の住む貧乏長屋を「アフガンのテント村の住民が『こんな貧しいところはヤダ』というぐらいの」と断言し、無理やり交渉役をやらされれうはめになっても、二人の侍相手に言うべきことは言う。すったもんだの末、腹ごもりの仏像から出た五十両を三人で分けることになると、高木作左衛門はしぶしぶ二十両を受け取るが、屑屋は喜んで十両受け取るのである。 「ゆっときますけど、私は三十五歳で、ものの道理はわかりません!」 屑屋のがんばりに比べて、二人の侍はいまいち精彩がない。特に、若い高木作左衛門。あんまり侍らしくないのだ。 「そのほうの鉄砲笊に入ってるの、そりゃなにか、売り物か?」 「(仏像をながめ)いい顔してるな、いくらだ」 かりにも細川の若侍が「そりゃなにか」「いい顔」なんて言うかなあ。別にさん喬の肩を持つわけではないが、「井戸茶」の高木は、武骨な田舎侍ではなく、サワヤカな青年武士でいてほしいじゃん。というわけで、権太楼の「井戸の茶碗」、ちょっと偉そうだけど、僕的には留保点をつけたいと思うのだ。 昼席がハネた後、上野御徒町をうろうろして、前から目を付けていた豆腐懐石の店に入ろうとしたら、受け付けの女性スタッフが満面の笑顔で「夜の八時まで予約でいっぱいです」だって。えー、こんなに目立たないところにあるのに、そんなにコミコミなのー。もしかして人気店なのか「梅の花」。しゃーない、今日はかんべんしといてやろうと、うろうろして、アメ横近くのお好み焼き店へ。豆腐懐石が、チーズ明太子もんじゃに化けてしまった。 腹ごしらえして向かうのは、再び鈴本演芸場だ。仲入後から割引で入って、夜の部、さん喬のトリを楽しむ。充実した休日には違いないが、ちょっと疲れるよなー。 アサダ二世(昼夜出ている)が終わったところで客席最前列へ。小燕枝が「人形買い」をサゲまできっちり。喬太郎は日大落研時代、学校の屋上からアテネフランセに向かって「アテネフランセのおねーさーん!」と叫ぶとかなんとかいう漫談。後で喬之助に聞いたら「楽屋のネタ帳には『アテネフランセ』と書きました」だと。 で、トリのさん喬は「按摩の炬燵」。この噺、正直言って、僕はキライだ。よってたかって按摩さんをからかっている感じがイヤなのである。ま、悪意、からかいというのも落語の笑いの一つではあるのだが、生理的にイヤなモノはしかたがない。そう思っていたのだが、さん喬の「按摩」は、そういう感じがほとんどしない。「藪入り」を思わせるような導入から、奉公のつらさ厳しさ、江戸の冬の寒さをじっくりと、しかも優しい目で描写しているので、「奉公人が按摩を炬燵がわりにする」というとっぴな展開も無理なく受け入れられる。一席聴き終わって、後に残るのは、江戸の冬の夜の静けさだけである。さん喬落語の一つの特徴を、この「按摩の炬燵」が体現していると言ったら、褒めすぎであろうか。 外に出ると、三月始めの上野の夜も寒い。知り合い九人(!)とルノアールでお茶。この季節、熱いココアがまだうまい。 ● ▲ ■ ◆ 三月六日(水) <池袋・夜席> 楽輔:うなぎや(円輔の代演) 真理 歌春:鈴ヶ森 米助 仲入 ひまわり:安兵衛江戸日記 うめ吉:木更津甚句・春はうれしや・春雨 主任=痴楽:錦の袈裟 大喜利=痴楽(司会)・柏枝・小南治・米助・楽輔・笑遊 ● ▲ ■ ◆ ここんとこ肌寒い日が続いていたが、ようやく暖かさが戻ってきた。六時半に演芸場の中に入ると、客は二十数人。場内もあったまっているといいなあ。 楽輔の「うなぎや」。客と主人が生簀の中を覗きながら品定めするのが面白い。 「ようすのいいのがいるでしょ。コイズミって言うんです。そばのヨボヨボがシオジイ。こいつらに絡んでる威勢のいいのがマキコ…」 漫談の新山真理、出てくるなりメクリを指差しながら、「アタシの名前、『まり』と読むんです。くれぐれも、あの上にオームとつけて『しんり』とよまないように」。たしかにメクリには「真理」としか書いてないもんね。 「三年前までコンビで漫才やってたんですが、相方がトンでもないことしましてね。結婚退職しちゃったんです。嫁に行って辞めるような仕事じゃないでしょー。一日中五分ですむし」 「アタシもね、嫁に行かないってわけじゃないんです。行けないの。寄席にも男の人はいますけど、今まで出てきたの見るとわかるでしょ?(キッパリと)アタシの後は、もうジジババしかいません。鼻水たらしてる人はまだ水分があるだけいいです。他の人は寝たきりー。みんないっせいに三角の紙に包んだ薬飲むんですよ。きっとあれ、小石川療養所でもらったんですよ」 今までなんども聴いたが、楽屋からクレームがつかないのは、きっと嘘を言ってないからだと思ったりして。 「土手の柳は風まかせ~」の出囃子にのって、久々に米助が出てきた。 「ようこそ秘密クラブへ。(場内を見渡し)なんかロッテー近鉄のオープン戦みたいですね」 ロッテー近鉄、行ったことないからわかんない~。じゃ連れてってやろうかといわれると困るけどね。 この人の噺ってもう何年も聴いたことがないなあ。いつも身近なウォッチングネタから入ってメジャーリーグの薀蓄へという展開。面白いんだけど、野球にさほどの思い入れがない僕としてはムムムなものがあるのだ。今日はちょいとお古い満員電車ネタから。 「前に座っている人がどこで降りるかって、大問題だよね。そわそわしてるから、こりゃあすぐ降りるなと、まん前でスタンバイしててダメな場合は、ダメージも大きい。座ってる人は、ひざの上に定期券置いといてほしいよね。定期見れば、ああコイツは田端で降りるんだなって、わかるもん」 「網棚に読み捨ての新聞があってね、体をねじったり、ジワジワと擦り寄ったりして、やっと手にしたのが聖○新聞だと、ほんとがっかりするよねー」 で、やはり締めはメジャーリーグの話。ジョージ・ハーマンとか、ベーブ・ルースの逸話を語って、「以上、野球わかんない人には、まったく笑えない話でしたー」だって。その通りですぅ~。 仲入休憩をはさんで、後半は芸協屈指のキレイどころが並ぶ。 まずは、講談の神田ひまわり。 「こないだ女子高生に講談についてインタビューしたんですが、ダメでした。『忠臣蔵』を『ちゅうしんぞう』って読まれちゃって」といいながら、「安兵衛江戸日記」を力強く読む。明るく、メリハリのある高座ぶり。自分でも自信が出てきたのだろう、笑顔が涼しい。 続いては、日本髪がまぶしい俗曲の桧山うめ吉。「木更津甚句」「春はうれしや」と歌って、彩りに「春雨」を踊る。玉川スミで聴いた時には何とも思わなかった「こういう芸者一人呼んだら、二千いくらの入場料じゃすまないよ」というクスグリを思い出してしまった。いくらかかるかな? 「えー、この芝居、アタシのトリでは心もとない池袋演芸場が言うので、落語の後に大喜利をやることにしました。メンバーは、先ほど出た出演者が暇ですから、また戻ってきますので」 そうそう、トリの痴楽の後に大喜利がつくのだ。芸協の大喜利は、よくいえばアットホーム、意地悪くいえば高座で打ち上げをやってるような、だらだらとした安心感がある。でも、痴楽のトリは全然心もとなくないよ。 「ただいまのうめ吉さん。きれいな…ように見える。若く…見える。小柄のようにみえる…って、ほんとに小柄ですね。柳橋あたりから、大変な要請があるという…」などといいながら、いつものマクラ「先代痴楽のはなし」に入った。 「こんな話はしたくないんですが、お古い方は『痴楽はこんな顔じゃなかったんでは』とおっしゃいますな。お若い方は全然ご存じないでしょうが、先代痴楽は、娯楽のない時代、昭和三十年代のはじめに人気が出て、それからずーっと人気があったんですね。昭和四十八年に倒れて、それから二十年生きてたんです。平成五年まで、頭はしっかりしてましたが、半身不随でした。倒れて二十年、死んで九年。お見舞いにきてくれた人、みーんな先に死んじゃいました。で、三回忌を機に(アタシが)五代目痴楽を襲名しました。(痴楽になって)もう六回目の正月を迎えます」 襲名して六年たっても、まだ「痴楽じゃない」といわれる当代。「こんな話したくない」というのは本音だろうが、それだけ先代の人気が全国区だったということだろう。一家に一台テレビがなかったころのスター。その人気のほどがうかがわれる。 しょーもないことに意地を張り倒す、江戸っ子気分が楽しい「錦の袈裟」。角刈りにピンと立った耳がイナセ(?)な当代痴楽には、ぴったりの噺である。 さて、芸協名物、ほのぼの大喜利だ。 いかにも兄貴然とした痴楽が司会で、回答者は下手(ヘタではないぞ)から順に、柏枝、小南治、米助、歌春、楽輔、そして怪人・笑遊である。 まずは自己紹介なのだが、これが長い長い。順々に出身地から紹介していくと、東京生まれがいない。 「なんだか都市対抗みたいだな」 「で、だれが東京なの」 「笑遊、笑遊、一番東京人らしくないのんだけどね。新小岩生まれだって」 「そうそう野球といえば、駒沢大学の太田監督。ナガシマと同い年でね、同じように天然なんだよ」 「へー、そうなの?」 「うん、駒沢の野球部にね、オーストラリアから留学生がくる事になって、太田監督が履歴書みたいの見ながら、『おい、今度来る留学生、覚えやすい名前だよ』っていったの。みんなが『どれどれ、どんな名前』って、紙を覗いてみたら、監督、趣味の欄を見てたんだね、『趣味:チェス・バドミントン』だって」 「なんか世間話みたいだなー」 「ハイ」 「今日は米助アニさんが出てるね」 「俺はダメよ。アドリブきかないから」 「『隣の晩ごはん』の話してよ。第一回目がすごかったんだって?」 「うん、あのコーナーは、基本的に打ち合わせなし。ぶっつけ本番なんだけど、一回目だけは、事前に打ち合わせしたの。七十歳の夫婦だったんだけど、『こんばんはー』って入っていったら、お父さんがネクタイして待ってた」 「どうでもいいけど、もう時間半分ぐらい使っちゃったよー」 たまんないなあ、このダラダラ感。 ようやく本題に入って、一問目はなぞ掛け。客席の注文が「饅頭」ってのも、テキトーだよね。 「ハイ、饅頭とかけて、ケネディと解く。そのこころは、アンサツ」 「サツはケネディの本名です」 「大喜利と解きます。なかにはいいアンもある」 「うちの小五の子供と解く。双子なんですけどね。どちらも皮かぶり」(これは笑遊ね) 「中年女性と解く。上手く老ければいいでしょう」 「今日のメンバーと解きます。中にはクズもいるでしょう」 「おいおい、(小南治を指して)なんにも喋らないのがいるぞ」 「だってこの人紙切りだから」 「んじゃ、茨城県は真壁郡のメロンと解きましょう。どちらもアンデス」 「みんな知ってるー?アンデスメロンって、安心ですメロンってことなんだよ」 「へー」 二問目は山号寺号だけど、もう時間がない! 「一、二、三、数字」 「ABCさん、ローマ字」 「国定さん、チュージ」 「池袋さん、大赤字!」 「池袋だけじゃねーぞー!」 こうのようにして、最後まで和気アイアイ、テキトーぐずぐずのまま、池袋の夜は老け ていくのでありました。笑いつかれたので、「寄席さんぽ」今回はこれぎり~。 あ、そうそう、上野は結局、四日と七日に夜の部仲入後を覗くことができた。「文七元結」と「ねずみ穴」を堪能し、黒門町あたりの中華屋「聚豊楼」で、絶品の茄子炒め、カニ両面焼きそば、小籠包などを楽んだ。昼の部は、さすがに行けないよな~。
つづく |
内容及び絵等の無断転載、商業使用複製を禁止します。 ご意見ご感想はたすけ宛に、どしどしお寄せください。 皆様のご意見で益々良くなるおタスケを・・・・・・。たすけ