寄席さんぽ2002一月下席
一月二十五日(金)<末広亭・夜席> 笑三 小柳枝:がまの油 キャンデーブラザース夢楽:一目上がり 仲入 恋生:初天神 歌春(代陽子):鍋草履 柳昇:結婚式風景 扇鶴 主任=夢丸:小桜 ★ ★ ★ 『新宿末広亭 春夏秋冬「定点観測」』という本を出してから、もう一年数か月も過ぎてしまった。その間、色々な方から、いろいろな感想を聞かせていただいたが、話を聞いていると、けっこう現役の芸人さんが買ってくれた。特に、落語芸術協会に所属する芸人さんに、熱心な読者が多いようだ。 中で印象に残るのは、三笑亭夢丸。去年の春先に、一面識もない夢丸から、毛筆の丁寧な手紙をいただいた。 「客の入りが悪い時、客席が重くて弾んでいない時こそ、いつも以上に頑張って高座を務める。これがアタシのモットーです。だから、『定点観測』で、アタシのそういう姿を書いてもらって、本当に嬉しい」 急にそんなこと言われても、あの中にはのべ千人を超す芸人さんの高座が詰め込まれているのである。そんなこと書いたかなあ、書いたような気がするがいつだったか、と捜してみたら、あったあった。たしかに夢丸は、入りの悪い客席を前に、「ねずみ」を力演していたのだった。 そんな手紙を受け取ってまもなく、夢丸が身銭を切って、新作台本の募集をすると言う話を聞いた。「ちょんまげをしていたころの噺」という“新しい古典”を広く募り、優秀作品を夢丸が高座にかけるという。手紙といい、台本募集といい、良い意味で噺家らしくない、まっすぐな料簡だなあと、感心した。 夢丸の呼びかけに、多くの書き手が答えを出した。いい作品が集まったのだろう。昨年暮れに三篇もの優秀作が選ばれ、ついに一上から寄席での口演が始まった。まずは、末広亭の夜の部から。これは行かねばならぬ。いかねば平手の男がすたるかどうかは知らないが、興味津々。仕事を早仕舞いにして、新宿三丁目に向かったのは、興行中日である。 六時半ごろに末広亭前に到着。テケツに席亭。モギリにおかみさん。最近このコンビが多いなー。 「この間、コラムで末広亭のこと書いたんですけど、掲載紙、読みます?」 「あらそう、読む読む(と、おかみさんが記事を広げる)」 「何やってんだよ。その記事なら、とっくに読んで喫煙室の壁に張り出してあるじゃないかー」 「えっ、そうなの?あたし知らないよー」 ったくもー、この夫婦は……。あえてコメントをはさまず、木戸の向こうに耳を澄ますと、しり上がりの北関東言葉がもれ聞こえてきた。茨城弁ならローカル岡、栃木弁の場合は、えーとえーと、けっこういるんだよなー、そうだ、京太ゆめ子! 「ねえねえ、小柳枝さん(の出番)までいなよー」 「いいけど、次は誰でしたっけ?」 「笑三さん、あたしあの人の噺ほとんど覚えちゃったわ」 「お正月っていっても、この時期になると、客席が寂しいですよね。末広亭はいつもオーソドックスな番組でしょ。余一会以外にも、たまには特別企画をやったら?食いつきあたりに席亭が出て、高座で秘芸をやるとか」 「やめてよー、この人にそういうこといったら、その気になっちゃうわよ」 「ふふふ、オレが出るっていっても、『ねずみ穴』ぐらいしかできないよ」 会話の行方がだんだん怪しくなってきたので、まだ小柳枝は出てきてないが、そそくさと中に入った。 ゆったり余裕のある客席に、笑三の奇声が響いている。「『隣の空き地に囲いが出来たってねー』『へー』。こないだ、これを間違えて『塀ができたて』とやっちゃった。でも大丈夫。『隣の空き地に塀が出来たってねー』『かこいー』(まばらな拍手に不満そうで)奥さん、初めてお聴きになったの?……落語もまだまだ普及につとめないとねー」 最後も、いつものアレである。 「あたしの落語は(思い切り力を入れて)これからが面白いんですけどねー。(上手を見て)あすこで前座さんが時間を測ってて、もう下りろと…。お客様がいいとおっしゃれば、やるんですけどねー」 パチパチパチと、心優しき拍手が響く中、前座が高座に現れて、両手で大きく「×」をつくった。十年一日。時間が止まったような高座風景が、なんともまた。 前半のお目当て、小柳枝の「がまの油」は、古風な味わいがたまらない。流れるようなテンポで語られる口上には、いわゆる円生系では聴いたことがないセリフがいっぱい。あああ、まだメモ帳を開いていないのに。 最近安定していたキャンデーブラザース、今日はどうしたのだろう?傘回しでバランスを崩し、独自の芸である「駅路回し」でも、端、駅鈴を落としたりして。そういえば、歩き方もなんだかぎこちない。考えてみれば、この人たち、僕が子供のころからベテランだったよな。ハラハラドキドキというのも、太神楽の楽しみなのだろうか。 続く仲入前の夢楽も、なんだかアブナイ。座布団に座るのにずいぶん手間取っていたし、話す時、口がちょっと引きつったような感じになるのも、気になってしまう。噺家は高座に上がる時にメイクなどしないから(してる人、いるかな?)、前のほうの席で見てると、年が隠せない。しかし夢楽、年取ったなー。 食いつきの恋生は、恥ずかしながら初見である。面長、細面、太い眉毛。頭を丸めた姿は、ちょいと印象に残る。 「あたくしの顔、誰に似てると思います?歌舞伎の染五郎って言われる事がありますね。(「ほーっ」と納得の声)あるいは新之助(「えええっ」と疑問の声)、橋之助という声も。(まったく反応なし)最近では、外国の人なんですけど、誰でも知ってるビンラーディン(パチパチパチと絶大な支持)最近は日本に来て、末広亭にいたりして」 ネタの「初天神」、陽気なのはいいが、人物の演じわけ、しぐさなどは、かなりアバウトだ。このクラスの二ツ目だと、もうちょっと細部への気配りがほしいよな。 「おとっつぁん、おとっつぁん、おとっつぁん、おとっつぁん、おとっつぁん、あたい今日静かでしょ?」 「うるせーよ!さっき家を出てから喋りっぱなしじぇねーか!」 このあたりの畳み込み方、面白いんだけどなあ。 次の歌春は、神田陽子の代演らしい。講釈のかわりに落語って、ありなのだろうか。 「笑いは健康にいいんだそうですな。そういう意味では、新宿末広亭は、今後健康産業として注目されるという…。それにしても我々の仕事、はっきり言って楽です。仕事の楽な分、生活は苦しいです。仕事上の責任なんてえものは、さほど強く感じません。別にお客さんの命にかかわるということもなく、またお客さんの方も、落語から何か学ぼうこともないですから。なんにせよ仕事をしながらウサばらしができるという…」 話題にだんだん元気がなくなっていくが、歌春は終始、満面の笑顔なので、聴いていて暗くなることはないな。脱力系の不思議なノリで、師匠歌丸ゆずりの珍品「鍋草履」をさらりと演じた。不思議な存在感というしかない。 柳昇は、おなじみ「結婚式風景」。昔はこのネタをやるとき、出囃子にウエディングマーチを流してた記憶があるが。 「ええ、今日は夢楽さんの弟子で、夢丸というのが、このあと一生懸命に伺いますので、最後までよろしくお願いします」と、律儀に頭を下げる姿がやさしい。 膝がわりの扇鶴が、例のしり上がりのヘンな調子で「にほ~ん~の~」とかなんとか歌いだしたとたん、下手桟敷のおじさん客が「ハックションッ!」とモノスゴイくしゃみをぶちかました。 やる気をそがれた扇鶴が、「コホン、予定変更。『イヌの都々逸』を」と三味線を持ち直したとたん、またまたモノスゴイ声で「ハックショーイ!」。さんざんな高座である。 さて、番数もとり進みまして、取り組みじゃなくて、トリの夢丸の登場だ。 「せめてこそ 寄席残せや 江戸の風」 三つの当選作品のうち、本日は「小桜」のお披露目である。 道楽の末に勘当になった若旦那、身過ぎ世過ぎに扇子の地紙売りを始めた。ある日、久々に吉原を訪れてみると、死んだはずのなじみの花魁・小桜が、なんと幽霊になって出てきた。店から、小桜の幽霊の身請けを持ちかけられた若旦那は……。 大川、吉原、幽霊と、江戸情緒たっぷりの小道具をちりばめた噺は、夢丸好みか、笑いの少ない、人情ばなし風の展開である。噺のあちこちに、確かに江戸の風が吹いている。だが、小桜に関していえば、江戸趣味にこだわるあまりか、いろいろな要素を盛り込み過ぎた。若旦那もののような、はたまた吉原もののような、幽霊の因縁話かと思えば、身投げを助けたり。噺としては、消化不良の部分が多く、トリネタにするには、もうシェイプアップが必要な気がする。噺に留保点がつくが、夢丸の高座はさわやかだった。汗びっしょりの熱演。新しい江戸噺を作り上げるんだ、という気迫が伝わってくる。四の五の言う前に、あと二つ、きっちり聴いてやろうじゃないの。三丁目の角の「いさ美」で寿司をぱくつきながら、次は浅草で「夢の破片」にしようと決めた。 ★ ★ ★ 一月二十九日の夜、NHKラジオの「ふれあいラジオパーティー~寄席への誘い」という番組を聴いた人、どれだけいるだろうか? 鈴本の席亭、お笑いコラムニスト木村万里さん、三遊亭白鳥、神田北陽、そして僕と担当アナウンサーの六人(おっとスタジオの隅には「生お囃子」の太田そのさん、三遊亭あろークンもいた)の、よくいえば和気あいあいの、演芸雑談あるいは楽屋話といった類のぐずぐずトークを、延々八十分生放送するというNHKの度胸と見識(?)の広さ高さに敬意を表したい。そして、「寄席への誘い」という看板に偽りのない楽しい番組が出来たと、この際、自負しちゃおう! あれはねー、聴いてるとテキトーにしゃべっているように思うだろうけれど、実は、一応四十ページ近い台本を事前にもらっていたのである。んで、中を開くと、「寄席の歴史」、「私と寄席」、「インターネットと寄席」、「寄席の基本情報」、「寄席の達人になる法」、「寄席の現状と未来」なんて、仰々しいコーナータイトルが列記されているの。でも、各コーナーの中身は、ほとんど何も書いてなくて。 「長井 (ちょっと感想など)」 なんてト書きがあるだけだったりして。つまり、「押さえるべきところを押さえていれば、あとはその場の流れに次第で、自由に思ったことを話してくれてけっこう」という、実に大人な番組作りをしてくれたのである。 だから、初めのうちこそ緊張してたけど、「ただの一度も鈴本に出たことがない」という北陽もいるが、だいたいの出演者はみーんな顔見知りなのであるから、話が進む打ちにすっかり普段の雑談モードになっちゃって、時々玉谷アナウンサーの交通整理が入ると、「あっ、そーだ、ラジオの本番なんだ」と思い出す始末。「こんなに楽ちんでいいのかなー、もうしわけないなー」と思ってしまった。 もっとも、本番中に新作短編を披露した白鳥は大変だったようで(北陽はネタの性質上、生は無理なので、録音したのを流した)、あの(この「あの」はどういう意味かいうと、読者諸兄の思っている通りなのであるが)白鳥シショーが、本番前にお囃子と入念な打ち合わせをしたり、何ども台本を読み直したりしていたのだった。本番で初めて聴いたが、「演芸好きのジーちゃんが孫を寄席に連れていき、解説しつつ高座を見る」という設定の、「正当派の落語」(本番前に白鳥が僕らに力説していた)だけに、よくまとまっていて、「これって、学校寄席でそのまま使えるよねー」とスタジオ内では大好評だったのだ。生のお囃子は入るし、白鳥も熱演なので、リスナーはきっとスタジオ内の特設スタジオかなんかで演じていると思っただろうが、実際は、僕の隣の席で、A4判の紙四枚に、ワープロ横書きでぎっちり書き込まれた原稿を、普段着の白鳥が首を振り振り朗読していただけなのだが。 しかし考えてみると、寄席演芸は、ラジオと相性がいい。芝居と同じでテレビでみるとなぜか面白くもなんともない落語も、ラジオで聴けば噺の情景がばっちり浮かんだりもする。現在五十代以上の年配者なら、だれでも一度は、毎日どこかしらの局でやっていたラジオの演芸番組で、金馬、志ん生、柳好に笑い転げた覚えがあるはずだ。それが、いまでは、日曜夜の同じ時間(!)にNHKとTBS系に寄席番組があり、あとは玉置さんの帯番組ぐらいしかねーじゃねーか、という腹立たしくも情けない状況になっているのだ。「ふれあいラジオパーティー」を作ったSさんOさんHさんに玉谷アナ なんて人材がまだまだゾロゾロいるうちに、ラジオの演芸番組復活ののろしを上げてほしい。CSで伝統文化放送なんてのもあるけれど、演芸専門チャンネルは、別にBSよりもCSよりもBSデジタルよりも、ラジオでこそ、ふさわしいのではないかと、今回のラジオ出演で痛感した。いでよ、演芸専門ラジオ局! ★ ★ ★ 一月三十日(水) <末広亭・昼席> ローカル岡 小南治:時そば(代寿輔) 雷蔵:たらちね 小天華 米丸:授業参観 仲入 柏枝:子ほめ Wモアモア 遊三:ぱぴぷぺぽ 文治:かわり目 ボンボンブラザース 主任=柳橋:味噌蔵 ★ ★ ★ 平日の午後一時過ぎに、フツーの会社員であるはずの僕がどうして末広亭に行けるのか。そういうことを詮索するのは、野暮というものだ。だれにも触れてほしくない過去はあるし、言ってはならない一言があるのだ(と、一人ニヒルに笑う僕・・・ははは)。「定点観測」時代を思い出して、久々に伊勢丹のB1で、天一の「天丼弁当」を購入し、その勢いで末広亭の木戸を突破――。と思ったら、テケツの席亭に呼び止められた。 「ご精勤だねえ」 「何笑ってんですか。このごろテケツにいることが多いですね。社長がそこにいると、ますます景品交換所のような感じが・・・」 「バカいっちゃいけない。それより、ラジオに出るとか言ってたよね」 「昨日出ちゃいましたよ。生放送」 「ぜーんぜん知らなかった。テープあるんだろ?今度持ってきてね」 「ラジャー」 てなこと言いながら、なんとか木戸をくぐったのが午後の一時半。高座では、ローカル岡が人の良さそうな笑顔を見せながら、実は辛口のジョークを飛ばしている。 「世の中面白いことがあるね。亭主が縦縞のユニフォームを脱いだと思ったら、女房が横縞のユニフォームを着たんだね」 「最近、おふくろの味がなくなっちゃったね。みーんなコンビニ。ふくろの味だ」 「女房がお茶をやるっていって。飲もうかっていったら、抹茶が切れてる。で、ワサビを茶筅で溶いて持ってきた。『こんなもん飲めるか!』って言ったら、『あんたにはお茶の心がわかんないのね。お茶の心は、ワビサビだ』って」 「うちの母親、八十歳だ。元気だけど、ボケがきちゃって。睡眠薬飲むの忘れて、寝ちゃうんだもんなー」 はいはい。 小南治は、寿輔の代演か。何気なく出囃子を聴いていたら、「琉球節」じゃないの。今ではもっぱら林家正楽一門の、いわゆる紙切りの出囃子として使われているのだが、やっぱり小南治は、先代正楽の長男だもんなー。実は紙切りも出来るんだよね。 で、その「琉球節」にのって出てきた小南治、高座に落ち着いたが、ニコニコしてるばかりで何にもしゃべらない。客席から「何かしゃべれ!」とヤジが飛んで、ようやくマクラが始まった。 「アタシが入門したとき、師匠の小南は六十歳でした。で、すぐに狭心症を患ったんですよ。翌日、病院で『昨日で小南じゃなくなった。きょう、シンショウ~』」 ネタの「時そば」は、やや一本調子。特にトントントンと運ぶ前半は、蕎麦を食べる仕草も含めて、もっとメリハリがほしい。でも、「こちとら江戸っ子だけどさ、気は長いほうなんだ。生まれは春日部だからね」には笑った。 「待ってました!」の声に迎えられた、雷蔵は、得意のお婆ちゃんジョーク。 「八十五歳のお婆ちゃんが『三途の川の渡し賃を払うのがもったいない』ってんで、水泳を習いにきた。このお婆ちゃんがかなり上達したころ、お嫁さんがスイミングスクールにやって来て、『泳ぎを教えるのはいいけど、ターンは教えないで』って」 しかしねえ、お婆ちゃんのマクラから「たらちね」に入るかな、フツー。 仲入時、天丼をパクついていたら、いきなり肩をたたかれた。むむむ、会社ならいざ知らず(?)、寄席で肩たたきとは何者かと振り向いてみたら、北村席亭である。 「そんなの食べてないで、うちの売店で買ってくれよー。で、それ、伊勢丹の」 「うん、天一です。軽くてうまいですよ」 「実はおれもこの前ラジオに出たんだよ。そのテープ上げるから、君の方のテープも忘れないでね」 もらったテープのラベルを見ると、「いきいきくらぶ 一月八日オンエア NHK」。演芸関連は、やっぱりNHKだなあ。 さて後半。「一日八時間労働なんて言いますが、私たちは月に八時間労働。年間百時間ぐらいしか働いてないんですよねー」と言いながら、柏枝が「子ほめ」を始めた。小太りの顔が、絶えずニコニコ笑っている。見ているうちに、ああああ、睡魔が睡魔が。「四十二は厄年、五十二はお気の毒」なんてフレーズは覚えているんだが。 いつもヤカマシイWモアモアだが、今日は二人とも風邪をひいてるようで、今ひとつ元気がない。 「今日は十度ないですよね。ちょっと寒いなあ」 「それより、みんなどうしたの?会社終わってないんでしょ?水曜休みは、亀屋万年堂しかないよ」 「それは自分が勤めてたとこでしょ」 「そうそう、昨日新年会でさー」 なんじゃそりゃ。 今日は、浅草で起こった偽札事件をサカナにするようだ。 「だいたいさー、万札だして、饅頭一個買うやついるかー?」 「使ったのが浅草、上野、新宿・・・。寄席があるとこばかり。犯人は寄席芸人か?」 「みんな苦しいからなあ」 このコンビ、こうした話題の微妙なねじれ加減がたまらないのだ。 遊三はまたまた「ぱぴぷぺぽ」。今年は、この人、こればっかし。まあ、ウケてるんだけどさ、力のある人なんだから、小ネタでも、ちゃんとした筋があるヤツ、聴かせてくださいな。 「正月はめでたくないっすな。年取るんですから」なんて、ぼやきながら登場の文治のネタは、「かわり目」。最近聴いた記憶がない。もしかしたら、初めてかも。落語マニア、特に寄席興行を中心に聴いてる落語ファンの大半は、「かわり目」という噺を、それほど好きではないだろう。だって、飽きるほど聴かされてるんだもの。寄席に行けば、必ずどこかでだれかが「かわり目」を演じている。もともとそれほど面白い噺ではないはずだが、酔っぱらいの仕草、夫婦・人情の機微など、初心者にもわかりやすく、ウケどころもそこそこにある。営業上「都合の良い噺」なのだろう。だがしかし、「年に一度の寄席見物」という客なら良いが、のべつに通ってくる連中にはたまらない。もう、細かいクスグリまでソラでいえるぐらい覚えてしまって、なんの発見もないんだから。 と・こ・ろ・がー、文治の「かわり目」は面白かった。どこがどうということもない、オーソドックスなものなのだが、客席はガンガンうけてるし、すれっからしの客(僕のことだ)も涙をながさんばかりに笑っている。思うに、この面白さは、噺ではなく、文治のキャラクターに起因するものなのだろう。ちっちゃくて可愛くて頑固で口うるさい文治が、酒を食らい、車屋をからかい、女房に甘えているから、面白い。噺家も年を経てくると、落語の国の住民に限りなく近づいていくのかもしれない。 ひざのボンボンは、売り物の「鼻のアタマに紙を立てる芸」がウケるものだから、高座を下りて下手桟敷にでばって行こうとして、紙を落としてしまった。繁二郎にしては珍しい失敗。すごすご高座に戻って、相方の健二郎にパコンと頭を殴られるヒゲオヤジに、大きな拍手が贈られた。 トリの柳橋は、いつもの軽やかな歌い調子で「味噌蔵」の冬の寒さを、見事に描き出した。芸の力と、それから、今日の気温の低さも影響してるかな。末広亭の通気性の良さは、万人の認めるところだからな。というところで、一月もおしまいだ。二月はどう動こうか。まずは、夢丸の新江戸噺の残りを片づけよう。ついでに会社にも、ちゃんと行こうっと。
つづく
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